ドラマティックな感情の注入
立川談志は三木助の『芝浜』を受け継ぎながら、現代人としての感情を大胆に注入し、別次元の「感動のドラマ」に仕立てた。「泣かせる人情噺」としてドラマティックに演じる『芝浜』の源流は間違いなく談志である。
「三木助の名作」に疑問を持った談志は、独自の解釈で取り組むことで、『芝浜』を世代を超えて受け継がれる「暮れの大ネタ」として定着させた。
談志は三木助の江戸前な落語における「会話のセンス」をこよなく愛したが、『芝浜』に関しては安藤鶴夫の入れ知恵と思われる過剰な文学的装飾を嫌い、まずはそうした要素を排除しながら自己の個性を存分に反映させた威勢のいい『芝浜』をつくり上げた。これが談志30歳の頃。
だが、彼は次第にそれが「いい噺」であることに嫌気が差してきた。「この女房は可愛くない」と思ったからだ。
そこで談志は、『芝浜』を美談としてではなく、「ある夫婦の愛を描くドラマ」として演じ始めた。それが40代のことで、50歳を迎える頃には格段にドラマティックな噺になっていく。
談志の『芝浜』の女房は、決して「ダメな亭主を立ち直らせようとしている」わけではない。ただ、亭主に惚れている可愛い女房であって、亭主が大金を拾ってくれば女房も一緒に喜ぶ。あくまで、大家に命じられて「夢だった」と噓をつくはめになるだけだ。健気に働く亭主を見ながら3年間、申しわけない気持ちでいっぱいだった女房は、罪の意識に耐えきれず、ついに真実を告白する。だが亭主も、この可愛い女房に惚れている。だから噓をつかれたと聞いても納得する。
芝浜の財布の一件から3年後、二人でささやかに暮らしていける今の幸せは何物にも代えがたい。この幸せだけは「夢」にしたくない……「また夢になるといけない」というサゲの一言には、そんな二人の想いが込められている。
リアルタイム進行で始まる物語
談志の『芝浜』は晩年に至るまで進化し続けたが、基本形は30代から40代で固まっている。魚屋の名前は勝五郎(魚勝)、芝の浜で拾った財布に42両が入っているという設定は三木助のままだ(現存する唯一の三木助の『芝浜』の公式音源では82両となっているが、それは例外だったという)。
三木助はマクラで芭蕉の句を引用しながら隅田川で白魚が獲れた時分の江戸を語ったあと、「ねぇ、お前さん、起きとくれ」と女房が亭主を起こすことで『芝浜』を始める。だが談志の『芝浜』は(もちろん白魚云々のマクラはなく)芝の浜で金を拾う前夜の「いつまでも休まれちゃ釜の蓋が開かないよ」「うるせぇな、明日から行くから今夜は飲みたいだけ飲ませろ」と魚勝夫婦の会話するシーンが挿入されている。
談志は、三木助版で女房が亭主を起こしながら語る「お前さん、明日から商いに行くから飲みたいだけ飲ませろって、ゆうべあんなに飲んだんじゃないか」という経緯をリアルタイムで進行する場面として描き、そのまま寝込んだ亭主を女房が「お前さん……」と起こす場面に続けたのである。こういう演り方をするのは談志だけだった。
起こされた亭主が愚痴をこぼしながら河岸に行ってみても問屋が開いてない。鐘の音を聞くと女房が時刻(とき)を一つ早く間違えて起こしていることがわかり、しかたなく浜へ下りて海水で顔を洗い、一服しながら夜明けを待つ。
ここで三木助は、「お天道様が出てきた……いい色だな……よく空色ってぇと青い色のことを言うけども、朝の日の出のときは一色だけじゃねぇや、どうでぃ、小判みたいなところがあるかと思うと、白いようなところがあり、青っぽいところがあり、どす黒いところがあり……」「帆掛け船が帰ってくるじゃねぇか」などと独り言による情景描写に力を入れていたが、談志はそういう描写はカット、ただ「波ってやつは面白いねェ」だけを継承して、すぐに財布を拾う。
火打石と火口を使って煙草に火をつけ、一服吸ったあとで手のひらに乗せた火玉を転がして二服目をつける仕草の見事さは、談志の『芝浜』の名シーンでもある。
財布を拾って家に帰り、喜んで酒を飲んで寝てしまった亭主を女房が「商いに行っておくれ」と起こし、「あの金があるから商いに行かない」と言う亭主に女房は「夢でも見たの?」と返し、「お前さんは起きたら湯に行って大勢引っ張ってきて豪勢に飲み食いしたけど、その勘定はどうするの?」と迫る。
それを聞いて愕然とする亭主は「死ぬ気で働けば借金なんてどうとでもなる」という女房の言葉を聞いて「酒をやめて商いに精を出す」と誓い、そのまま河岸へ出かけていく……この展開も三木助のままだが、その中での夫婦の感情表現のダイナミックさがケタ違いだ。
「可愛い女房」の誕生
ある時期から談志は、噓をつくために起こす前の女房がひどく怯え、逡巡する様子を描くようになった。「可愛い女房」の描写に力を入れ始めてからだ。
女房が亭主に「拾ったお金がないって、私がそのお金ネコババしたって、そう言ってるの? 私がそのお金とっちゃった……そういうこと?」と問い返すと、虚を衝かれた勝五郎は「そうじゃねぇよ、俺がそういうこと言うと思ってんのか? だからおかしいんだよ馬鹿野郎! お前が隠すわけはねぇ、隠すわけねぇのにないんだから夢じゃねぇか! ……え、夢?」と自分で夢だと納得してしまう演出は50代半ばからのものである。
「俺、死ぬよ」
「死のう。あたしも死ぬ」
「死ぬのイヤだなぁ……なんとかならねぇか」
「あたしだって死ぬのイヤだよ……(ハッと気づいた表情で)ねぇ、一生懸命働いたらなんとかならない?」
「え?」
「だからさ、無駄しないで一生懸命やりゃ、お金なんて貯めようと思ったら貯まったって話、聞くじゃないか。貯めることができるんなら、減ってったぶんを返すってこともできるんじゃないの?」
「うん……貯めようと思って貯めた人いるよな」
「そうだよ、でもみんな最初はないんだから」
「わかるよ、元に戻していくのか」
「そうよ、お金を貯めるのと同じことだよ、お金を貯めるって、借金を返すことなんだよ、二人でがんばって貯めよう! 返そう!」
「どれくらいで返せる?」
「どれくらいったって……とにかく3ヵ月休んだんだから3ヵ月働いて、あとはなんとかなるよ!」
「わかった、やる、あったりめぇだ! よし、酒飲まねぇよ俺。お前にじゃねぇ、俺に言ってるんだ。だけど……」
「だけどなんて考えないの! だけどってのは、またあとのことよ!」
「わかった! 明日とは言わねぇ、今日から行くよ」
こうして談志の魚勝は商いに出る。
「百八つ」と繰り返す夫婦
三木助はここで「3年目には表通りに店を構え、若い衆の2、3人も使うようになる」ことを地で語って大晦日の描写に入った。談志も当初は「勝っつぁんの魚はいいねェ」といった会話で繁盛する様子を描いたあとに「3年後には裏長屋から出て……」といった語りを入れていたのだが、2001年以降、ただシンプルに「その年も暮れて、翌年も過ぎて、3年目の大晦日だ」とだけ言うようになった。店を持ち、若い者の二人も使うようになり……云々の描写もカット。完全に魚勝夫婦二人だけの噺になったのである。
貸しはあっても借りはない、こういう大晦日もあるのか、いい春を迎えられるのはお前のおかげだと礼を言う勝五郎に「お前さんが働いたからじゃないか」と返す女房。
「馬鹿野郎、お前のおかげだって言ってるじゃねぇかよ!」
「こんなことで喧嘩したって」
「喧嘩じゃねぇよ、そう言ってくれないと困るよ俺は。私がやりましたって言ってくれよ」
「……私がやりました」
それを聞いて満面の笑みを浮かべ、除夜の鐘に聞き入る勝五郎。
「鳴ってる鳴ってる! ……百八つ」
「百八つ」
「百……八つ」
「……百……八つ……」
見つめ合い、万感の思いで「百八つ」と繰り返す夫婦。この名場面を経て、クライマックスの「女房が告白する長台詞」へと突入していく。
3年間、噓をつかれたとも知らずに酒を断って働きづめの亭主を見ていて、辛くてしかたなかったと女房が打ち明ける。
「おっかぁ悪い、おっかぁ悪いって……私どうしていいかわかんなくなっちゃった……箸の上げ下ろしに、おっかぁすまねぇな、おっかぁすまねぇなって……雪の降る朝、出て行くときに風邪ひくといけないから炬燵に入ってろよって……。お前さんが一生懸命働いている間にお金が出たのよ。でも、なんだかわかんないけど私、出さないほうがいいって思ってたよ……でも、もういい! お前さんがこのお金、全部飲んじゃってもいい、もうだましてるのイヤだ! 自分がイヤだ……。話、これだけなのよ。どうしたらいいのよ私、ねえ、お前さん教えて! 長年連れ添う女房にだまされてて腹が立つのわかるよ、わかるの! ぶたれたっていいの、ぶたれても蹴とばされてもいいけど捨てないで! お前さん好きなんだもん! ねぇ! 別れないで……」
もはやまったく三木助の『芝浜』とは別の次元のドラマになっている。
目頭を押さえて涙をぬぐった勝五郎、「しまいまで聞いた……ありがとう」と応じる。
「そうか……大家、偉いなぁ……朝一番で大家のところに挨拶に行こう」
「あたしも連れてってくれる?」
「あったりめぇよ。一緒に行くんだ」
これを聞いて号泣する女房。
三木助の『芝浜』ではよくできた女房に対して勝五郎が「おっかぁ、お前は偉ぇなぁ」と感謝する場面だが、談志版では「二人して大家に感謝する」のである。
『芝浜』は私のもの
最後に酒を勧める場面、三木助は「機嫌直しに一杯やらない? もう若い衆もいるんだし、今のお前さんならお酒を飲んでもお得意様に迷惑かけることもないだろうから、もう飲んでもいいと思ってたんだよ」と女房に言わせるが、談志は女房に「ねぇ、飲まない?」とだけ言わせる。
さらに晩年には、女房が「ねぇ、お酒飲もう」と言い出すようになった。
「えっ?」
「なにも言わないで一緒に飲んで! あたし、怖いもん。頼むから、飲んで! 飲んでくれないと怖い、お願い!」
「……怖いから頼むってんなら……でも飲んだら俺、酔うよ」
「酔っちゃえよ! ベロベロに酔っちゃえ!」
「そうか、ありがとう……(飲もうとして)よそう」
「どうして?」
「また夢になるといけねぇ」
実は談志ファンの間でも「あの『芝浜』はやりすぎだ、あれじゃ落語じゃない」という声はあり、談志自身『芝浜』は落語ではないと言いながらそれを自分が演り続けることを理論的に説明できずにいた。
と同時に、晩年の談志はこう断言した。
「『芝浜』は完全に私のものだと思っている」
自分が愛する三代目三木助が演った『芝浜』に納得できず、ならば自分で納得いくものにしてやろうと演り続けた談志の『芝浜』は、「業の肯定」も「イリュージョン」も超越した「談志のドラマ」として成長し続け、2007年の「伝説の名演」で完結した。
その40年に及ぶ談志の『芝浜』との格闘こそが、この演目を「泣かせる大ネタ」という位置づけにさせた最大の原動力だったと言えるだろう。
次回は7月18日更新、古今亭志ん朝の『芝浜』について。お楽しみに!