フリッパーズ・ギター『three cheers for our side』(1988年)宣伝用カセットテープ
フリッパーズ・ギターがいた時代
僕が再び音楽業界で働き始めたのは88年の12月です。表参道の駅を出た僕の目にポリスターレコードという看板がとまった。
ポリスターの社長だった細川健とは旧知の仲でした。60年代後期からお互いの存在は知っていた。そこで、目の前にあった公衆電話から電話をかけて、もしその日のうちに細川社長に会って話ができたら音楽の仕事に復帰しようと思った。それは自分で仕掛けたトリックのようなものでした。そうしたら偶然にも話が上手く進んだ。数分後には社長室に通されて、結局、音楽制作に携わることになった。
そして89年の1月。年明けすぐに、僕がポリスターに入ったことを知った長い付き合いの友人、吉永多賀士から会いたいと連絡がありました。彼が持ってきたのが、クールスのヴォーカルをやっていた横山剣(現、CRAZY KEN BAND)のレコーディング済みのテープ。そのリリース元を探していて、ちょうどいいタイミングで僕がレコード会社に入ったのを知って連絡をとってきたんです。
ただ、クールスはかつてポリスターに所属していたグループだった。そこを去ってから時間も経ってない。さすがにソロアルバムをリリースするのは難しかった。そこで話を断ると、「ついでに持ってきたんですけど」と、もう一本カセットテープを置いていった。「ひどいテープなんで」と彼が言うのを聴いてみたら、ピンと来るものがあった。聴き終わる前に「これはすごい」と確信した。
それがロリポップ・ソニックのライブ音源だった。そのときのカセットテープに入っていた曲が「コーヒーミルク・クレイジー」「ハロー/いとこの来る日曜日」でした。
それを聴いて「すぐにメンバーと会わせてくれ、スタジオでちゃんとしたデモテープを作るから」と言った。それが彼らとの出会いとなった。
このカセットテープに録音されていた音源は僕の手元に残っています。今聴いてもロリポップ・ソニックがどんなバンドだったかがよくわかる。演奏自体はひどい。途中でギターの弦が切れたり、間違えてやり直したりもしている。テンポも狂ってる。だけど僕には確信があった。このグループをやりたいと直感で思った。
なぜ吉永多賀士がロリポップ・ソニックのデモテープを持っていたかというと、メンバーの井上由紀子が、バンドを売り込むためにサロン・ミュージックの竹中仁見にテープを渡していたんです。当時彼らのマネージャーをやっていたのが吉永多賀士でした。
サロン・ミュージックは81年に結成された、吉田仁と竹中仁見による2人組のユニットです。自主制作のカセットテープ『HUNTING ON PARIS』がイギリスの音楽誌『サウンズ』で紹介されたことから注目を浴び、82年にイギリスからデビューしている。彼らが影響を受けたのが先ほど語ったラフ・トレードの日本編集盤『クリア・カット』に収録されていたようなポスト・パンクやニューウェイヴのアーティストです。しかもそれを同時代的に表現し、海外からもリリースしていた。つまりはロリポップ・ソニックや東京ネオアコシーンの若い世代にとって、サロン・ミュージックは数少ない尊敬すべき先達だったのです。
初のデモレコーディング
僕はすぐに彼らに連絡をとりました。その年の2月には六本木のマッドスタジオに彼らを呼んでレコーディングさせました。2日間スタジオを好きなように使っていい、録った音を持ち帰ってもいいと言った。
そうしたら意気揚々と音を作り始めた。プロ仕様のレコーディング機材を自由に使えるのが嬉しそうだった。その様子を見て僕は自分の判断が間違ってないと感じました。
2年間のブランクで自分自身の感覚を全面的に信用できなかったため、僕はかつてノン・スタンダードの宣伝スタッフで、その後に音楽出版社「3D」の代表になっていた岡一郎を呼び出して一緒に立ち会ってもらいました。そうしたら彼もすぐに彼らの才能を確信した。
そこで、初日が終わった深夜にメンバーに集まってもらって「アルバムを作らないか」と持ちかけました。メンバーにとっては唐突な話だったけれど、全員でミーティングをして、すぐに快諾してくれた。それから会社に戻って「こういうグループをやりたいから予算をほしい」と話したら「牧村が言うなら好きなようにやってくれ」と返答があった。
僕がプロデューサー、岡一郎が社外ディレクターとして彼らを担当することになりました。
きっかけを作ってくれた吉永多賀士はアルバム完成後、マネージメント代行を離れ、すでに加藤和彦事務所を離れていた桶田賢一がマネージャーをやることになった。会社からはアシスタントが必要だろうということで、『サウンド&レコーディング・マガジン』にいた柴田康平、宣伝はポリスターの新人社員でWink の宣伝を担当していた櫻木景に一任しました。パンク好きだった彼は、デモテープの音を聴いてすぐに彼らの背景にイギリスのインディー・レーベルのムーブメントがあることを理解していた。
こうしてフリッパーズ・ギター・プロジェクトのメンバーが集まったわけです。
次回「フリッパーズ・ギター始動!」は7月11日更新!