ふうむ。実に似ている。実際問題、気持ちいい射精というのは幸福以外の何者でもないわけだから。
射幸心の検索結果からは、人は常に幸福を願い続けているらしいことも判明した。
そこもまた実に似ている。人は常に既存の射精を超える快感を求めていくからである。
妄想よりもAV、AVよりも手コキ、手コキよりもデブスとのまぐわい、デブスよりもブス、ゴムより生。
射幸心はとまらない。飽いたならば逆行すらもいとわない。綺麗な乳より汚い乳を求めることもあるだろう。
だが、このちんぽの欲望をどうにかしなければ、いずれそれが生命の限界を規定しうる天井となりうる問題ではないかと危惧しているのは私だけなのだろうか?
童貞の先輩方、教えてください。