安房里見氏の祖・里見義実(よしざね)が、相模から野島崎に上陸するとき、「白竜が天に昇るのを見た」という伝説があります。義実の安房での吉兆を示す話です。馬琴は『房総志料』や『安房郡志』に学び、多くの安房の伝説を『八犬伝』に取り入れています。
馬琴はその場面を下絵に描き、柳川重信(やながわしげのぶ)に肇輯(じょうしゅう)の挿絵を描かせました。伝説では白竜ですが、丸々と太った鯉にまたがり、現代の劇画を思わせる構成で絵枠から突き出る勢いの義実が描かれています。鯉は「魚へんに里」。鯉は里見家の魚なのです。駄洒落好きな江戸っ子を喜ばせる工夫がされています。
では馬琴は、なぜ地方武士にすぎない安房里見氏を描いたのでしょうか。
江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎では徳川幕府批判が取り入れられ、その面白さが人気を支えていました。しかし徳川批判をそのまま描いたのでは、責任者がとがめを受けることは必定。そのため戯作者たちは時代を、鎌倉時代や足利時代などの時代物として上演する手法を用いました。
鎌倉・足利時代は将軍が政権を握った時代。徳川家康は初めは藤原氏や平氏を名乗りますが、のち源氏を名乗ります。鎌倉・足利将軍も同じく源氏将軍であることも類似しています。
『八犬伝』で登場する鎌倉公方は関東を納める将軍で足利将軍の親類です。
そして、足利尊氏に最後まで抵抗した人物・新田義貞は、鎌倉府を滅ぼした唯一の人物ですので、打倒・将軍となると必ず新田義貞の家紋が掲げられます。
お馴染みの吉良邸討ち入りを演劇にした『仮名手本忠臣蔵』でも、事件は江戸時代ですが演劇では足利時代と設定され、大星由良之介(大石内蔵之介の配役名)は義貞の兜を手に持って吉良邸に討ち入りします。打倒・徳川の物語なのです。
ここで鯉に乗る義実の挿絵の左側を見て下さい。乞食に身をやつした金碗八郎孝吉の首から長く垂れ下がっている旗に家紋が大きく描かれています。
この(中大黒)の家紋は安房里見氏の家紋であるとともに新田氏の家紋でもあります。里見氏の本拠地は新田氏と同じ上野(こうづけ)国(群馬県)新田庄に近く、里見氏は新田氏の庶流。馬琴は義貞と同じ紋をもつ里見を登場させて、暗に『八犬伝』が徳川打倒の話であることをほのめかしています。幕府打倒といっても他意もなく、圧政に苦しむ町民たちのささやかな抵抗や憂さ晴らしであったと言えるでしょう。
『八犬伝』以前にも、歌舞伎で里見を登場させ、知れ渡った新田の家紋に変え、里見の紋を用いたものも現れています。尚(二引両紋)も里見氏の家紋です。