科学は論文1本では決まらない=粥川準二(科学ライター)
福島第1原発事故に際して、福島県民の被ばく状況を慎重に調査して、学術論文として発表し続けてきた研究者の一人に、物理学者の早野龍五・東京大元教授がいる。
最近、早野氏らによる学術論文(英語)のうち1本を、被ばくを過小評価していると批判する論考がネットメディア『WEBRONZA』に掲載された。学術雑誌には、ある論文に対するコメントを掲載する欄が設けられているはずなので、著者の黒川真一氏がなぜそこに投稿せず、一般メディアに寄稿したのか、という疑問はある。ただ専門家ではない者としては一般向けの日本語で読めるのはありがたく、興味深く拝読した。
一方、仮に黒川氏の指摘が正しく、早野氏らの「ある論文」に瑕疵(かし)があるとしても、同氏らが数多くの論文を通じて明らかにした福島県民の被ばく状況がすべて間違い、ということになるか。たぶんならない。筆者の理解では、南相馬市や福島市の医学系研究者たちの膨大な論文からも、早野氏らが示してきたことと同じ傾向を読み取ることができる。つまり福島県民の健康に対する最大の脅威は、放射線ではなく、避難などによる生活環境・習慣の激変である。
科学的命題は1本の論文で決まるわけではない。したがって1本の論文に問題があるからといって、何十本もの論文で浮かび上がってきた命題が覆されることは考えにくい。また逆に、たった1本の論文が自分の信念を支持していることで、鬼の首を取ったようにはしゃぐネットユーザーたちがいるが、理科教育を受けた大人の態度ではない。
林英一、金原ひとみ、長有紀枝、吉崎達彦、粥川準二の各氏が交代で執筆、毎週火曜日に掲載します。