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「日本の写真家」に憧れ続けた伊丹豪さんが語る、写真の力と危機感とは

ARTS & SCIENCE
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FUZE編集長Yohei Kogami
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iPhoneやスマホのカメラアプリが一般的となり、InstagramやSnapchatは現代のカメラとなりつつある。一方で、10代や20代の若者を中心にした「写ルンです」の人気再発が続いている。写真を撮る行為がカメラから解放されて、何がリアルな「写真」か、定義が曖昧になった現代を、写真家はどう見ているのだろうか?

日本を代表する若手写真家の一人として、写真集リリースや個展での実績や、ロックバンドLILI LIMITとのコラボで活躍する伊丹豪さんは、国内だけでなく、ニューヨークをはじめベルリン、パリ、アムステルダム、台北などで展示やイベントを開催し、海外でその評価を確かなものにしてきた。代表作である写真集『Study』や『this year's model』は、対象に視線を急接近させた実社会の写真から、「写真を見ること」や場所、空間、時間の存在を再構築しようとするほど、圧倒的で強烈なインパクトを残す。

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『this year's model』(RONDADE)より

また、自身で制作する写真集「MAZIME」シリーズでは、伊丹さん独自のテーマの発掘と仕掛けが織り込まれた実験的なzine制作活動も衝撃的だ。「MAZIME」シリーズは毎号完売となる人気ぶりである。

究極の「写真を撮る行為」を徹底したいと、写真家としての危機感をつのらせる伊丹さん。もはやiPhoneやスマホがチープなカメラであることは過去の認識だ。それらが商業的、メディア的に用いられている現代と共存する写真家は、どんな未来を見据えて今日もシャッターを押しているのか。プロが探し続ける写真の強さ、そして、海外へ進出し始めた新世代の日本人写真家たちについて、伊丹さんに話を伺った。

プロフィール
伊丹豪 | GO ITAMI

写真家。1976年生まれ、徳島県出身。
2004年、第27回キヤノン写真新世紀佳作受賞。写真集『study』、『study / copy / print』、『this year's model』(RONDADE)、自身が制作する『MAZIME』をリリース。これまで東京、大阪、名古屋での個展、さらには台湾、ベルリン、パリ、ニューヨークなどで展示を行い、海外での展示でその才能が高く評価される若手写真家。
https://www.goitami.jp

ーー伊丹さんが写真を始めたのは、ファッションの学校にいた時と聞きました。

伊丹豪(以下、伊丹):僕が写真を始めたのが、写真の学校ではなく、文化服装学院という学校でファッションの勉強をしていた時ですね、丁度、写真の授業があって。その頃は丁度HIROMIXさんの人気が凄い頃でした。

関連記事:HIROMIX(ヒロミックス)に学ぶ、写真作品鑑賞の極意 | 写真のネタ帳

伊丹:授業でカメラを買わなくてはいけなくなって、みんな「EOS KISS」とか、いわゆる入門機を買ってたんですけど、僕が自分なりに調べて買ったのが「コンタックス」。面倒なカメラなんですけれど、モノとして興味が湧いてきたんです。そして実際に撮ってみたら、面白かった。

初めはファッション写真を真似してました。モデルやスタイリストや、テーマを毎回決めたりすることが、最初は面白かったです。でも、段々とテーマが決めづらくなってきて(笑)。

どういう写真が撮りたいか、よりも、始めた動機は「アラーキーになりたい」「大道になりたい」

それでもテーマが必要なんですね。だから、毎回何も分かってないのに、とってつけたようなテーマを決めるわけですよ(笑)。徐々に、写真は楽しいけれど「ファッション写真は違うな」と思い始めたんです。そんな時、本屋でたまたま荒木経惟さんと森山大道さんの写真集を見つけて、「こんなかっこいい写真があるのか」と気付いて写真を知った。それが原体験になっています。

関連記事:「裸ノ顔」は"殺し合い" 写真家・荒木経惟ロングインタビュー (ダ・ヴィンチ)

伊丹:僕が写真にのめり込んだ時は、どういう写真が撮りたいか、何が言いたいか、よりも、単純に「アラーキーになりたい」「大道になりたい」が動機で始めたんですよ。先輩の功績に関する本を読んでいく中で、日本の写真家を辿りはじめました。そのプロセスが、僕の大きな基盤になっているんです。思い入れと思い込み。写真って幅広いことができるし、いろいろな種類があるんです。それを知りたいということ以上に、僕は「日本の写真家」と呼ばれる人種になりたい気持ちがすごく大きくあります

ーー伊丹さんは海外で高い評価を受けている写真家の一人ですが、作家を見る目は世界と日本とはどう違うのでしょうか?

伊丹:世界の標準はそんなに分かるわけではないけれど単純に言うと、海外だとしがらみが無いので、すごく楽。作品を見て、作家について調べて話をして、面白いかどうかを判断される。まだ海外ではそこまで深い活動ができていないこと前提で話していますけれど、日本で活動する時と結構違うかな。

海外は素直ですよね。面白いと思えば、すぐに買ってくれる。もちろんステージがあって、作品だけで判断されるわけではないのですが、背景や履歴が海外の人には理解できないものも当然あるので、そういった意味でしがらみが少なくて楽です。写真に限って言うと、最近の海外では日本びいきで、日本人というだけで面白がってもらえる空気は感じていますが、それもずっと続くわけではないとも思っています。

海外進出を日本企業がサポートしてくれるプログラムの存在も大きいですよね。アート系写真でしたらパナソニックさんですけど。

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ーー海外で注目されるまでに至った背景を詳しく教えてください。

伊丹:僕は、もともと2004年に「キヤノン写真新世紀佳作」を受賞して、キャリアが始まったんですね。でも、誰も作品を「いいね」と言ってくれない時代が7、8年続いたんです。

写真を辞めなければいけないのかなと思ってました。その時期に、写真をやっている男性と出会いがありました。「伊丹さんのファンなんです」と話しかけてきた時、僕の写真をアプリにいっぱいダウンロードしたiPhoneを見せてくれたんです。そして彼が「伊丹さん、手伝いますので、一緒に本を作りましょう」と言ってきたんです。その頃はzineが流行る前だったんですけど。

正直、凄い嫌で(笑)。でも、熱心に誘ってくれたので、一冊作ったんです。それが2009年の「MAZIME 1」で、その後2-3年かけて「MAZIME」シリーズを作るまでに至ったんです。その彼は、河西遼君という写真家です。

「MAZIME 1」は50部作りました。当時は、海外から自分たちが目をつけたzineを買ってきている、インディペンデントな本屋さんがあって、東京にあるPANORAMA WEB SHOPと、名古屋にあるエビスアートラボ(現ON READING)と、当時は新潟にあったBOOK OF DAYS(現在は大阪)に連絡して、売ってもらったら、直ぐに完売したんですよ。

ーー「MAZIME」写真集が海外へ広がっていったんですね。

伊丹:回を重ねていくごとに販路が広がっていき、知ってくれる人も増えていきました。2回目の時だったと思います。ネットで気になっていた海外の作家さんや編集者さんで、連絡先を公開していた人たちに「一緒に仕事がしたい」とメッセージを付けて本を送り始めたんです。

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4冊目を作った2012年に、イタリアのファッション雑誌「PIG Mag」がインタビューしてくれたんですよ。写真家特集で、僕の前がアリ・マルコポロス(Ari Marcopoulos)、その前がコリー・ブラウン(Coley Brown)と錚々たるメンツだったんです。そこで取り上げてもらえたことで、世界が広がっていきました。

丁度同じ時期、アート系の写真家を支援していたパナソニックさんが特別協賛している「BEYOND 2020」のプロジェクトで声をかけて頂いたんです。僕はそのプロジェクトの参加者でもあるんですが、その頃、日本で、僕と同じ世代の中で一つの大きな流れができていた感があります。

横田大輔くん、水谷吉法くん、濱田祐史くんがいて、それぞれが活動をすると、個人の活動を超えて、「世代」として見てもらえた実感がありました

関連記事:INTERVIEW Vol.15 横田大輔 / Daisuke YOKOTA(parapera)

特に、横田くんが海外に行ったことで、彼が大道さんたちの後に続く「ネクスト・ジェネレーション」的に取り上げられた。60年代のやり方を現代でもやっている面白い写真家がいると、海外が意識し始めたんです。その世代の写真家の一人として見てもらえたことも大きかったと思います。

ーー海外の人は、伊丹さんの写真をどう見て、どんな反応をしているんですか?

伊丹:海外の人が面白いのは、ニューヨークアートブックフェアとかに行ったりするといろいろな人が来ているんですが、そこに派手な色の服を着ている黒人と、その取り巻きがいたんです。絶対あやしい仕事の人だろうなあと、思ってました(笑)。その彼が僕の本を見たら、めちゃくちゃ感動して、褒めまくって買ってくれるんです。3、4人いた取り巻きも全員買ってくれたんです(笑)。

彼らが何に反応しているのか、探っていると写真を理解することよりも、色に反応しているんですね。恐らく彼らには、かっこいいファッションに近い感覚なんですね。アウトプットだけで僕の写真を見たら、美術を知らなくても反応してもらえる要素がどこかにあるかと思えば、とても日本的に見えるんだと思うんです。

後から気がついたんですが、自分がやっていることは浮世絵に近い気がするんです。僕が「レイヤー」を重ねていく構造で写真を撮っていくことが、浮世絵の版を重ねて作る作品に近い作風に見えるて、余白の取り方や、間といったような要素が西洋文化圏とは違う日本的に感じる理由だと思います。

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『this year's model』(RONDADE)より

ーー写真家の本質は変わらないけれど、写真家の役割はこれからの未来は十分に広がりそうですね。

伊丹:今年は今までとは違ったプロジェクトを始めます。僕と、「蝶」の標本を作っている朝野さんという方と一緒に始める「蝶々」を媒介にしたプロジェクトなんです。

蝶は人が森を切り崩したりすると直ぐに絶滅したりします。だから、朝野さんがどういう思いと哲学で、蝶の標本を作り続けているかを知って、僕も一緒に蝶を取りに山に入って歩き回って、プロジェクトとして続けていくつもりです。

朝野さんは、蝶採集用の専用ジャケットを自分で作って販売しているんですよ。三角のポケットがいっぱいついているデザインなんです。そこに取った蝶を包むための用紙を入れる。本気で蝶を採集するためのギアです。そのジャケットはファッションアイテムとして認知されているみたいです。

関連記事:butterfly hunting jacket 2nd(Tehu Tehu)

伊丹:蝶採集を媒介に日本全国を回ろうと計画しています。あまりに知らないことが多いので、勉強することばかりですが、地道に積み上げていこうと思っています。

最初はこの蝶々取りジャケットを撮ってほしいと連絡を受けたんです。でも話を聞いていると、「洋服の写真撮影だけで終わらせるのは勿体無い」と思って、すぐに彼のアトリエに行きました。いいプロジェクトができる気がしていて、写真を撮ることを基点に、世界が広がっていくことが面白いんですよ。

ーー伊丹さんが一番写真に興奮するところは、どこですか?

伊丹:本来は奥行きがあるものがペラッペラに写っていたり、絞りを開けていくと妙に立体的に見えたり。写真は、光学的な操作の結果や、構図次第で対象の意味が全く変わってしまいます。技術的なアプローチから、人の五感と認識に訴えかけられることが、僕は写真の一番面白いところだと思います。

例えば、アンドレアス・グルスキー(Andreas Gursky)の写真。ひたすら細部が写っている写真に、もの凄い興奮を感じることって、人が対象物をもっと細かく見たいと思っている欲望の表れだと思うんです。

参考記事:アンドレアス・グルスキー インタビュー(ART iT)

伊丹:今、自分が写真を撮ろうとする時、肉眼で見えてないものも、シャッターを切れば撮れると分かっています。だから、自分が何を見るかの主題は、昔ほど重要じゃなくなってきたんですよ。自分が想像もしていなかったものが写真には写っているかもしれない。後の作業で、ソフトウェア上で見つけられるかどうか、が今のスタイルにつながっています。昔は、「これを見せなければならない」とずっと思っていましたけれど。

でも、自分の素養と教養では、クオリティが低いなといつも思います。2、3年後ならまだしも、10〜20年後も写真を続けているとすると、僕はカメラを持って歩いて撮るという一番の大原則に立ち返って続けていかなければ、恐らく写真家を続けられないという危機感がもの凄く強くなってきました。

ーーその危機感をどんな風にコントロールするんですか?

伊丹:撮る行為を続けることへのトライ・アンド・エラーですね。僕が写真家という肩書で勝負するなら、撮る行為でしか行きつけないところに行かないと、勝てないじゃないかなと思うんです。

ーーそこに気付かれたキッカケは何ですか?

伊丹:2016年に大阪で大きな展示をやらせてもらったんです。インスタレーションと映像作品と組み合わせた大きな展示会で。ただ、実際に写真を展示してみたら、いたらないところ、自分の駄目だった部分にたくさん気付いたんです。その時に、写真を撮ることに原点回帰しなければ、という思いが強まりました。

ーーそれで10年後までを考えたんですね。

伊丹:写真家って定年がないじゃないですか。今年40歳で、この後20年活動しているってことは、それなりに評価がないと続けられないはずですよ。体育会系ですよね(笑)。

ーーそんなことはないですよ(笑)

伊丹:でも、デジタルカメラは過渡期にあって、これからもどんどん進化していくんです。性能も技術も更新されていく。だから、機材をアップデートさせていけば、10年後には、今と同じものを撮っても絶対に別物になるはずなんです。

僕は、人間の目で見ているものなのに、単純にカメラのレンズを通して撮ると、別物に見えてくることが、未だに面白いんですよ。だから、テクノロジーが変わることで、自分がやっていることが、別の物に変わっていく面白さって、誰もが感じると思っています。これからもテクノロジーと併走していけば、作品がアップデートされていくから、大丈夫という思いはあります。

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関連記事:写真はもっと おもしろがれる! (ほぼ日刊イトイ新聞)

ーーテクノロジーが発展したおかげで、デジタルカメラの他にスマホのカメラも発達してきましたが、それらで撮られた写真を写真と呼ぶのか、という見方はお持ちですか?

伊丹:まったくもって写真なんじゃないですか。あれもこれも写真じゃないかなというのが実感です。スマホみたいにパーソナルなガジェットがここまで発達して、瞬時に撮って人にシェアできる社会の流れの中で、写真を撮って売っている写真家って一体何なのか、と写真家が考えないわけがないですよ。

そこに対して、これまでやってきた先輩たちのフォーマットをお借りする、または引用するやり方で逆流しないといけないと僕は思っています。写真をどんどん壊して違うものにするやり方もあるけれど、今の大きな流れを逆上していって、今までカッコ悪いと思われていたところに向かう方が、強いんじゃないかなと。

僕は、四角いファインダーの窓じゃないと駄目。恐らく、写真家という肩書がある以上、四角い窓で見たものを定着させていくことが大事だし、構図と絞りを決めること、それが写真家だと思う。それが、自分のやれることだという認識はあります。

ーー写真が見る人に伝える迫力もそうですが、写真が伝えてくれる情報量や真実の意味も、昔と今では変わってきていると思います。特に加工できるツールや、SNSの情報共有によって、事実とは異なる情報を人が認識してしまうこともあります。

伊丹:真実という言葉は重いですよね。荒木(経惟)さんが仰ったように、写真はいくらでも嘘をつけるんですよね。最近、テレビを見ていると、一般視聴者の映像をテレビ局が使っていることあるじゃないですか。あれが真実か、と問われれば、真実とも言えますし。だから、僕の感覚は全部真実で、全部嘘なんですよ。ですけど、どうやってそれを見分けるかと聞かれたら、わからないですね。例えば、被写体の人が、笑顔の写真だったら幸せそうに見える。だけど本当は怒っているかもしれない。写真はそういうものなんです。

関連プロジェクト
LUMIX MEETS BEYOND 2020

株式会社アマナがパナソニック特別協賛のもと、これからの日本のアートフォト界をリードする若手写真家の支援と育成を目指す国際プロジェクト。次世代の写真表現を予感させる若き写真家が一堂に会すグループ展を毎年東京と海外で開催。これまで、うつゆみこ、濱田祐史、水谷吉法、赤鹿麻耶、kosuke、伊丹豪、山本渉、横田大輔、吉田和生などが選出され、個展や国際アワード、写真集など、若手日本人アート写真家たちが世界に活躍の場を広げるキッカケを生み出している。
http://beyond2020.jp