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アイスム発!就活生応援企画 センパイのエントリーシート見せてください!

業界File.001 国内最大手広告代理店

田中泰延さん

エントリーシートはキャッチコピー

電通クリエーティブ局に24年、花形業界の栄光と日陰

2017/05/12 UPDATE

自己紹介・業界紹介

元電通コピーライターが語る、華やかさの裏側

初めてお会いした田中さん、(意外にも)やわらかい雰囲気の愉快でステキな男性でした!初めてお会いした田中さん、(意外にも)やわらかい雰囲気の愉快でステキな男性でした!

自己紹介を簡単にお伺いできますか。
田中泰延といいます。今年10月に48歳になります。1993年4月に新卒で入社して、2016年12月31日まで株式会社電通の関西支社に勤めていました。仕事はコピーライターおよびCMプランナー、24年間クリエーティブ局でした。
多くの学生が憧れる職業だと思いますが、具体的にどういうお仕事をしているんでしょうか?
まずクライアントに呼ばれた営業が、新商品が出たとか売り上げが落ちてるとか、課題を社内に持って帰ってくる。課題に対してコミュニケーションのアウトプットの部分、つまり他人の目に最終的に触れるカタチを考えるのが、我々コピーライターおよびCMプランナー、そしてアートディレクターの仕事ですね。
どんな作業になるんですか?
言葉を考え、起用するタレントを考え、4コマ漫画みたいなコンテを描いて『誰がどこで、こういうことを言います』っていう案をつくる。100案も200案もつくるんです。最終的にはそれがCMの1コだったり、競合で負けたらゼロだったりするので、報われない仕事でもありますよね。
報われない仕事、ですか。
企画はどこで誰の目に留まるかわかんないし、どういう案が優れてるか決まってないじゃないですか。上司やクライアントが僕の企画にじっくり向き合ってピックアップしてくれるとは限らないですよね。たとえ電通では田中の案が採用されてクライアントに恭しく提案しても、1週間たっても返事がない。様子を伺いに行って担当者の机を見ると、裏返して置いてある。ああ、1週間放置されてんなって。よくあることです。

無職の現在、どうですか?

昨年末に退職されて、今現在は何をしてらっしゃいますか?
この3カ月、実は1日も休みがなくて、何か書いて欲しいという依頼を受け続けています。でも今めっちゃ自由です。好きに書いて好きに発表したらなんらかの反応があるから、楽しい。
退職されたキッカケはなんだったんでしょうか。
2015年の3月に『街角のクリエイティブ』というサイトを運営している西島さんから、『映画評を書いてくれないか』と言われて。ふと書いてみたら、なぜか書くのが止まらなくなってしまって。それからは好き勝手に書くのが楽しくて、広告がもともとニガテだったことを改めて実感してしまったんですよね。
『田中泰延のエンタメ新党』ですね。情熱を感じる連載です。田中さん、広告はニガテだったんですか。
うん。ニガテ。
なぜですか?
クライアントの持つ課題について考えるということは、脳を乗っ取られるってことじゃないですか。乗っ取られながら100案も200案も考えて持ってったら『違うんだよなあ』って言われるんです。クリエイターとして名を馳せる人は、クライアントの持つ漠然としたイメージのさらに上をいく案を出すから成功してるんだろうけど、僕はそこまでできなかったし、ヘコむ方が勝ちましたね。24年間、ちょっと疲れました。
人に頼まれたものをつくることと、自分が好きなものをつくることは大きく違うのでしょうね。華やかな職業に思えていましたが、地道で厳しい世界なんですね。

よく働き、よく稼ぎ、よく学び……
ストイックだった青年時代

学生時代のことを教えてください。
高校生のとき、お金の稼ぎ方を覚えたんです。週末にディスコでダンスパーティを企画したり、金持ちの友達が着古したブランド服を買い取ってほかの高校生に売ったり。それで早稲田大学の夜間学部、第二文学部1年生のとき、DeNAを創業した川田尚吾や、ザッパラスを起業した玉置真理、インテリジェンスの創業に加わった高橋広敏、 そんな連中が集まっていた学生企業にスカウトされました。
スカウトされるほど商才が知れ渡っていたんですね。期待されてたんだ。
でもその集団には超人レベルのやつが集まってたんです。ないところから仕事を見つけてくる。パソコンなんてまだIBMしかなかった時代に『これからはインターネットだ』と言ってビジネスをつくるような人たちだった。だから1年でついていけないなと思い、起業家集団を抜けました。
それからはどういう学生生活を送られたんでしょうか。
トラックの運転手になったんですよね。卒業するまでずっと、朝5時に起きて、トラックに荷物を積んで運んで降ろして、また積んで帰ってきて、学校へ行く。苦労話に見えるけど当時はバブルだし、出来高がめっちゃもらえるんですよ。だから当時流行ってた真っ赤なホンダ・プレリュードも買ってね。ブイブイお金つかってました。
実生活も派手だったんですか?
普段は、授業が終わったらまっすぐ帰って、図書館で借りた本を寝落ちするまで読む。それか当時やっと出始めたレンタルビデオを借りて、映画を観たりね。次の日も仕事なのに寝る間も惜しんでやって。そりゃもう、ほんっとに楽しかった。
こうして伺うと、名門早稲田大学とはいえ、よく遊びよく学びよく稼ぐ、フツウの学生さんという感じがします。ではそんな田中さんがなぜ名だたる企業から内定をもらえたのか、なぜ勝てたのかというところを、探っていきたいと思います。

エントリーシート、見せてください!

エントリーシート

これ、マジで出したんですか?

……これ、さすがにふざけてるでしょ?怒りますよ。
ホントにそう書いて出したんですよ。今見てもひどい。全然参考にならないなと思って。
いやまったく、そうですね。
就活していた1992年は、まだ少しだけ景気のいい香りが残ってた。だからこういうことも許された。全部にこれを出してます。この、字もおっきくてバカなエントリーシートを。
なんでまたこんな外道とも言える書き方をされたんでしょうか。

エントリーシートはキャッチコピー!?

田中さん、とぼけてないで、このエントリーシートの意味を教えてくださいよ。怒りますよ。田中さん、とぼけてないで、このエントリーシートの意味を教えてくださいよ。怒りますよ。

相手に訊ねさせることが大事だと思ってたんです。『学生時代、キミはなにをしてきたんだ』と訊かれたらひと言だけ、ここに書いたように『トラックの運転手です。今日は仕事を休んで来てます』しか言わない。すると面接官は『なんだそれは』となるんです。
そりゃそうですよね。私も『なんだそれは』と思いました。
そこで一生懸命話すんです。面接官が(ちょっと面白そうだな)って思ってくれたらこっちのもんです。興味を持ってもらうことが最初です。『トラックの運転というのはですね、こうやって排気ブレーキを』と楽しそうに延々話す。すると面接官は『ほうほう、面白いな。俺もトラックの運転手、やってみたいな』と言い出す。そしてハッと気がつくんです。『なんで俺がトラックに乗るんだ。お前がうちの会社で働け』。そしたらもう内定です。
伝えるメッセージを絞って興味を持ってもらう。これって、広告のメッセージの伝え方と相通じる部分があるのかなと思います。
そうですね、今見るとポスターですよね、キャッチコピーが書いてある。
多くの就活指南では、エントリーシートは自分をいかに詳しく正確に伝えるかが重要だと教わりますが、田中さんの場合は真逆ですね。エントリーシートで興味を引いて、詳しく話すから面接に呼んでくれと。
問わず語りは、うっとおしいんです。ズバッとひとこと言えば相手は訊いてくれます。これは日常生活でもそうなんですよね。『今日ね、朝起きてね、こんなことやこんなことがあって、めっちゃ腹立つねん~』って言われるとウンザリしますよね。ところが、部屋に入ってきていきなり『ほんま腹立つわ~!』ってひと言叫んだら、『どうしたん?』って訊いてもらえる。もうこっちのものですよね。

伝授!【プノンペンのジョー理論】

就職活動の場では、実際どう話すのが効果的なんでしょうか?
いざ面接で詳しく訊かれたときには一生懸命話さなくちゃいけないんですけど、ポイントがあるんですよね。僕は【プノンペンのジョー理論】って言ってるんです。
えっ?カンボジアの首都プノンペンですか?ジョーって誰ですか?
人にせっかく訊かれたことは、情景が浮かぶように答えないと、決して覚えてもらえない。
よく分からないので、詳しく教えてください。
たとえば、キャッチコピー的に『アジア、超くわしい』って書いたとします。訊かれて『はい、私は交換留学生としてカンボジアに行き、その土地の問題と貧困について研究し、国際的な支援の方法について総合的に学びました』と返答する。これ0点なんですよ。
優秀な学生っぽい印象は受けますが、どうして0点なのでしょうか?
なぜか。それは、具体性がゼロだからです。キーワードとしては『交換留学生』とか『カンボジア』とか、『国際支援』も『総合的』も『学びました』も、全部いらないんです。そうじゃなくて『1997年の4月4日でした。ひどい豪雨の夜で、大きな雷が落ちてプノンペンの街がすべて停電したんです。僕がいたバーも真っ暗になって、暗闇の中でひと晩過ごしました。そのときにバーのマスター、ジョーっていう男がこう言ったんです。この国はまだまだ支援が必要なんだ、と。そして僕、気づいたんです』なんていう風に話す。
情景が見えるようにストーリーを組み立てるんですね。
まるで目に浮かぶように話をすれば、みんな興味を持って耳を傾けるじゃないですか。『ほうほう、お前の学んだことは具体的に?』とさらに訊いてもらえる。
確かに面接でそんな話し方ができる学生がいたら、魅力的ですね。

採用担当者は、いったい何を見ているの?

採用担当者はエントリーシートや面接で、学生の何を見ているんでしょうか?
就職活動では、ふたつしか聞かれないんです。『お前は何をやってきたんだ』と『うちに入って何ができそうなんだ』、このふたつ。
ふたつだけですか。
『その会社でキミがしたいことを、夢を語りなさい』という就職指南はよくあるけど、面接官が知りたいのはそこじゃない。したいことがあるんなら、会社に雇われるよりも自分で会社をつくった方がいいよね。
5年前の私に聞かせてやりたかった……。そのふたつを伝えるとき、重要なことはなんでしょうか。
いちばん大切なことを1コだけ言うんです。いっぱい言われても面接官は、たかが21、22歳の学生が何言っとるんだと思っちゃう。自分で自分をラベリングするのもよくないです。『僕は部活動でキャプテンやってるんで、リーダーシップがあります』っていう人、たくさんいるじゃないですか。リーダーシップがあるかないか決めるのは、相手やと。上手くいかない人はたぶん、それが間違ってるんじゃないかなと思います。
人生経験豊富な社会人を前にして、必要以上に自分を大きく見せようとするのは誤りということですね。

「マスコミに行くのがオレたち早稲田だ!」

就職活動をするにあたって、どういう業界をどういう基準で選んでいたのでしょうか。
マスコミに就職するのが早稲田の文系だぞみたいなムードに流されたんです。単純に。
当時も今も、マスコミは花形だし、早稲田はマスコミ志向なんですね。
こっちはトラックに乗って作業服着て大学に来てるというのにね、リクルートスーツを着た同級生がね、『オレたち早稲田は出版社とか代理店とか、テレビ局いかなきゃダメだろ』って言うんです。じゃあその通りやってみようと受けたのが、電通・博報堂・大広、講談社・集英社・小学館、TBS・日テレ・テレ朝。最後になぜかメルセデスベンツジャパン。ベンツが社販で安く買えるんじゃないかなって思ったから。落ちましたけど。電通のほかに、出版社とテレビ局それぞれ1社ずつ内定をもらいました。
電通を選ばれた理由は?
関西支社があったからです。故郷の大阪に帰りたくなったら帰れる、それ以上の考えはあんまりなかったんですよ。そしたら1995年に阪神淡路大震災が起こった。それで父親の住む実家が全壊したんですよ。怪我はなかったのが幸いでしたけど。僕も帰って手伝わなくちゃヤバいと、届を出して転勤しました。そんときに、関西に支社のある会社でよかったなと思いました。

ツワモノ揃いの同期たち

広告業界というと個性がとても重視されるイメージがありますが、就活当時はライバルだった同期の皆さんも個性的な人たちが多かったですか?
10月の内定式で初めて飲みに行ったとき、その同期200人が面白かった。たとえば、望月衛介くんは、B.B.クイーンズのキーボードをやっていた人でした。面接で『キミは何やってきたの』と訊かれたら『こないだの紅白歌合戦に出ました。ピーヒャラピーヒャラって歌えるでしょ?あそこで僕、キーボード弾いてました』と答える。もう合格。
やはり電通ともなると、特別な一芸を持っていないと難しいのでしょうか。
広告業界はちょっと特殊で、有能そうな人よりも面白そうな人っていうのが採用基準にあるのかもしれない。もちろん単純に有能な人が活躍できる部署もあるから、いろんな人が必要とされていると思います。ただやっぱり広告を志すんだったら目立つこと、人に興味を持ってもらえることは意識していたいところですね。

知られざる、挫折と苦悩の24年

無敵な感じで就活戦線を勝ち抜いてきた田中さんですが、当時悩んでたことや、怖かったことはありますか。
そんときはなかったです。僕は学生時代に起業家集団にスカウトされたときや就職活動するとき、節目では無敵感なんですよね。『高校生で商売回してたオレ、そらあ呼ばれるよね、一緒にジョインだぜ!』って起業家集団に参加して、1年すると『オレ超劣等生や!』と脱退する。『オレは無敵だ、就活なんかどこでも内定とってやるわ』って意気込んで、実際内定をもらう。けど入社するとすぐにまた『こんな劣等生、死にたい』と思うんです。
就職してからの方が、悩んだり挫折したりすることは多かったですか。
はい。これはもう今だから言っちゃいますけど、24年間にストレスで30kg太りましたからね。入った頃はめっちゃ細マッチョやったよ。これが高校三年生のとき。

俳優!?イケメン俳優!?田中さん、田中さん。ウソついちゃいけませんよ。俳優!?イケメン俳優!?田中さん、田中さん。ウソついちゃいけませんよ。

めっちゃかっこいいじゃないですか!
もう今や、元気なクマさんみたいな風貌ですけどね。その上、過労やストレスで4回入院してますし、とうとう24年目に辞めてますからね。1カ月間以上の入院を4回もするっていうのは、逃げたい気持ちの表れなんですよ。
そこまで、しんどかったんですね……。

精悍な美青年が元気なクマさんへと成長する、社会はかくも厳しいものなんですね、田中さん。精悍な美青年が元気なクマさんへと成長する、社会はかくも厳しいものなんですね、田中さん。

戦う就活生へのメッセージ

“行きたい”方ではなく“向いている”方を見極める

相手から耳を傾けてもらうテクニックは田中さんの場合、もともと得意だったのか、あるいは経験によって獲得したもの、どちらなんでしょうか?
先天的だと思うんですねー。悲しいことに世の中のいろんなことがそうだと思います。例えば僕はアドリブで司会やプレゼンをすることが得意ですが、それは訓練の成果ではなくて、体がそう動くんですね。自分が何が得意かを知って、それに合った道を選ばないと失敗すると思うんです。
日本で一番の広告代理店で24年間働いてこられて退職された今、ご自身の職業選択が正しかったか誤っていたか、適正があったかなかったかについてはどう感じますか。
僕の考えでは、社会の仕組みの方がその人を適切に振り分けるんです。得意不得意を最低限、自分で見極めることさえすれば、あとは自動だと思うんです。
最低限、不得意じゃない方へ進めば、社会が導いてくれるということでしょうか。
たとえば僕が野球選手にあこがれるのは間違いですが、オフィスワーカーで、中でもマスコミ業界に目を向けたことは正しかった。あとは、電通が僕を採用する方に振り分けるし、その中でクリエーティブ局に振り分ける。利益を得ようとする社会の機能構造が、人間を適切に振り分けると思っています。だから後悔はあんまりないと思うんですね。その仕事を選んで後悔してる人は、向いてないことを選んじゃったか、適切なところにいるにもかかわらず、諦めた道へのドリームが残っている状態だと思うんですよ。
人はいずれ、自分がいるべきところに導かれると。
でなければ社会にこんなに多様な職業があって、みんなが納得してそれぞれの職業に就いてないよね。だから学生さんには、最低限向いてるところを見定めたらあとは心配しないで、社会の振り分け機能に身を任せてもいいということを、教えてあげたいですね。
確かにそうなのかもしれません。それを知って安心する人は多いでしょうね。
『広告業界に行きたいです』って言う学生さんはすごく多いですが、『行きたいと向いてるは違うから、まずそこを考えようね』と伝えてます。
不得意な方にあこがれを持ってしまった人にとっては、厳しい言葉でもありますね。

広告業界に“向いている人”って?

でもやっぱり、田中さんにあこがれている広告業界志望の学生さんなんてすごく多いと思うんですが。
なんと、間違った人たちですよね。

田中さん、田中さん。キメ顔でとぼけるんじゃあないよ。田中さん、田中さん。キメ顔でとぼけるんじゃあないよ。

(笑)そんな学生さんが、自分は広告業界に向いているのか否かを考えようとしたとき、何を指針にするといいと思われますか?田中さんのように弁が立つわけじゃないけれど、発想や思考が豊かで優れたアイディアを出せる人だって、いると思うんですが。
今すごく便利なのはツイッターですよ。だって自分の名前と写真と、キャッチコピーみたいな短文を書き散らかして、日々、世に向かって放てるわけでしょ?あれで最低、万の単位の支持が得られなかったら、広告向いてないなんじゃないかな(笑)
つまり、広告業界に向いてる人というのは……?
フォロワー、最低、1万人(笑)こんな分かりやすい装置があるのに、使おうともしない人までいますから。いくら広告業界に興味があったって、それは向いてないですよ。
世の中で流行っているサービスをまず使う、使いこなす、その中でインフルエンサーになる。自分のブランディングができなければ、広告でほかの商品のブランディングはできないということですね。
テレビ局でディレクターとして視聴率20%獲るとか、広告業界でこの商品を100億円売上達成するとかっていう難問があるのに、自分という人間が1万人から興味持たれないんだったら、もうアカンでしょう。それが入り口だと思う。

2017年、シュリンクする就活

広告業界を目指す学生さんとお話される機会も多いかと思いますが、やっぱりユニークなエントリーシートを書く学生さんが多いんでしょうか?
でもね、エントリーシートは東日本大震災以降のこの4、5年、特につまんなくなりましたね。マジメ度が上がった。
へえ、それはどうしてでしょう。
たぶん日本経済がさらに萎縮してるんじゃないかなあ。経済のシュリンクと、おどおどしたエントリーシートは比例していると思います。みんな不安なんですよ。『大胆なことをやって箸にも棒にもかからなかったらオレの人生は終わりだ』と思ってる人はすごく多い。
後がない状態だと、萎縮しちゃうんでしょうか。対する企業側も、結局は画一的な扱いやすい人を求めてる側面もあるんですかね。
どんどんそうなってると思いますね。これだけコンプライアンス意識が厳しくなってしまうと、型破りなやつが入ってきたら会社側も手に負えなくなってしまう。懐の広い印象のある広告業界も、20年前から見るとずいぶん固くなりました。

リスクとチャンス、あなたはどう捉えますか?

田中さんのエントリーシートは王道の戦法ではないですよね。それでも勇気をもって舵を切れたのは、どうしてでしょうか。
学生の自分にはどこに受かろうが受かるまいが、失うものがないからです。受かったらラッキー、受からなくても何も変わらない。ダメでもともとなんです。その気持ちは今も変わりません。ちょっと動いたらそれはもうプラス1、もっと動けばプラス10、もっと動けばプラス100、だってベースがゼロだから。恐れる必要がないですよね。
今、まさに動いて動いて、がんばっている就活生に対してメッセージをいただきたいです。
さっきも言いましたが、就活は“それまで自分が何をしてきたか”と“これから自分が何をできそうか”を初めて考えるチャンスになると思うので、とてもいい機会だと思ってやってほしい。そして自分の得意なこと、不得意なことを見極めてほしいです。社会人になるとリタイアして年金をもらうまでは延々と労働する日々に突入します。悔いのない職種や働きたい会社を、じっくり選んでください。

おまけ

テンプホールディングス副社長の高橋さんと、田中さんのいまむかし。ジャケ写みたい。テンプホールディングス副社長の高橋さんと、田中さんのいまむかし。ジャケ写みたい。

……ところで、さっきのプノンペンのエピソードは、もしかして田中さんの創作ですか?
そりゃそうだよ(笑)でたらめですよ。
ほんとに!?
学生と会うたびに【プノンペンのジョー理論】を話してたら、面接官やってた電通の同期が、『田中、オレ今年面接で200人くらい会ったんだけど、そのうち2人が、プノンペンで停電した話してさあ』って首をかしげてるの。あれ、お前ら僕から聞いた話そのまま言ってるよね?(笑)ちょっとくらいアレンジしろよ。
そもそもウソはよくないですよ!
ウソはね、大事なんです。現実に抗って笑顔で生きてくためには、人間にはどうしてもウソが必要なんです。広告業界の人ってね、ウソつきが多いんですよ。でもね、悪気はないの。
……まあ、夢を売る商売ですもんね。『広告業界の男性は要注意』……っと。

要注意認定の田中さん!たいへんご多忙のところ、盛りだくさんのお話をありがとうございました!要注意認定の田中さん!たいへんご多忙のところ、盛りだくさんのお話をありがとうございました!

話し手:田中 泰延(たなか ひろのぶ)
田中 泰延(たなか ひろのぶ)新卒から24年間、電通のコピーライターとして活躍したのち、昨年末に退職。
Webメディア「街角のクリエイティブ」での映画評が現在累計120万PVと、大きな話題を集める。
高校時代に開花した商売人としての才能を活かし、大学時代は伝説的な起業家集団にスカウトされるも1年で脱落。以降、早稲田大学夜間学部とトラック運転手業を両立しながら荒稼ぎする。
映画と読書と綺麗な女性が大好きな、博覧強記の47歳。
Twitter:https://twitter.com/hironobutnk
連載:「街角のクリエイティブ」
聞き手:海坂 侑(うなさか ゆう)
海坂 侑(うなさか ゆう)都内IT企業に新卒入社し、営業職として勤めたのち退職。
就職活動では必ず個人面接で落とされた人格破綻者。
現在は日々ボンヤリしている。
Twitter:https://twitter.com/ameni1952
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