◆キャリー 鑑賞◆
(原題:Carrie)
2013年公開
上映時間:99分
・監督:キンバリー・ピアース
代表作:ストップ・ロス/戦火の逃亡者
・脚本:ロバート・アギーレ=サカサ
ローレンス・D・コーエン
★出演者★
クロエ・グレース・モレッツ
ジュリアン・ムーア
ジュディ・グリア
ポーシャ・ダブルデイ
他
オススメ:★★★★☆
◆summary◆
あの頃はできなかったこと。
今ならできること。
そして、私達なら「こう描く」
映画/ドラマ製作はただでさえギャンブルなのに、より高いリスクを取る手法がある。
リブート、リメイク。
2000年以降とりわけ10年代に入ってからこのワードが頻出していますよね。
新解釈で大成功するもの、そして散っていくもの。
触ってはいけないものが世の中にはある一方で(例えば村上春樹作品の映像化が中世中国の科挙並の難易度だということとか)広く受け入れられる作品もある。
作品とは製作された時代の色を反映するものだから、断続的に過去になっていく「今」を基準にして新解釈しても、オリジナルを覆い隠すことは難しい。
同じ題材を扱っていても出発点が違うのだから「別物」として捉えればいいのだろうな。
本作は知る人ぞ知る1976年公開の「キャリー」のリメイク。
原作はスティーブン・キング。
伊藤計劃の「虐殺器官」のプロローグでもほんの少し言及されている
豚の血を頭からかけられた少女のポスターは有名です。
あの名作を、どうしてこのタイミングでリブートさせたのかを製作陣に問う前に、
というより、ワタクシはあの娘見たさの為だけに(笑)「2013年版キャリー」を
観て、受け入れてしまいました。
少女が大人になる、その瞬間の妖しさを。
◆comment◆
2013年の公開当時観たいなぁと思っいつつも、
ワタクシは「キャプテン・フィリップス」(トム・ハンクス)を劇場で鑑賞していました。そして気にも留めずに月日は流れて2017年に。
ただし「機会があったら観たい」という気持ちが「何が何でも観なくては!!!」と
燃え上がってしまったのは、一重にある女の子と出会ってしまったからでした。
その名をクロエ・グレース・モレッツ嬢、いやもとい、
「ヒットガール」という。
やり過ぎ痛快アクションムービー「キック・アス」(2010年)、「キック・アス/ジャスティス・フォーエバー」(2013年)を昨年末に立て続けに見る機会があって・・・・ゴホン。
というより「キック・アス」を観て(ある休日の13:00過ぎ)、鑑賞後に即「キック・アス2」をレンタルしにTSUTAYAに駆け込んだ(その日の16:00過ぎ)のですがΣ(´∀`;)
ちなみに、キック・アスとキック・アス/ジャスティス・フォーエバーの予告編↓↓
実に様々な方が言及されているように(!!!)、ワタクシも彼女の可憐さにやられたひとりであります。
コスチューム云々の前に、クロエ・グレース・モレッツというひとりの女優の持つ
独特の雰囲気、魅力があって初めて成立する現象ですな。
という訳で、歴史的名作のリメイクだからキャリーを観た、ということは「タテマエ」で
その実、クロエ・グレース・モレッツ見たさにキャリーを観たのが本音です。
ともあれ!!!「キャリー」も「キック・アス」特に2作目のジャスティス・フォーエバーも、少女が大人になるその瞬間の切なさ、危うさ、そして妖しさが作品の根底にあるのだろうと解釈しました。
特にキャリーのカメラワークなんかは、露骨じゃぁないですかΣ(´∀`;)
惚れてまうわ。みたいな。
目の置き所に困る、みたいな。
キャリーって作品はどういうわけか不思議な力を持ってしまった少女が、
普通の少女として淡く切ない時期を過ごしたいという当たり前の思いを無残に踏みにじられてしまうとっても悲しい話なのです。
ワタクシは例えばアンデルセンの「みにくいアヒルの子」やベタなところではペローの「シンデレラ」なんかを想起しちゃうところがあります。
本当は美しいのに殻に閉じこもってしまい、そして周りからいじめられてしまう様には
あ、あのヒットガールがいじめられとるぅうううう!!!
と、拳が固くなっていく。
早く華麗な回し蹴りであいつらをすっ飛ばして!!!
だけど、キャリーはいじめっ子達を前に切なげな表情を浮かべて沈黙するばかり。
母からは罪深いと言われ、自分で自分を持て余し、ある時点までは下を向いていることを当たり前だとしてしまう。
早く華麗な回し蹴りであいつらをすっ飛ばして!!!
だけど、キャリーはいじめっ子達を前に切なげな表情を浮かべて沈黙するばかり。
母からは罪深いと言われ、自分で自分を持て余し、ある時点までは下を向いていることを当たり前だとしてしまう。
自然とそう思わせてしまうクロエと、何よりもう一人の主役であるジュリアン・ムーアの表情、言い回しには脱帽です。
可哀想な少女は誰よりも輝いて行くのです。
キャリーも同じです。
学校一の美男子に(男から見ても、カッコイイわ彼)プロムに誘われ、胸をときめかせるキャリーに感情移入できる人は本当に多いと思います。
キャリーが「普通の女の子の幸せ」を「思い出」を得られるように見守りたい。
シーン毎にそんな気持ちが強くなっていく。
しかしスティーブン・キングというシェフが物語(特に初期の作品)を料理すると
「全く救いがなくなる」のです。
この物語は何よりも替えがたい青春時代というものを汚す権利など肉親である母親にも、もちろん心無いいじめっ子達にも誰にもないと、痛烈に訴えているのだろうなと個人的には考えました。
そしてキャリーが得た不思議な力は「純なるもの」たる若者の心そのものであって、そうであるが故に自身すらも害してしまうものだ、ということも。
それを汚すということはどのようなものであるかを、血まみれのキャリーの姿そのものをもって表現しているのだと。
ホラーというよりも、ヒューマンドラマとして、このキャリーは観るべき作品です。
自分というものを受け入れ、そして違和感を軌道修正しながら生きていく最初の段階を迎えることの難しさと素晴らしさ。
出発点も向かうゴールも同じ方向なのに、作品の色でこんなにも着地点が違ってきちゃうのだよなぁ。
期せずしてキック・アスとキャリーは同じヒロインによる同じ年代の抱える光と影を見事に対比した作品でありました。
あ!いじめっ子役が異様に(笑)板についてるポーシャ・ダブルデイ。
今作品では性悪ガングロギャル(古っ!!)の彼女は、
ワタクシが大好きなドラマ、ミスターロボットでヒロインを演じています。
キャリーでは同しようもない不良娘(マッドマックスにでも出てきそうな)でしたが、ミスターロボットでは可憐なヒロインを演じてます。
観た順番が逆であるため、ミスターロボットで彼女を知ったワタクシとしては本作での悪キャラ振りに驚きました。。。。
みんな、役者だなぁ。
2017年映画鑑賞 71本目
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