国際法務から一般民事まで、専門弁護士によるチーム制で臨む。 / 田中 雅敏 弁護士


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九州最大の繁華街 天神の中心地には、国際法務から知的財産権、一般民事までを手がけ、東京オフィスおよび上海など3カ所の海外オフィスも擁する九州最大級の総合法律事務所がある。しかし、その事務所を立ち上げた代表弁護士は「規模を大きくすることが目的ではない」と語る。さらに、自らが代表だとは、ホームページなどにも明記していない。その真の意図とは?

今回は、明倫国際法律事務所田中雅敏先生にお話を伺った。

「九州で知財弁護士は成り立たない」との批判をばねに成長

– 田中先生が弁護士になろうと思われたきっかけは、もともと何だったのでしょうか。

私が高校生のころは、“We are the World”が流行したりして、世界の発展途上国にいる可哀想な状況に置かれている人々を救おうという気運が高まっていました。私自身も、そういう取り組みに参加して「人助け」をしたいと考えていたんです。

当時のアジアは、現在のような経済成長著しく華々しい状況とはまるで違っていまして、ベトナムはベトちゃんドクちゃん、戦争で枯れ葉剤を撒かれた国、カンボジアは大量虐殺、ラオスに行ったら大麻の密輸、ミャンマーは軍事独裁で、とても危険で暗黒のイメージだったのですが、それを少しでも変えられるのではないか。

それで、外交官になろうと思ったんですね。

– 外交官、そうだったんですか!

当時は外国に行くお金も何もなかったので、公務員になれば国の費用で何かできるのではないか、それで、外交官を目指せる大学のひとつとして、下関から慶應義塾大学の総合政策学部に進学しました。

ただ、大学進学後は、外交官になってアメリカやヨーロッパに行くなら楽でしょうが、スーダンとかエチオピアなど、支援が必要な危険かつ過酷な国へ行って、本当に一生頑張れるのか、人助けにいって、自分自身で自分の面倒を見られなかったら何にもならないので、本当に責任をもって使命を果たせるのか、という疑問も感じていました。

外国へ行かなくても、日本で困っている人はたくさんいますし、人助けをするなら国内で、と考えたときに、弁護士という職業が思い浮かびました。それで大学4年から司法試験の勉強を始めたのです。

– 弁護士になって、現在のように海外を視野に入れた仕事をしようとは、当時はお考えではなかったわけですか。

はい、海外業務をやろうと思って弁護士を目指したわけではないです。司法試験に合格して、福岡で弁護士として業務を始めました。

今では、海外業務、知的財産権やM&Aなど、九州では比較的珍しい法務にも取り組んでいまして、中国弁護士も含めると、16人の弁護士が所属しています。
ただ、大規模化したかったわけでも、海外業務をしたかったわけでもありません。弁護士になってしたかったこと、目的はあくまでも、人助けでした。

1999年に弁護士登録をして、2000年に知的財産権の裁判に関わらせてもらい、この分野の面白さを感じまして、2001年に弁理士登録をしました。

– 知的財産権の分野については、どのような点に面白さを感じたのですか。

一番の面白さは、事業に直結している点だと思います。新しい事業を興すときに、知的財産権をどのように組み合わせて、市場での優位性を保っていくか、様々な工夫が可能です。

弁護士の仕事は基本的に「依頼者の“マイナス”を“ゼロ”に戻す」紛争処理の仕事が中心です。喪失や損害を元に戻し、回復させることが目的の仕事がほとんどですが、知的財産権は、事業についてプラスの価値を創造できる可能性があるのです。そこから税収や雇用の増加に結びつけば、社会全体の底上げが図れ、よりたくさんの「人助け」ができる、その点に面白さを感じています。

– 実際に知的財産権に携わるようになってから、手ごたえはいかがですか。

「九州で、弁護士の知財の仕事なんかないよ」と、いろんな人に言われましたけれども、それでも、現実の流れに理論が追いついていない知的財産権は、これから開拓していく新しい法分野ということで、新参者が取り組んでも研究の余地がたくさんあるんです。

また、九州に知的財産権やM&Aを理解している弁護士がいなければ、企業活動を行う上で重要な経済インフラが、九州にはひとつ欠けている状況だといえるわけです。社会に必要とされていることをやらないというのは、参入が厳しく規制された弁護士という業種に就いている者として、無責任ではないかと考えました。

そういった2つの思いがあり、知的財産権の問題に取り組むようになりました。

九州における中核的な法律事務所を作りたい

– 最初に知的財産権に取り組まれてから、現在に至るまでで、九州の中ではどのような変化を感じていらっしゃいますか。

最初のころ、1999年頃は、経営戦略として知財を組み入れて考えている企業は、九州ではあまり多くなく、せいぜい大企業や技術系の企業に限られていました。海外業務を進める企業も多くなかったです。

現在では、事業のスタートアップにあたって、知財のことを考えるのは必須と言っていいと思いますし、将来的なマーケットを確保するために海外進出も選択肢のひとつに入れる企業も増えました。

何らかのビジネスモデルを立ち上げるのであれば、特許などを確認する必要がありますし、新しいサービスに名前を付けるなら、すでに商標として登録されていないか確認しておかなければなりません。新商品を開発した企業が、その商品を量産できる企業と提携する場合も、知財のことを意識した上での提携を考えなければなりません。

– 最初は、明倫法律事務所を5人で立ち上げたそうですが、そこから経営を拡大させ、徐々に発展させていったという形なのでしょうか。

当初は私の個人事務所の延長線上にありましたが、個人事務所を作るつもりは初めからありませんでした。事務所名に「田中」という名前を出していませんし、今でも私が代表弁護士という表示は極力しないようにしています。

それを2010年以降は、企業からの依頼を、専門性のある複数の弁護士がチームを組んで受任する、今のような法律事務所の形に変更させました。

– 代表ご自身も、他の弁護士と組むチームの一員ということなんですね。

そういうことです。