一冊の、黒く分厚いファイルがある。私の経験、知識、理論をすべて収めている。
社会人野球、シダックスの監督だった2004年、手元に書きためてきた野球理論を「ノムラの考え」として一度まとめることにした。ベースになったのは、1999年に阪神監督に就任したときに作成したミーティング資料。当時はA4版で約40ページのものだったが、冒頭の人生論、仕事論から始まり、野球の本質、さらに投手、打者、捕手、作戦、守備といった各論まで含めた。当時、シダックスの監督付マネジャーだった梅沢直充君がファイル作成に協力してくれた。
投げて、打って、走って。何も考えず、本能のままに動いても、野球はできる。これは他のスポーツと同じだ。だが、「深く考えてもできる」のは、一球ごとにプレーが止まる野球ならではの特質といえる。私は「深く考える」ことこそが、プロの使命だと考えた。
1954年、テスト生として南海に入団し、3年間の下積み生活ののち、本塁打王になることができた。さらに3年後、技術の限界というプロの壁にぶち当たった。俺は野球の技術は二流だなあ、本当に不器用に生まれついたものだなあ、とため息をつきながら、一方で技術以外の要素も野球では必要なのだと気づいた。
それから、試合を終えるごとにノートをつけ、引退後も気づいたことや感銘を受けた言葉などがあれば、手帳にメモを取る習慣が身についた。私にとって「書くこと」は考えることと同義であった。
90年にヤクルトの監督になると、自分のノートを基にして、春のキャンプでミーティングを重ねた。ホワイトボードいっぱいに板書し、書き終えると裏面へ。選手たちは私の板書を一生懸命ノートに写し取り、指導者になった後、迷ったときにそのノートを読み返してくれている者もいると聞かされた。私のやってきたことが、少しでも野球のために生かされているのだ、間違いはなかったと感慨を覚えたものだ。
200ページを超えるファイルの原点が、ミーティングだった。2012年秋、東京ヤクルトスワローズの選手に向けて講演を頼まれた。その際にこのファイルを持参して、「私は何のご縁もなかったヤクルトに監督として呼ばれ、選手にも恵まれて3度も日本一になることができた。感謝してもしきれないほどの恩がある。これからこのファイルが少しでも若い選手たちの助けになるようなら、ぜひ使っていただきたい」と、球団に寄贈した。
今回、そのファイルを基にして、野村克也の野球理論の集大成をヤクルト、プロ野球だけでなく、野球を愛し、楽しんでいるすべての読者に届けたいと考えた。私にとって初めての体系立てられた野球理論書、野球技術書である。
本来がプロ向けの技術書なのに、ピッチャープレートの踏み方、バットの握り方など、野球を始めたばかりの子供に読ませるような「基本」についても触れていることを、不思議に思われる読者もいるかもしれない。
私は、このノートをまとめるにあたって、プロとして生きていくための「基本」をもう一度確認してほしいと願った。高校、大学までに「基礎」は身につけているだろう。それは基礎体力や基礎技術の部分である。だが、プロに入れば見たこともないほど遠くへ飛ばすバッターや、見たこともないほど速い球を投げるピッチャーと対戦しなければならない。
そこで必要なのは、壁にぶつかったらいつでも立ち返ることができる「基本」なのである。このフォームで投げれば、捕手が構えた位置へと投げられる。この方法でスイングすれば、望んだ打球を飛ばせる。プロに入って早い段階で基本、つまり原理原則を学ぶことで、自分自身のスタイル、つまり「プロらしさ」を身につけることができると考えたのである。
プロ野球にかぎらず、現在の社会には「らしさ」が欠けている。社会人らしさ、政治家らしさ、経営者らしさ、指導者らしさ……。部分的な専門知識をかじって基本を怠り、目の前の利益を追い求めて遠くにある高い理想をないがしろにしている。
その道を長く務めあげるために必要な基本、原理原則を忘れないために、ノートを書き、ファイルにまとめ、一冊の本として日の目を見ることになった。
ぜひ、野球の奥深さを知ってほしい。野球を奥深く極めるために「基本」がある。個人技術を高める努力、チームの中で自分を生かす努力の苦しさ、難しさを知っていただきたい。その先にプロ野球選手らしさというものが見えてきて、野球というスポーツがさらに高く、長く進化していくものだと、私は確信している。