「チャーミングで天真爛漫」
籠池理事長という特異なキャラクターを見て、どうです、少しは心を許せますか、やっぱり少しも許せませんか、と問われている間に、満を持して「安倍昭恵夫人は籠池に騙されただけ」という安手の防備がじわじわ浮上してくる感じが解せない。保護者向けに「よこしまな考え方を持った在日韓国人や支那人」などといったヘイト文書を配布してきた幼稚園の名誉校長を引き受け、「中国から、鉄砲とかくるけど、ぜったい、日本を守ろう!」などと言わされている園児を見た後に涙を流していた当初の報道を思い出せば、どちらがどう、こっちは少しだけ、ではなく、どちらとも少しも許してはならないのである。
8億円の払い下げにせよ、100万円の寄付にしろ、金の動きは事細かに解明されるべきだが、こうして金の話が主軸になると、それ以外のキャラの部分で「(籠池って)結構まともな人っぽい」「(昭恵って)結構天然っぽい」がすくすく育っていき、気付けばその「っぽい」が金の動きの推察に登場してくる。友人の安倍首相をひたすら擁護する評論家・金美齢は「節操なきメディアのアッキー叩き」(『月刊Hanada』5月号)と題した寄稿で、昭恵夫人のことを「人に対する警戒心が全くないのです。しかし、それは彼女の魅力でもあります。チャーミングで天真爛漫」と、小学校の先生が通信簿に書くようなコメントでフォローし、かつては「家庭内野党だ」などと持ち上げてすらいたメディアが「軽率だ、問題だと非難するのはあまりに節操がないのではないでしょうか」と憤る。
「せっかくだから公邸でやりましょう」と言う私人
節操がないのはどちらでしょう、と思う。窮地に立たされた昭恵夫人は北九州での講演会(24日)で、「本当に私は普通の主婦、普通の女性だ」(時事通信)と涙ぐみながら述べたというが、マスコミをシャットアウトした講演会で「私は普通の主婦!」と訴えるシチュエーション自体が、どう考えても普通ではない。「昭恵夫人は公人なのか私人なのか」を問われると、政府は「公人ではなく私人であると認識」との答弁書を閣議決定するという珍行動に出た。
でも、安倍昭恵『「私」を生きる』(海竜社)にはこんなくだりがある。かつて勤めていた電通の知り合いから、「日本の明日を考える女子学生フォーラム」の活動に関わっているのだが話しに来てくれないか、との誘いを受けると、彼女は「せっかくだから公邸でやりましょうか。会場に使ってもいいですよ」と返し、その結果「その懇談会が首相公邸で実現」したという。日頃、私邸に住んでいる安倍夫妻だが、使用していない公邸の会議室を鶴の一言で自由に使えてしまう彼女は「普通の主婦」ではない。特別な立場であることを自覚し活用してきた人が、急いで「普通の主婦」に切り替えちゃった現在を、節操がないと言う。
この人はズルい
籠池理事長が、小学校建設費用には安倍首相からの寄付金も含まれると激白したその日、頻繁にメールを交わしてきた籠池夫人に対して昭恵夫人が、6日ぶりのメールを送った。その一発目が「祈ります」の一言。堀北真希が山本耕史に送った伝説のLINE「真希だよ」を彷彿とさせる強度である。籠池夫人からの返答「安倍首相はどうして園長を地検に言われたんですか。国は大事な民衆を切り捨てるのは許せない。国会に出ます」に対しても「それはうそです。私には祈ることしかできません」と答えており、とにかく祈りまくっている。以前、ジャーナリスト・青木理の取材に応じた昭恵夫人は、夫・晋三が長期間にわたって首相を務めている理由を「天のはかりで、使命を負っているというか、天命であるとしか言えない」「見えないものの力っていうのがすごくある」(青木理『安倍三代』)と、「祈ります」的な説明に終始した。
この人はズルい。その手のスピリチュアルで天然な応対を重ねて「それが昭恵さんだから」と許してもらう一方で、家庭内野党だとしきりにアピールし「さすが昭恵さんだよね」へと導く道筋を用意し、双方を使い分けてきた。今回のように「誰が嘘ついてんの」との状況が生まれると、自分は私人で普通の主婦で何もわからないと、前者の「それが昭恵さんだから」のみをフル稼働させていく。対談本『どういう時に幸せを感じますか? アッキーのスマイル対談』のまえがきには、人の意見が完全に一致することなんてないけれど「そこでお互いに目をそらし、耳を塞ぎ、心を閉ざすのでは何も生み出しません。きちんと向き合って、意見をぶつけ合うこと」が必要だと熱弁していたはずだが、こういった「さすが昭恵さんだよね」の部分は都合よく隠してしまう。
安倍昭恵「私は私」・神田うの「うのはUNO」
「内閣総理大臣夫人付 谷査恵子」名義で籠池理事長に送られたFAXには「なお、本件は昭恵夫人にもすでに報告させていただいております」とあるが、それを政府の皆さんは「昭恵氏が指示し、関与して、ではない」(26日・NHK『日曜討論』での下村博文幹事長代行)と勢い任せにかばってみせた。もはや、勢いに任せないと、かばえないのである。野党が主張する、「籠池理事長の答弁をそのまま信じているわけではない。だからこそ、昭恵夫人も同じ条件で証人喚問を」との姿勢は真っ当。国家が一人の女性公務員にすべての責任を背負わせている現状こそ「家庭内野党」の出番だと思うのだが、私は「普通の主婦」だと切り替えて、人を捨ててしまう。
この人はとってもズルい仕組みのなかにいる。「私は私でいい」(前出書)と自由人アピールを重ねてきた昭恵夫人、あたかも神田うのの著書名『うのはUNO』のような言い回しだが、神田うのと違って、この人は全く、私は私ではないのである。「それが昭恵さんだから」で許されていく感触を熟知している。熟知した上で操縦する。それってズルい。
(イラスト:ハセガワシオリ)