こんにちは!今日は私が抱える劣等感についてです。
勉強はできる
教科書を覚えるのが得意でした。
問題集を誰よりも早く、正確に解くことも。
テストも常に高得点をおさめてきました。
お勉強はできるんです。
でも「頭いいんだね」と言われると、一種の罪悪感というか劣等感に襲われるのです。
私は、頭が悪い。
私の問題
常識がない
高校の先輩で、阪大を受験できずに浪人した方がいました。
受験できなかった理由は、「会場にたどり着けなかったから」。
この時点で、もったいないことを…と思われるでしょうが、先輩の事情はもっとびっくりするようなことです。
先輩は新幹線の乗り方がわからなかったのです。
「東京行き」の新幹線は東京にしか止まらないものと思い込んでいたようで、阪大へ行くためには大阪行きの新幹線に乗らなければならないのにそれが見つからず、大阪へたどり着けなかったという話でした。
3年間必死で勉強をしてきたのに、最後の最後で一般常識がなかったために、受験すらできなかったのでした。
これは先輩という他人の話ですが、私もこんな感じの人間です。
常識がないのです。
お会計のときに伝票をレジに持って行くことを大学生になるまで知らなかったり、電車が一方通行なのも上京するまで知らなかったりしました。
想像力がない
色々な場面で、機転が利く人というのはいます。
相手の欲しているもの、ことを素早く察知して先回りする。
状況をよく読み、言っていいこと、悪いことの判別がつく。
私にはそれができません。
この場で、何を言えばいいのかわからないのです。
どんな発言をしたら何が起こるかの想像の精度が悪く、周りの人が何を思っているかに考えを巡らせることも苦手です。
想像力とは思いやりです。
相手の立場に立てるかどうか。
私はこの部分が決定的に欠けています。
頭がいいとは
世間では勉強ができることを取り上げて「頭がいい」と言うことが多いですが、私はそれには疑問を抱きます。
勉強ができるのは、単純に、紙に書かれたこと、明文化されたこと、教えられたことをそのまま受け取るのが得意なだけなのです。
頭がいいわけじゃない。
本当の「頭がいい」は、世間で常識とされているものにどれだけ馴染んでいるかと、どれだけ他人に対して思いやりを持てるかです。
基本的な生活がひとりでも営めること。
それに加えて他人とも円滑にやっていけること。
「頭がいい」とはこういうことではないでしょうか。
抱く劣等感
私にとって一般常識はきちんと言葉にして書かれていないですし、テキストがないというのが決定的に問題です。
人の心の動きを想像するのも、その場その場で教えられないと困難です。
でも、世間では一般常識がある人、思いやりのある人が大半です。
私はこの世間の「大半の人」が「普通に」こなしていることもできないのかと、劣等感を抱いてしまうのです。
努力で解決できるか
何も努力をしてこなかったわけではありません。
常識を身に付ける
常識がないのを補うために、マナー本を読み漁り、秘書検定を取って冠婚葬祭のときの振る舞いや手紙の書き方、一般事務を学びました。
しかし、私に足りていない、そして世間で基本とされている常識は、このレベルよりももっと下にあると感じました。
それこそ、新幹線の乗り方とか飲食店でのお会計の仕方とか。
それを今さら大人になって教えてくれる本も先生もないのです。
勉強と同じ方法ではいけない。
今は恥をかいてもいいからと積極的に外出したり、物事に取り組んだりしています。
そうやって身体に経験を蓄積させることでしか、解決できない問題だと最近になってようやくわかりました。
人を思いやる
想像力が足りていないことを、どうやって補うかも問題です。
常に自分視点で生きてきたのを、他人の立場に立つように変えるのはいきなりできることではありません。
思考の癖を矯正する必要があります。
しかし直そうにも、自分の想像と他人の本当の感情や考えをいつも答え合わせできるわけではありません。
また、答えがないような問題もあります。
勉強(それも大学の高等な学問でなく受験勉強のようなもの)という必ず答えがあって丸付けができることばかりしてきたので、答えがない問題に直面するとひるんでしまいます。
想像力、つまり思いやりも人と関わる中で経験を貯めて身に付けるしかないのかなと思っています。
学歴コンプよりも
学歴でコンプレックスを抱いている方にたまに出会いますが、私はそういう人たちに対して逆に劣等感を抱きます。
私がどう努力していいかもわからなかったことや、今まさに頑張っている問題を、彼らはやすやすとクリアしていくのです。
問題だとも思っていないかもしれません。
一般常識は世間の大半が共通の認識を持っているからこそ常識と呼ばれるのであって、身に付けていない人は圧倒的少数派です。
しかし私はできない。
また、人を思いやることなんてわざわざ教えられてすることじゃありません。
そこが足りない人は、時として重大な欠陥を抱えていると言われることもあります。
大人になりきれていない。成長・成熟していない。
さいごに
「頭がいいんだね」と言われるたびに、「ちがう、私はそうじゃない」と思ってきました。
何度も言いますが、勉強ができることと頭の良さとは違います。
けれど、そこを同一視している人に失望されたくなくて、ボロがでないように必死に取り繕っています。
当然ですが、勉強ができれば万事うまくいく・できるなんてことはありえません。
勉強ができる人はそこを忘れて奢ってはならないし、勉強が苦手な人はただそれだけで自信を無くす必要はないです。