みなさん、こんにちは。みっくんです。
家族で行ってきました。
その時の写真がこちらです。
写真じゃちょっとわかりづらいのですが、
他にも一面に梅林が広がっているところがありました。
梅ヶ枝餅なども売っていて、人も見に来ていましたよ。
風が冷たくて、途中雨も降ってきましたが、見応えのある梅林でした。
農家の方が梅の収穫のために植えたそうですね。
とにかくあちらこちらに梅が咲いていて、規模の大きさに驚きました。
もしよかったら、リンク先を貼っておくのでそちらをご覧ください。
梅が山肌に一面に広がっている写真もありますよ。
さらに、昨日は、石原加受子さん本人よりコメントをいただきました。
こちらの記事です。
最後の方にコメントがありますので、
良かったら見てみてください。
今日は、昨日の記事の続きとなります。
昨日は、相手を感じる 1ですね。
今日は、相手を感じる 2となりますので、
ご覧ください。
※太字は、僕がしました。
相手を感じる 2
相手を感じることができると、非常に生き方が楽になります。
自分の感じ方を基準にすればいいだけですから、
「これは、適切だったんだろうか。もっと違った方法があったんだろうか」
などと悩むことが少なくなります。
例えばAさんは、会社でミスをしました。
上司がものすごい勢いで怒鳴って注意しました。
「一つミスをすることで、みんなに迷惑を掛けてしまうんだぞ」
さらに上司は、そのミスだけでなく、
Aさんの全人格を否定するような言い方をします。
自分の感じ方を優先できる人は、
「ミスをしたのは、自分が悪かった。
けれども、だからといって自分の人格を全否定するような言い方は、
傷つくし、決してそんな言い方は適切ではない」と判断できます。
けれども、相手を感じることができないと、相手の言葉のほうに支配されます。
「上司は、正しいことを言っている。私が間違っているのだ。
怒鳴られるのは当然のことなんだ」と。
確かに上司が「みんなに迷惑を掛けることになる」というのは、正しいでしょう。
けれども、それを「怒鳴って言う」ことはどうでしょうか?
怒鳴って言うことが、適切でしょうか。
ましてや、相手の人格を否定する言い方が正しいでしょうか。
相手を感じられないと、この区別がつきません。
区別がつかないと、上司の言うことを丸呑みして、
「私は、なんてダメな人間だ」というふうに、自分を責めてしまうでしょう。
相手を感じることができれば、上司が不当に自分を傷つけてくる、
この状況を何とかしようとするでしょう。
つまり、自分を不当に傷つけるような状況に、
自分を野ざらしにするようなことはしません。
だから、上司に対して言い返すことはできないとしても、
「わかりました。今後、気をつけます」などときっぱりとした態度をとって
頭を下げてそこを去るなど、自分を守る行動ができるでしょう。
さらにまた、ミスを認めることはできても、上司の言葉に影響されて、
自分をダメだなどと責めることもないでしょう。(おわり)
いかがだったでしょうか。
相手を感じることが自分の身を守ることにもつながるのですね。
不当な要求には、きっぱりとした態度で、
臨むことができるようになるわけです。
これだと、自分のミスの責任はとるけど、
怒鳴られることに関しては、別だと認識できますね。
不当に扱われて、自分が傷つくのを防ぐ。
とっても大切な事ですね。
感情的になって、争ってお互い、
傷つけ合うこともなくなりそうですね。
自分が相手のことを感じて、
適切な距離をとることにもつながってくると思います。
自分が相手のことをどう感じるかに目を向けて、
相手とのトラブルも未然に防ぐようになりたいものですね。
以上、相手を感じる 2~石原加受子の光と波のきろくより~でした。