1973年までアメリカで中絶は違法だった
明日、3月8日は「国際女性デー」だ。ニューヨークで女性が参政権を求めてデモを行った日1904年の3月8日にちなんでいる。
アメリカ合衆国で女性が投票権を得たのは、デモから16年後の1920年であり、まだ100年も経っていない。
妊娠出産に関しても、アメリカ女性は最近まで選ぶ権利を持っていなかった。
アメリカの建国当初には中絶に関する法律はなく、判事が慣習に応じて判決を下す「コモンロー」だった。 しかし、(胎児が人になる時とみなされていた)胎動後の中絶は禁じられていた。その後、中絶を積極的に違法にする動きが生まれ、19世紀末にはすべての州で中絶が違法になった。
違法化の運動を先導したのは医師ら(すべて男性)だったが、この法律が強くアメリカに根付いた背後にはキリスト教の教えがある。 アメリカの初期の移民は、イギリスでの宗教的迫害から逃れてきた清教徒(ピューリタン)であり、その後の移民もカトリックを含むキリスト教徒がほとんどだった。アメリカで作られた法律には、キリスト教の教えが反映されていたのは否めない。また、どんな形で起こった妊娠であれ、妊娠はその女性の責任とみなされていた。
連邦の最高裁判所が、憲法によって保証されている女性の権利として人工的な妊娠中絶を認め、堕胎禁止を違憲とする「ロー判決」を下したのは、1973年のことである。それまでにも合法化した州があったが、まだほとんどの州で中絶は違法だった。
望まない妊娠を減らすためには避妊が必要だ。だが、現在はリベラルな州として知られるコネチカット州ですら、結婚しているカップルが避妊具を使うことが65年まで違法だったのだ。マサチューセッツ州でも、72年までは既婚者しか避妊具を購入できなかった。
アメリカ人女性にとっての「子どもを産まないことを選ぶ権利」は、時代の変化に応じて自然発生的に生まれたのではない。勇気ある女性たちが、権利を求めて闘い続け、法を変えたからこそ生まれたのだ。
ちなみに日本では、1948年に母体保護法が成立した。
・母体の健康上、妊娠の続行が不可能な場合
・経済的理由で出産・育児ができない場合
・レイプ等の性的被害で妊娠した場合
以上3つの理由であれば中絶することが可能となっている。
大統領選であらわになった若い女性の希薄な権利意識
ところが、現代のアメリカの若い女性たちは、この近代史をほとんど知らない。というか、どこかで学んでいるはずなのだが、その重要さを認識していない。
この不思議な現状に気付いたのは、2016年の大統領選でバーニー・サンダースを支持する女子大生たちを取材しているときだった。ヒラリー支持の女性政治家たちに対して仲間の若い男性たちが口汚く野次を飛ばしているとき、彼女たちは平然としていた。彼らに注意をしたのは、若い女性ではなく、同じくサンダースを支持していた年配の女性だけだ。
女子大生たちは、「ビッチ」とか「ホア(売女)」といった女性蔑視の野次を飛ばしている若い男性たちを批判するどころか、彼らと変わらないヒラリー批判を口にする。
60年代から70年代に最も有名なフェミニズム運動家で女性の権利擁護者だったグローリア・スタイナムに対しても、ヒラリー支持というだけで悪感情を抱き、「ヒラリーのほうがトランプより危険」 といった発言をした女優のスーザン・サランドンを尊敬している。
「私はフェミニストだけれど、ヴァ◯◯(女性器)を持っているというだけで女には投票しない」という女子大生の意見も、じつはサランドンの受け売りだったりする。
そんな彼女たちにとって、「男女平等」は、生まれたときから存在する「あって当たり前」のものなのだ。だから、それが奪われる可能性などは想像もできないようだった。
娘を持つ父親たちの変化
今回の選挙で気付いたもう一つのおもしろい現象は、女子大生よりも「フェミニスト」な中年男性がけっこういるということだ。「ヒラリーほど有能な候補はほかにいない」、「ヒラリーほど不公平な扱いをされてきた政治家はいない」と彼らは言う。
フェミニズムの意識が高い男性の多くは、「娘を持つ父親」である。
昔から娘を持つ父親は同じ割合で存在したはずだが、なぜこんな変化が起こっているのだろうか?
私は、1972年に成立した「タイトル・ナイン(Title IX/連邦教育法第9編)」という法律の影響だと思う。
タイトル・ナインは、「合衆国に住むいかなる人も、単に性が違うという理由のみで、政府から財政的援助を受けている 教育プログラムや活動において参加を拒否されたり、利益を否定されたりあるいは差別にさらされることはない」とするもので、スポーツ分野での男女平等を保障するものだ。これをきっかけにアメリカ女性の競技スポーツは大きく変化した。
タイトル・ナイン以前には、高校でスポーツ競技をする女子は27人に1人だったという。だが、2001年には2.5人に1人という割合になり、スポーツをする女子は30年間で10倍になったことになる。
大学が優秀なアスリートをリクルートするために学費免除や補助をする「奨学金」も、以前は男子学生だけだったが、タイトル・ナインのおかげで女性も得ることができるようになった。
それまでは、幼い息子の野球やアメフトに父親が深く関わるのがアメリカの慣わしだった。だが、女子も男子同様にスポーツで活躍するようになり、父親たちはボランティアコーチなどの形で娘の競技にも関わるようになった。
私も娘のスポーツで「私の娘は、そのあたりの男子選手よりずっと優秀だ」と自慢する父親に数多く出会ったが、自分の娘の才能と努力を知る父親たちは、おしなべて男女差別に敏感だ。その見解は、スポーツだけでなく、学問や雇用など多様な面にも広がる。
こういった父親が昔の10倍になったというのは、たのもしい。
タイトル・ナインが及ぼしたいくつもの変化
タイトル・ナインが変えたのは女性のスポーツだけではない。全米教育教会によると、次のようなことが変わった。
1.大学教育での男女平等
1970代までは、女性の入学を拒否した大学もあった。それが禁じられた現在では、大学に進学する女性は男性より多い。また、科学やテクノロジーの分野をキャリアにする女性も増えた。
2.学校の科目での男女差がなくなった
以前は、女子は「家庭科」、男子は「工作」を学ぶことになっていたが、そういった性別による科目が廃止された。
3.妊娠した学生の保護
以前は、妊娠した学生に学校が退学を命じるのは合法だった。だが、現在では妊娠した学生が学業を続けやすくするプログラム(個人の選択制)を学校が作ることが可能になった。
4.学者の待遇での男女平等
以前は、女性が大学教授になるのは困難だった。女子大や、終身在職権(tenure)がないポジションのみであることが多かった。だが、現在ではすべての大学で終身在職権のある教授になることが可能になっている。
5.教室内での男女のステレオタイプの否定
以前の学校では、「男子は理数系が得意で、女子は家庭的なものが得意」というステレオタイプがあった。教科書でも、女性は妻や母、男性はパワフルに描かれていた。タイトル・ナインは、それらを変えた。
6.セクシャル・ハラスメントとの闘い
タイトル・ナインにより、すべての学校に、セクハラ予防対策とセクハラの報告への対応義務が生まれた。これまでの「男は男だから仕方ない」といったゆるい対応はできなくなり、学校は責任を厳しく追求されるようになった。
ところが、この重要な法律が、トランプ政権で危機にさらされている。
昨年5月、オバマ大統領は、タイトル・ナインの解釈として、トランスジェンダーの学生が、本人がアイデンティティするジェンダーのトイレを使う権利を保護する大統領令(directive)を出した。
トランプ政権は、これを覆してしまったのだ。
ターゲットはトランスジェンダーにとどまらず、レイプ被害者にも及ぶと見られている。
ヒラリーではなく第三候補への投票を呼びかけていたスーザン・サランドンは、トランプ大統領に反対する女性の権利デモ「ウィメンズ・マーチ(The Woman’s March)」について「1度の行進で満足するな。参加せよ。抵抗せよ」とツイートした。
当然のごとく、ヒラリー支持者からは「トランプ大統領誕生に貢献したあなたからの支援はいらない」という内容の非難が起こっている。
サランドンのように、政治的にピュアな立ち位置だけを追求して、反対運動に燃えるのは、潔く見えるし、気持ちが良いかもしれない。だが、今回の大統領選では、サランドンのような「急進派リベラル」は、過去の多くの人々が長年かけて変えてきたアメリカを、過去に戻すことに手を貸したことになる。ヒラリー支持者が怒っているのは、その点なのだ。
共和党が上院と下院の議会を支配し、トランプが大統領になった現在、次の最高裁判事が保守になるのは避けられない。すると、5対4で最高裁が保守に傾くことになる。中絶を違法化したいキリスト教右派の有権者が多い共和党は、「ロー判決」を覆すことを長年狙ってきた。そのチャンスが到来したのである。
このように、法律は、直接私たちの生活に影響を及ぼす非常に重要なものだ。
だから、法を作り、守る人たちを選ぶ選挙は重要なのだ。
好き嫌いの感情や「ノリ」で選ぶことの恐ろしさを、現在のアメリカが教えてくれる。
私たちにできるのは、私たちの生活を良くする法律を作るために地道に働いてくれる政治家を選び、「現状が即座に良くならない」という理由で「変化」を求めて簡単に見捨てず、支持し続けることだ。
「国際女性デー」を機に、そういったことも考えてもらえたらうれしい。