鶴瓶のスケベ学

ツルベ」と呼び捨てにし続ける中居正広の親愛

中居正広さんがいつも「ツルベ」と呼び捨てにするのは、彼が鶴瓶さんに本当の親しみを寄せている証だそうです。そんな中居さんの亡き父親との交流、さらに被災地での体験を通して、鶴瓶さんは芸能人として自分が目指すべき理想の姿を思い描くようになりました。
芸歴40年を超える大御所芸人、笑福亭鶴瓶。還暦を過ぎた今も、若手にツッコまれ、イジられ、“笑われ”続けています。そんな鶴瓶さんの過剰なまでに「スケベ」な生き様へ迫る、てれびのスキマさん評伝コラムです。

「おっ、ツルベ。どうしたの?」

中居正広は、自身のラジオ番組『中居正広 ON&ON AIR』(ニッポン放送)収録中、ラジオブースに現れた人影を見つけた。

ツルベ……。もー、ダメだよぉ。みんな真面目にやってるとこなんだから、ホントに」

あえて一貫して「ツルベ」と呼び捨てにする中居。笑福亭鶴瓶はそこに“乱入”していった。
中居の執拗なツルベイジりは続く。もはやそれは“悪態”と言っていいレベルだ。

正月明けに収録された2人がMCを務める『世界仰天ニュース』で鶴瓶は正月休み中に行ったハワイの話をした。中居によるとそれが、「グダグダ」になってしまったという。

「『仰天(ニュース)』で話す時は、ラジオとか家族とか飲み友達とかに一回、“くって”からやったほうが……」

ここで言う“くる”とは中居によると、トークをするときに事前に一度、人前で話しをすることで、話の起承転結を構成しておくこと。

「待ってくれ! なんでおまえにしゃべりのことを教えてもらわなあかんねんな!」
と制した上で鶴瓶は絶叫するように言った。

「俺は“くらない派”や! くらないでここまで来たんや、45年!」※1

中居正広の鶴瓶への悪態の理由

笑福亭鶴瓶と中居正広は、『歌謡びんびんハウス』(テレビ朝日)で出会ってから、30年来の仲だ。森脇健児の結婚式の帰り、中居、草彅剛、香取慎吾とともにタクシーに同乗した際、草彅が3万円を紛失したことが発覚したことがあった。その“犯人”に仕立て上げられたのが鶴瓶。3人で散々イジり倒した。その頃から、鶴瓶への中居の態度は変わらない。

2007年には2人で『NHK紅白歌合戦』の司会を務めた。異例の男性同士の司会だった。
鶴瓶は「台本通りならやらない」「毎回違う感想を言うので秒数くれ。歌を聴いて感想を言う」という条件で引き受けた。
一方で、中居は鶴瓶の部分を含めすべてを完璧に覚えて本番に臨んだ。まさに「くる派」「くらない派」の違いだ。

『紅白』マニアの放送作家・寺坂直毅によると、そのとき、中居は常に鶴瓶の腰に手を添えていた。そして台本上、鶴瓶のパートが訪れると背中を叩いていたという※2。そのことでアドリブと台本が見事に融合した名司会となったのだ。

冒頭のラジオに鶴瓶が“乱入”したのは、中居が入院したという知らせを受けたものだった。
「中居くんがやせているよっていうから見にきたんや」と彼の体調を心配して訪れた。
それを中居流の手荒いおもてなしで出迎えたのだ。

中居の“悪態”は鶴瓶への親愛と信頼の証だ。

中居の父の見舞いに訪れた鶴瓶

中居正広の父・正志さんは、15年2月に、79歳で亡くなった。
鶴瓶は正志さんが亡くなる少し前、お見舞いに訪れている。

亡くなる1ヶ月ほど前にたまたま中居と松本人志が飲んでいた際、父親の様態が悪いという話題になったのが発端だ。その少し前に自身も父親が亡くなったばかりだった松本は、「なんかできることはないか?」とお見舞いを申し出たのだ。

中居の父と松本は面識がない。しかも、意識はハッキリしているがしゃべることができず筆談でコミュニケーションを取るしかない状態だった。
“気遣いの人”である中居としては、そこに松本が訪れるのは、あまりにも松本に「負担が大きい」だろうと考えた。一人に背負わせてはいけない、と。
そこで、父と面識のある鶴瓶とタモリと一緒に来てもらいみんなでワイワイしたほうがいいと思い、2人に声をかけたのだ。
もちろん、2人は快諾し、3人でお見舞いすることになったのだ。

その日、松本人志のもとに中居からショートメールが届いた。
「タモリさん、松本さん、鶴瓶の3人でお願いします」※3
なんで鶴瓶だけ呼び捨てやねん、と松本は笑った。

最初に病院に到着したのは鶴瓶だった。
鶴瓶と中居の父は、『紅白』の際に紹介され出会い、一緒にゴルフや麻雀をする仲だった。
正志さんは鶴瓶の来院に大いに喜んで、メモ帳にペンを走らせた。筆談をするためだ。そこには茶目っ気たっぷりにこう書かれていた。

「笑瓶ちゃんは?」

もちろん、「笑瓶」とは鶴瓶の弟子である笑福亭笑瓶のことだ。
「お父さん、笑瓶のこと知りまへんやんか」と笑う鶴瓶※4。いつだって、中居の父はそんな風に人を笑わせることが好きだったという。

そのあと、タモリが訪れた。タモリは見舞い袋をそっと手渡した。
中居が意地悪そうに鶴瓶を見る。鶴瓶はなにも持ってきていなかったのだ。

「違うがな。俺は少しでも早く身体ひとつを見せてあげないとと思ったんや……」

鶴瓶の受難は続く。
今度は松本人志が訪れた。松本は、暇つぶしと、ちょっと笑ってもらう意味を込めて、ロマンポルノの写真集など本を2冊携えてやってきた。
さらに香取慎吾もやってきて、中居と中居の父のアルバムを自作してプレゼントしたのだ。
一斉に冷たい視線が鶴瓶に向けられた。

「大人だったらなにか持ってくるだろ」

タモリにも責められ、タジタジになる鶴瓶。病室が笑いに包まれた。
鶴瓶は着ているパーカーを渡すというが、「着古しをあげるのか」などとなじられ、“泣きながら”逃げるように帰ったという※4

後日、鶴瓶は病院に笑瓶を連れて行った。
それを見て、正志さんは、手を叩いて喜んだ。
それが鶴瓶にとって、正志さんの最期だった。 ところで、中居は病床の父に家訓を書いてくれるようにせがんでいたという。
鶴瓶は、その亡骸に会いに葬儀に訪れ、感涙した。
そこには、中居の父が書いた家訓が飾られていたのだ。

「求めるな、与えよ」※4

それはまさに、芸能人、アイドル、SMAP、中居正広の在り方そのものだったからだ。

被災地を訪れた鶴瓶の確信

熊本に地震があり大きな被害が出ると、鶴瓶と中居は、岡村隆史とともにいち早く被災地に向かった。
事前に知らせてしまうと、手厚い歓迎を受けて長居せざるを得なくなってしまう。少しでも多くの場所を巡りたかったから、誰にも知らせずに訪れた。

もちろん彼らの訪問に、避難所の人たちは大喜びだった。
エコノミー症候群対策のパッチ鍼などを持ってきた鶴瓶に対し、ニンテンドーDSなどを携え、サーティーワンアイスクリームの車までも連れてきた中居は、いつものように鶴瓶に悪態をついた。

「鍼なんて、なんで持ってくるんですか」
「いや、喜ぶねん」
「サーティワンも『自分が(お金を)出した』って言えばいいじゃないですか。手柄と領収書がほしいんでしょ?」※5

道中はまた笑いに包まれた。

鶴瓶は1995年の阪神大震災で自らも被災している。
当時住んでいたのは、もっとも被害の大きかった西宮。鶴瓶の自宅は高台にあったため比較的被害は少なかったが半壊した。
それでも鶴瓶はすぐに「いま必要なもの」を聞き出し、毛布や紙おむつ、生理用品などを持って避難所を訪れた。
もちろん最初は喜んでくれたが、10日ほど経った頃に訪れると様子が変わっていた。

「鶴瓶さん、物はもういらないから、笑わしてくれんか?」

避難所になっている体育館には、まだ怪我して横たわっている人もいる。隣の武道場は遺体の仮安置所。そんな環境で笑わすのは「不謹慎」ではないかと逡巡した。
だから、「お笑いをということですが、そんなこといやがる方もいるでしょうから、みなさんが必要なものを言ってください」と呼びかけた。
すると、いちばん症状が重く苦しそうにしていた人が口を開いた。

「みんなが楽しみにしてるんやから笑わしたってくれ」

鶴瓶は覚悟を決めて話し始めた※6。
それは、震災が起きてから数日間に実際に遭遇したエピソードを連ねたアドリブの“鶴瓶噺”だった。
真っ先に反応したのは子供たちだった。鶴瓶の周りを取り囲んで、屈託なく爆笑している。
続いて、その子供たちの笑顔を見て大人たちが笑う。会場は笑いに包まれた。

その時に鶴瓶は、「リアルなことを瞬間的にしゃべる。それが落語の始まりなんちゃうか」※7と思った。 “くらない”噺が、聞いている人たちの心に響いたのだ。
感動したヤンキーたちが鶴瓶のために並んでアーチを作った。それをくぐりながら、鶴瓶は「ありがとう」と言って帰った。

「ああ、俺のやってきたことは間違いやなかった。これからも見て、感じたことを自分の噺としてしゃべっていこう※6

鶴瓶の考える芸能人の本懐

東日本大震災のときもいち早く鶴瓶は『家族に乾杯』(NHK総合)で以前訪れた場所に再訪問した。
会う人、会う人、おばあさんから小さな子供までもが「鶴瓶や!」と言って駆け寄り、元気になってくれた。
その姿を見て「僕を見たら喜んでくれる。そんな存在になりたかった」※8という思いをさらに強くした。
鶴瓶はアイドルグループ・ももいろクローバーZにこんな言葉を贈っている。

「震災のたびに自分が力のないことを痛感するんですけど、すべて言えるのは、むこうに行ったら『鶴瓶さん!』って寄ってきてもらえる。“すぐに分かる力”っていうのが大事なんで、マスコミは本当に大事ですよ。だから絶対にマスコミから外れたらダメですよ。
 いかにミッキーマウスに近づくかですね。ミッキーマウスって分かりやすいじゃないですか。どこへ行ってもミッキーマウスくらいの威力があったらいいなぁって思いますんで、だから僕はテレビから去らないでしょう。絶対テレビは大事なんですよ」※9

鶴瓶は、「求めるな、与えよ」を実践するためにテレビに出続け、顔を売る。
それこそが、鶴瓶の考える芸能人の本懐なのだ。

被災者が自分を受け入れてくれたと実感した言葉がある。それは中居正広がいつも鶴瓶にそうするように、“悪態”という形だった。かつて訪れたことのあるお寺に震災後、2ヶ月経って訪れたときだ。そこの女将さんに開口一番こう言われたのだ。

「何してたのよ、遅かったじゃない! もっと早く来てよ!」※8


※1 『中居正広 ON&ON AIR』17年2月4日
※2 『Dig』2011年11月18日
※3 『人志松本のすべらない話』15年7月11日
※4 『日曜日のそれ』15年5月17日
※5 『日曜日のそれ』16年5月8日
※6 『BIG Tomorrow』00年7月号
※7 『日経ビジネスアソシエ』06年4月4日号
※8 『an an』16年3月30日
※9 フジテレビNEXT『第一回 ゆく桃くる桃「笑顔ある未来」』15年12月31日

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鶴瓶のスケベ学

てれびのスキマ(戸部田誠)

芸歴40年を超える大御所芸人、笑福亭鶴瓶。還暦を過ぎた今も、若手にツッコまれ、イジられ、“笑われ”続けています。しかし、落語家なのにアフロヘアでデビュー、吉本と松竹の共演NGを破った明石家さんまさんとの交流、抗議を込めて生放送で股間を...もっと読む

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コメント

mimiaijp 後半、被災地支援に関する鶴瓶師匠の考え方に涙が出た。「僕を見たら喜んでくれる。そんな存在になりたかった」はスマも同じ思いでは 約2時間前 replyretweetfavorite

shimogon 毎回、「ツルベ」最高です! これも昨日のマキタスポーツさんとの話につながる。 約2時間前 replyretweetfavorite

koukan_dokusyo なるほど、ミッキーマウスにさんをつけるのは確かにおかしいなあ。 約2時間前 replyretweetfavorite

crescentmania なんか号泣してしもた https://t.co/DoT9pBdM1J 約2時間前 replyretweetfavorite