初めまして。鏡といいます。
純文学。探偵小説。伝奇小説。SF小説。ファンタジー小説。キャラクター小説。散文詩。
いずれのジャンルにも分類し難い膨大な作品群を、輝かしい(くもなかった)季節と引きかえに、踏切の音を聞きながら書き続けてきました。
これは、そんなちっぽけな魂の、文字を這いつくばって生きた証です。
最後に、いまの自分を最も的確に表現する文章を引用します。
「十九歳のおまえは他人に純粋にまじりっけなしに自分はこういうものだと言うことができるだろう。主張することができるな。ところが、二十五、二十六にもなると、風化してきたぼろぼろ岩のように崩れてきてある日すっかり硬いダイヤモンドのようだったものが砂になってしまっていることに気づくんだ。後に残っているのは十ぱひとからげのどこの映画館に行っても上映している通俗の安ものの感傷しかないんだ」
「そう言うけどおれはウジムシだよ」
(中上健次/灰色のコカコーラ)
以下wikiより
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2008年8月、第五回講談社BOX新人賞で初の大賞を受賞。『白の断章』で単行本デビューした。同賞の受賞は講談社BOXを立ち上げ、西尾維新や舞城王太郎などを担当した文芸編集者・太田克史の強い推薦によるものであり、また太田が単独で編集を行う『ファウスト』の公募新人賞(講談社BOX新人賞の前身)では第4次まで連続で受賞作無しが続いていたため、9度目にして初の受賞者として注目された。
初の単行本刊行の直前から、講談社発行の文芸雑誌『パンドラ』上で「向日葵とRose-Noir」(ひまわりとロゼノワール)の連載を開始しており、この作品を後に書き下ろしを加えた2冊目の単行本として刊行した。…
飯野賢治さんからの最後の手紙、全てのクリエイターの方へ
鏡征爾へ。
いつまでも新人であり続けてくれ。
自分のスタイルなど持たないでくれ。
スタイルを持たないスタイル、なんていうものにも縛られないでくれ。
そんなメッセージをデビュー時。
飯野賢治さんからもらった。
60年代生まれの人がジョン・レノンに憧れたように
70年代生まれの人が矢沢永吉に憧れたように、
80年代生まれの僕は、飯野賢治に憧れた。
僕がクリエイターになろうと思ったのは、
彼の存在がすべてだ。
飯野賢治。
全世界で200万本を超えるヒット作を連発した、
ゲーム・クリエイター。
『Dの食卓』
『エネミー・ゼロ』
最新のフル3DCGを駆使したグラフィック。
音だけで敵を倒すアクション・ゲーム。
19歳で会社を立ち上げ、天才の名を欲しいままにした。
そんな彼が、3年前の今月20日。
突然、この世界からいなくなった。
冒頭に記したのは、そんな飯野さんが、
名前もしらない、どこの馬の骨とも分からない自分に
届けてくれた、メッセージだった。
At 2:12 PM +0900 09.4.22, wrote:
この言葉を、コメントとともに作者へ届けてください。
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鏡征爾へ。
いつまでも新人であり続けてくれ。
自分のスタイルなど持たないでくれ。
スタイルを持たないスタイル、なんていうものにも縛られないでくれ。
この作品が面白いのは、「面白ぇか」「面白くねぇか」という
シンプルな1点のみを目指して書かれたものであるからだと、僕は思う。
僕はまだ、あなたのことをなにも知らない。
ただ、1つの作品を読ませていただいただけだ。
やっと昨晩遅くに時間が取れて、一気に読ませていただいた。
匂うような個性と可能性を感じた。
それを、これからもずっと感じ続けていたい。
太田克史、或いは一部の小説界が、必死の思いで
この数年で創り上げた、ある種の領域、枠組みみたいなものを
一瞬にしてぶち破って飛び出した、その異形さを保ち続けてほしいと心から思う。
あなたに最後味方するのは、あなた自身と
エンターテインメントという最高のテーマであり、舞台である。
多くの作家が、たった数年のうちに、なぜ輝きと個性を失ってしまうのか
それは、あなただったら理解できると思う。
エンターテインメントというものが、理論で創り上げられるなんていうのは
集団創作の上での必然性が生み出した、幻想であると僕は思う。
小説というのは、そこから解き放つことができる、作家個人による創作だ。
あなたはあなたであってほしい。
集団下校なんて必要ない。
「面白ぇか」「面白くねぇか」=エンターテインメントかどうかを
常にあなた自身で考え、感じながら、創作を続けていってほしい。
今回の作品で、1つ不満があるとすれば
要所要所で、「寄り添った」形跡を、少し感じたところだ。
ただ、それはデビュー作であるという上で、やるべきことだったのかもしれない。
しかし、次作以降では、なるべく、なにかに寄り添うことなく
可能な限り、あなたで埋め尽くしてほしいと思う。
期待しています。
面白かった。
ー飯野賢治(fyto代表・ゲームクリエイター)
……。
驚愕した。
メッセージに、衝撃を受けた。
どうしていいか、わからなかった。
どうにも、何もできなかった。
情けないと、今の自分なら思うだろう。
自分が最も尊敬する人間に、こんな手紙を届けられたら、
あなたならどうするだろう?
僕は、結局――感謝の言葉を伝えることができなかった。
飯野さんは、最後に、
受賞作に、こんな推薦コメントを寄せてくれた。
"――それはエンターテインメントへの真摯な挑戦だ。
鏡征爾が始まった。僕らも一緒に走らなければならない。
面白かった。"
僕は走ることができなかった。
伴走してくれる人はいなくなった。
いまでは、もうみんないなくなってしまった。
僕は、10年間「挑戦」できなかった。
何もできないまま10年が過ぎた。
飯野賢治の生涯は終わった。
でもその挑戦は終わらない。
だから、もう一度だけ、戦おうと思う。
言葉という名の武器で、足掻こうと思う。
飯野賢治は永遠に生き続ける。