ワタクシは嫁の実家で暮らしている。世間で言うところのマスオさんという立場だ。義父はすでに鬼籍に入っているので、嫁姑と娘の4人家族である。
この家に来て半年。郷に入りては郷に従えの精神で嫁の実家のルールに従って生きてきた。家ごとに独特の生活習慣や文化があることは当たり前なので、細かいことを気にしても仕方ない。
テレビのリモコンの呼び方を”ピコピコ”と呼ぶ家もあれば”ポチポチ”と呼ぶ家もあるだろう。物事を良い悪いで判断することは、無意味であると思っている。
さて、今日も姑が一番風呂に入った。この家に来て一番風呂に入ったことはないが、それを気にしたこともない。
だからといって姑と確執がないワケではないが、一番風呂は年長者に譲ることにしている。
いつものように血のつながらない老婆が浸かった湯に入り、天井を見上げると、ふと自分の祖父のことを思い出した。
祖父は戦時中、満州で兵隊をやっていた。そこで、本土から移民してきていた祖母と出会い、父が誕生することになる。だから、ワタクシにとって満蒙は祖先のルーツとなる土地である。
終戦時には幸いシベリアに抑留されることなく、細雪降る平壌の港から引き揚げ船に飛び乗り、故郷の島根で水呑み百姓として生き抜いた。ここまではよくある話である。
先日、実家に帰って父と夕飯を囲んでいると、孫を抱いて上機嫌となった父が珍しく祖父の話を始めた。
父がまだ幼かった頃、島根に帰って来たものの、百姓でとても食っていくことができず、仕事を求めて家族で、大阪に出てきたらしい。
大阪で祖父は商売を始めたが、5年くらい踏ん張ってみたもののさっぱり鳴かず飛ばずで結局、島根に帰ることになったのだとか。
どこに商売を始める金があったのか、よく考えれば父も不思議だったそうなのだが、最近、親戚からその顛末を教えてもらったそうだ。
祖父は引き揚げのドサクサの時に、満州や朝鮮で金になりそうな骨董品を二束三文で買い漁り、その中に飛び切りの名品があったらしい。
それを何年も隠し持ち、大阪に出てきた時に売り払ったら、かなりの大金になったのだとか。その金で商売を始めて、家族も食わせていたが、商売が上手くいかず溶けてなくなったと。
我が祖父ながらなかなかのやり手である。が、なんだかんだで失敗する遺伝子をワタクシも受け継いでいる気がする。
ワタクシは湯船に浸かりながら、最期はチャリでトラックに突撃して大往生した祖父の思い出に浸っていた。
ふと目を落とすと、肌がカサカサの姑から剥がれ落ちた角質と白い満蒙が湯船に蕭蕭(しょうしょう)と舞い、まるで細雪のようであった。