ピンク・フロイドとユーミンがライブを「総合芸術」に変えた
ライブ・エンタテインメントを巡る状況は大きく変わってきている。では、その実情はどうなっているのだろうか?
BUMP OF CHICKENやサカナクションなど多くのロックバンドを手掛け、日本音楽制作者連盟の理事もつとめるヒップランドミュージックコーポレーションの野村達矢に、その背景を聞くことができた。
まず、ライブ市場の拡大という同じ話題の中で括られることの多い「フェス」と「ワンマンライブ」だが、アーティスト側にとっては出演する際の意識は全く違うという。
「たとえるなら、フェスはシングル盤、ワンマンライブはアルバムのようなものですね。映画で言えば予告編のトレイラーと本編くらいの違いがある。
アーティストの意志や主張をひっくるめて作品として構築した表現を見せることは、ワンマンライブでしか成し得ない。フェスは、あくまでステージも、照明やPA(音響)も、主催者側が用意したもので、与えられた時間の中で表現しているという感覚でしかない。もちろん、その中でいかに最大限のものを見せるかという意味においてアーティストは戦っています。
しかし、あくまでアーティストの表現の100%を見せる場所はワンマンライブである。お客さんにそう認識してもらうことは大事だし、それはどのバンドも一緒だと思います」
では、テクノロジーを駆使した大規模なワンマンライブが増えた背景には、どんなものがあるのだろうか。実はアーティストが作品性の高いライブ表現を行うようになったのは最近のことではなく、そのルーツは70年代のピンク・フロイドにある、と野村は言う。
「日本のコンサート業界に大きな影響を与えたのはピンク・フロイドだと思います。彼らが、音だけじゃなくセットや照明にもこだわって視覚的な演出を行う、ある種の総合芸術としてのコンサートのお手本になった。
特に70年代や80年代は、音楽業界全体で今以上に海外の影響が大きかった。ローリング・ストーンズやU2のスタジアムライブもよく話に上がっていました。そこからコンサート業界の意識が変わって、単純にヒット曲を歌えばいいということではなく、照明や演出をリンクさせた舞台表現を作っていこうということになった。日本でいち早くそれに取り組んだのがユーミンですね」
70年代のプログレッシヴ・ロックの代表的なバンドであったピンク・フロイドは、ライブ演出においても革新的な試みの数々を繰り広げていた。
アルバム『アニマルズ』(1977年)のツアーではジャケット写真に使われた豚のバルーンを飛ばしたこともあった。80年代には同じくプログレッシヴ・ロックの代表的なバンドであるジェネシスと共にいち早くムービングライトを導入し、照明演出における光の表現を大きく革新した。
(PHOTO: Getty Images)
そして、日本において誰よりも先に豪華な演出を取り入れたコンサートを行うようになったのが松任谷由実だった。
アルバム『OLIVE』(1979年)のツアーではステージの上に本物の象を出現させ、その後もステージ上に噴水を設けたり、全長15mの電気仕掛けの竜を登場させたり、ステージセットにエスカレーターを設置したりと、奇抜なアイデアをもとにした数々の演出を実現させてきた。
1999年に松任谷由実は「シャングリラ」と題した公演を行う。サーカス、シンクロナイズドスイミング、フィギュアスケートと音楽コンサートを融合させた大規模なショーだ。その後2003年、2007年にも同様の公演が行われ、数十億円を超える総製作費とオリジナルのストーリー性を持ったスペクタクルなショーを実現してきた。
音楽コンサートが「総合芸術」として進化してきた背景には、これらのアーティストによって70年代や80年代から繰り広げられてきた様々な試みがあった。
次回につづく!