- 勉強が何の役に立つのかわからない
- 勉強する意味がわからない
- 努力したいけどやる気が起きない
- 自分にはバイタリティが無いから成功できない
ぼくの周りにも、こんな風に考えている人が結構多いです。
資格試験に合格した話なんかをすると「どうしてそこまで頑張れるの?」とか「勉強の何が楽しいの?」と言われたり。
この記事では、”勉強をする意味” について考えてみましょう。
何かを成し遂げたいけどやる気が起きない、という方の背中を押せれば幸いです。
Contents
そもそも勉強する意味とは
別に意味なんて無いです(笑)だからわかるはずがない。
“勉強する意味” なんて考えるだけ無駄なのです。
「あの人は勉強ができる」とか「勉強家だ」といった評価はたいてい前向きなものですが、あなたが思っているほど高尚なものじゃないですよ。
“何かを学ぶこと” に意味を見出すことじだい、土台不自然なものの考え方なんです。
この記事を最後まで読んでいただければ、この意味が伝わると思います。
別に勉強なんてしなくても良い
必要性を感じなければ、勉強なんてしなくて良いです。
苦しみながら、歯を食いしばりながら教科書を睨みつけるなんて不健全だし、実りは少ないと思います。
ぼくたちは文字どおり”義務教育 compulsory education“を強いられているため、勉強=義務だと刷り込まれてしまいました。
だから「やりたくもない英語」や「将来役立つかもわからない数学」と立ち向かうことに疲れてしまう。
(とは言え落第してしまってはいけないので、高校卒業(あるいは大学入学)までは勉強する必要があるでしょう。)
しかし、大学生あるいは社会人になってからは、勉強の形態は大きく変質します。
やりたい人はやり、やりたくない人は放棄する。そんな二極化が進みますよね。
それでもなお、必要性を感じなければ勉強しなくていいとぼくは考えます。
あなたは得意なもの・熱中できるものはありますか?
ところで、あなたには周りが見えなくなるほど熱中できるものはありますか?
ゲームでも、ギャンブルでも、雑談でも、家事でも何でもいいです。
ここではゲームを例にあげましょう。
例えばポケモンが大好きな人は、新作のリーク情報が小出しになるたびに一喜一憂します。アンテナを研ぎ澄ますわけです。
いざ発売されれば発売日に行列に並び、帰宅してすぐにゲームを起動。
寝食を惜しんで、何時間も何十時間もゲーム画面にかじりつきます。
いざストーリーをクリアしても、本番はそこから。
少しでも能力値の高いポケモンを孵化させるために、何百何千回と交配を繰り返す。
そんな血のにじむ努力を繰り返しながら、最強のパーティを結成するわけです。
ポケモンフリークの人にとっては朝飯前で、そんな努力は “屁でもない“かもしれません。
しかし、ポケモンに関心のない人にとっては苦行そのもの(笑)
ゲーム以外でも、たとえば競馬が好きな人は馬場の状態や馬のコンディションを事細かにリサーチします。
家事が大好きな人はホコリを効率良く取るための方法を研究するかもしれません。
このように、人が何かに熱中するとき、他者の目には想像を絶するパフォーマンスが発揮されているように映るのです。
勉強は RPG のレベル上げとまったく同じ
勉強って、実は RPG のレベル上げと似ています。
教科書や参考書を読み、人の話を聞いてさまざまな知識を蓄える。
知識が増えれば、それらが相互につながって”理解“できる。
“理解”したものを試験会場でアウトプットしたり、第三者にレクチャーしたりする。
草むらを歩き回ってレベル上げをするのと同じでしょう?
ディスプレイ上のキャラクターを強くするか、自分自身の能力を高めるかの違いでしかありません。
その証拠に、成功している人の多くは “楽しんで” 勉強しています。
まさしく”ゲーム感覚で” 勉強に取り組んでいるんですね。
ぼくの趣味が勉強である理由
話が戻りますが、「勉強の何が楽しいの?」という冒頭の問いにはこのように答えます。
「“自分”という資本の価値が高まるから」。
ゲームのように能力は数値されていませんが、昨日までできなかったことができるようになり、わからなかったことがわかるようになる。
これが死ぬほど楽しい。だから「努力しよう!」などという意識は皆無で、自然と知識欲がはたらくのです。
メンタリストの DaiGo さんの人生における目標は “知識の最大化” だそうですが、これはぼくもまったくの同意見。
自分というライブラリーに所蔵される知識が増えれば増えるほど、人生が豊かになる。
そういう尺度でものごとを考え、時間・お金・労力というリソースを割いています。
凝り性のオタクはきっと大成する
上で、ポケモンの例を挙げました。
何かに取り憑かれたようにものごとに熱中したことがある人、他の人に真似できないような芸当ができる人。
こういう人は、努力のベクトルさえぴったり合えば絶対に成功します。
高い集中力、粘り強さ、アンテナの鋭さを具有しているためです。
ヤバイのは何事にも打ち込んだことが無い人
逆に、「これまでこれといって何事にも打ち込んだことがない」という人は危険ですね。
“時間を忘れて何かに没入する感覚” がわかっていないからです。
情熱を向ける対象が見つからないというのは何よりも不幸なことかもしれません。
広い視野で周りを見わたして、何でもいいので楽しめることを探してみましょう。
必ずしも高尚なことでなくても全然かまいませんよ。
結論
① 何かに熱中するときの情熱を、”自分の人生” というゲームに割いてみましょう
② 勉強とは、”熱中できるもの・憧れるもの” と “今の自分” をつなぐためにする努力のことです
