テレビ制作者の意識はどう変わったか
ここまで書いてきた「フェス化する音楽番組」という論は、あくまで筆者の見立てだ。では、実際のところ、音楽番組の制作者側はどのように考えているのだろうか。
それを探るべく、『FNS歌謡祭』『FNSうたの夏まつり』の総合演出を手掛けるフジテレビ制作局第二制作センター所属のディレクター、浜崎綾に話を聞いた。
「今考えると、00年代と10年代は、空気が大きく変わったと自分でも思うんです」
そう浜崎は言う。音楽番組の制作者側にとっても、生放送の大型番組が拡大の一途を辿った10年代はそれ以前と全く違う状況が訪れた時代と捉えているようだ。
浜崎は1981年生まれ。2004年にフジテレビに入社している。バンド活動に打ち込んだ学生時代を経て、入社以来、一貫して音楽番組の制作に携わってきた。
「フジテレビの音楽班、『音組』と呼ばれているメンバーは、本当に音楽を愛している人たちの集まりなんです。そこに入ってまず気付いたのは、テレビの人間が実際に音まで作っているということ。
『ミュージックフェア』も『FNS歌謡祭』も、ただカラオケの音源を納品されて歌うだけじゃなく、実際にその曲のアレンジや構成をどうするかまで考える。CDとは違う、テレビでしかできないバージョンにチャレンジしようという気持ちが強いんです。
たとえばアーティスト同士のコラボをするときにも、それぞれのキーを考えて『こう歌って、こうハモったらどうか』みたいな話までする。これはフジテレビならではだと思うんですけれど、私がADとして入った時には、すでにそういう上司がいて、それが当たり前の環境で育ってきました」
長年の歴史の中で、フジテレビの音楽番組は独自の文化を築き上げてきた。『ミュージックフェア』を開始当初から手掛けてきた石田弘、『僕らの音楽』や『新堂本兄弟』を担送し、生歌・生演奏にこだわる番組制作で知られるきくち伸など、「音組」には名物プロデューサーたちが名を連ねている。
『FNS歌謡祭』や『FNSうたの夏まつり』でもアーティスト同士のコラボが目玉になっている。
芳村真理を司会に70年代から80年代の歌謡曲全盛期を作り上げた『夜のヒットスタジオ』(1968年〜1990年)や、ダウンタウンを司会に90年代のメガヒットの象徴となった『HEY!HEY!HEY!』(1994年〜2012年)など、高視聴率を連発し、時代を彩る数々の音楽番組を作り上げてきたのもフジテレビだった。
しかし00年代の後半、フジテレビの音楽番組には重苦しいムードが立ち込めていたという。当時、看板番組だった『HEY!HEY!HEY!』は徐々に勢いを失っていた。
「自分たちがイケると思っていた番組がパワーダウンして、気分がどんよりしていたのが00年代の後半という感じがします。なんとなく、ハネている、キているという感じがしないというか。全体的にそういう空気がありました」
(PHOTO: Getty Images)
「メディアの王様」ではなくなった
吉野『フジテレビはなぜ凋落したのか』(新潮社)には、00年代後半はフジテレビ全体に閉塞感があった時代だと指摘されている。
お祭りを盛り上げるような会社全体の一体感や、仲間内で互いに支え合う相互扶助の精神が少しずつ薄らいできたのだ。フジテレビは、みんなで盛り上がることを最も得意としていたテレビ局だったはずなのに……。
盛り上がる社員と盛り上がらない社員に分離されるようになったことを、お台場の社屋で仕事をしていた人は、社内の〝空気感〟で感知できたはずだ。 (吉野嘉高『フジテレビはなぜ凋落したのか』新潮社)
著者の吉野は1986年にフジテレビに入社し、情報番組のプロデューサーや社会部記者などを務め2009年に同社を退職したキャリアの持ち主だ。同書には、コンプライアンスを重視したこと、管理主義が強まって若手の権限が狭められたことで現場から勢いが失われていく様子が、内部にいた人間ならではの目線でありありと描かれている。
ただ、メディアの力学の変遷の歴史から振り返ると、これはフジテレビだけの問題ではなかったとも言える。00年代後半はテレビ全体が力を失っていく時代だった。背景にあるのはYouTube(2005年サービス開始)や、ニコニコ動画(2007年サービス開始)の普及だ。動画サイトの視聴時間が増し、相対的にテレビの影響力は小さくなっていった。
「でも、10年代になってテレビ局の人間の意識が変わったと思うんです」と浜崎は言う。
「昭和の時代から20世紀の終わりくらいまで、テレビはメディアの王様だったと思うんですね。作っている側にもそういう意識があった。
でも、もはやそうじゃないことに若い世代が気付き始めている。動画を配信するプラットフォームの一つくらいに思わなきゃいけない、そう考えるようになったんです」
00年代以降、インターネットが情報流通のプラットフォームとして定着し、テレビは「メディアの王様」ではなくなった。そして、若い世代の作り手たちは、そのことを前提として番組を制作するようになっていった。スタンスが根本から変わったのである。
「しかも、そういう時代にテレビは不利なんです。ここ数年、ヒットするものはSNSで拡散されるもの、シェアされるものになってきてますよね。特に音楽のヒットはスマホから生まれるようになった。でも、テレビは著作権や肖像権の問題で、拡散やシェアをブロックせざるを得ないところがある。
これからの時代は、自分たちが不利だと認識して番組を作らないと戦っていけないと強く思っています。今でも昭和の時代にブイブイ言わせていた人はそういうSNS以降の感覚をわかっていないと思うんですけど、今の30代の制作者はみんなそれに気付いている。そのことによってテレビを作る人間の意識が変わってきました」
『フジテレビはなぜ凋落したのか』で吉野は、フジテレビの凋落の要因は「社風の変化」にある、と語っている。復活のためには再び社風を一新すべきで、そのためには好調な視聴率を維持している日本テレビの強さを参考にすべきだと書いている。
かつてフジの全盛期に、日テレが〝フジテレビ徹底研究〟を実施し、良い点を取り入れたように、今度はフジが日テレから学ぶべき時なのかもしれない。(前掲書)
しかし、SNSやスマホが前提になった今のメディアの構造と力学を考えると、もはやテレビ局の間で視聴率を競い合うような考え方、そこに戦いを見出す価値観自体が一時代前のものだと感じざるを得ない。
さらに言えば、テレビとネットが対立しあうような考え方も00年代的なものだ。10年代には、たくさんの人がスマホを観ながらテレビ番組を視聴するようになった。番組が公式ハッシュタグを用意して参加型の仕組みを作ったり、テレビ画面にツイートを反映させたりもしている。オンデマンドの見逃し配信も普及しつつあるし、前述したAbema TVも好調だ。
フジテレビが他局に学ぶ、というよりも、今はテレビの作り手全体がネットメディアと共闘し、新しい時代に対応したあり方を模索する時代に突入している。少なくとも若い世代の作り手たちはそのことに気付いているようだ。
次回につづく!