第二次大戦中のアメリカ。日系人強制収容所での生活を伝える写真

11万人以上の日系アメリカ人が強制収容された

第二次世界大戦中、アメリカで11万人以上の日系アメリカ人が拘留された。10ある強制収容所に移動させられた。これはアメリカにおける最大の人権侵害の一つだと考えられている。1988年、アメリカ議会は公式な謝罪を発表し、生存者と家族に賠償をした。日系アメリカ人強制収容所での日常生活はどんなものだったのだろうか?

Hulton Archive / Getty Images

1942年7月、日系人強制収容所で風になびく星条旗。カリフォルニア州のマンザナー強制収容所は山に囲まれていた。

/ AP

1942年、3月30日。ワシントン州ベインブリッジアイランドからやってききたキタモト・シゲホさんと彼女の子供たち。カルフォルニアに237人の日本人を向かわせるため指揮をとったジョージ・ブッシー伍長が、キタモトさんの末っ子を抱いている。

Library of Congress

1942年3月、「私はアメリカ人」という大きなサインがかかっているカルフォルニア州オークランドの店のウィンドウ。店は、西海岸の一部地域から移動するようにという日系人への命令で閉店。カリフォルニア大学の卒業生のオーナーは、戦時中、強制収容所で何百もの日系人と住むことになった。

Henry Griffin / AP

Carl Mydans / The LIFE Picture Collection / Getty Images

 

1941年12月29日、ワシントンD.C.。強制収容所に向かうため荷造りした日本大使館のスタッフの荷物。
女性と子供がカルフォルニア州ツールレイク強制収容所についた時の様子。

Corbis / Getty Images

1942年5月8日、カルフォルニア州のヘイワードで、強制収容所に向かうバスを待っているモチダ一家。

AP Photo

1944年2月18日のスタンプが押された、タナカ・ショウノスケさんの外国人登録カード。タナカ家提供。第二次世界大戦中、彼は、強制収容された大勢の日本人の祖先の

Carl Mydans / Getty Images

カルフォルニア州ツールレイクの日系人強制収容所の警備担当者たち。

Carl Mydans / Getty Images

カルフォルニア州ツールレイク日系人強制収容所内の家々。

AP

1942年3月、カルフォルニアのマンザナー収容所に到着し、最初の食事を受け取る日系人たち。ロサンゼルスにあった自宅から移住を余儀なくされた。

Carl Mydans / Getty Images

カルフォルニア州ツールレイクの日系人強制収容所の内部。

Ansel Adams / Library of Congress

ベット横の棚にある写真と遺品。マンザナー強制収容所にて。

Ansel Adams / Library of Congress

Ansel Adams / Library of Congress

 

カルフォルニア州のツールレイク日系人強制収容所でポーズをとるアキツキさん(左)と、ツールレイクの赤十字で働く女性(右)。

Buyenlarge / Getty Images

マンザナー収容所に暮らす女性たちはバレーボールをし、時を過ごしていた。

AP Photo

ロサンゼルスから来た、フローレンス・ヤマグチさん(左)とヒラヤマ・キヌさん(右)。1942年6月、カルフォルニア州マンザナー収容所内の林檎の木の下で。

Carl Mydans / Getty Images

カルフォルニア州ツールレイクの日系人強制収容所で授業を受ける子どもたち。

Ansel Adams / Library of Congress

マンザナー強制収容所で新生児を母親に見せる看護師のハマグチ・アキコさん。

Hulton Deutsch / Getty Images

マンザナー強制収容所で、日系アメリカ人を警備するアメリカ人の兵士。

Buyenlarge / Getty Images

ツールレイクの強制収容所から、カルフォルニアの砂漠を眺める日系男性。

Eliot Elisofon / Getty Images

1942年3月21日、マンザナー収容所に到着し、荷物を運ぶ日系人たち。

Justin Sullivan / Getty Images

マンザナー国定史跡の中に建つ死者の慰霊碑。2015年12月9日撮影。

この記事は英語から翻訳されました。

Check out more articles on BuzzFeed.com!

 
  リアクション
 

今話題