フランシス・ザ・ライツが生んだ大発明
柴那典(以下、柴) 前回は宇多田ヒカル『Fantôme』の話でしたけれど、今回はそれとつながる話をしましょう。今のアメリカの音楽シーンがすごくおもしろいことになっている、という。
大谷ノブ彦(以下、大谷) フランク・オーシャンの『blonde』のことじゃない? KOHHがゲスト参加した。
柴 そうそう!
大谷 いやあ、このアルバムはすごい! すこし気が早いけど、今年の僕の洋楽アルバムトップ3に入ります。
柴 僕も『blonde』は今年の最重要作の一つだと思いますね。
大谷 ちなみに僕のトップ3は、フランク・オーシャンの『blonde』、ボン・イヴェールの『22、ア・ミリオン』、そしてジェイムス・ブレイク『The Colour in Anything』。しかもおもしろいのは、この3人が、それぞれのアルバムで参加しあっているということ。
柴 革新的な音楽を作っている人が点と点で結ばれてるんですよね。ただ、僕が今年出た洋楽アルバムの中で3つ選ぶとしたら、フランク・オーシャンの『blonde』、ボン・イヴェールの『22、ア・ミリオン』は大谷さんと一緒なんですけど、3人目はジェイムス・ブレイクじゃないんです。
大谷 あれ? ちょっと待ってよ、どういうことよ、柴さん。だれだれ?
柴 僕が選ぶならフランシス・ザ・ライツの『Farewell, Starlite!』です。まだ日本での知名度は全然ないと思いますけど。
『Farewell, Starlite!』Francis and the Lights
大谷 彼はどういう人なの?
柴 NY在住のプロデューサーで、実は彼がキーパーソンの一人だと僕は睨んでいるんです。そして、このフランシス・アンド・ザ・ライツはボン・イヴェールと深くつながっている。まずはボン・イヴェールの新作の何がどう革新的かは、「715 - CR∑∑KS」という曲を聴くとハッキリわかるんです。
ボン・イヴェール「715 - CR∑∑KS」
柴 ボン・イヴェールってもともとフォーク・ミュージックの畑から出てきた人なんですよ。
大谷 僕の中ではエリオット・スミスに近いなと思いました。
柴 フォークって、ある種の様式美がずっと続いてきたジャンルなんですよね。アコースティックギターのシンプルな弾き語りをもとにした音楽という。だけど、ボン・イヴェールはそこに何重にも声を重ねる独特のハーモニーを持ち込んだ。
大谷 この曲にも何重ものコーラスが重なっていますね。
柴 しかも彼は基本的にすべて自分の声を重ねている。そういう意味では、ボン・イヴェールと宇多田ヒカルのやっていることは近い。
大谷 なるほど。前回した「ユニゾンの終わり」という話につながるんだ!
柴 そうそう。多人数が同じメロディーを歌う「ユニゾンの時代」から個人が自分の声を使ってハーモニーを作る時代の転換がここでも行われているんです。
大谷 おもしろいなあ。
柴 しかも、今回のアルバムはもっと新しいことをやっているんですよ。
大谷 というと?
柴 レコーディングで声を重ねるんじゃなくて、マイク一本でデジタルなハーモニーを鳴らしているです。歌っている声は一つなんだけど、スピーカーから出ている音はゴスペルのコーラス隊みたいな感じになる。だからライブでも一人で自分の声を重ねられる。
大谷 えっ、そんなことがライブでできるの?
柴 それができるんですよ。ボコーダーやオートチューンのように、声の音程を変えるエフェクター自体は前からあるんです。でも、詳しいことはわからないけれど、それとは全く違う原理で、鍵盤を押さえた通りの和音で声を“演奏”できるテクノロジーが発明された。ボン・イヴェールはそれを独自にカスタマイズした楽器を使っていたんです。
大谷 すごいテクノロジーですね。
柴 それが「Prismizer」というもので、つまりはプリズムのように一つの声から多重の歌声を生み出すという機材なんですね。そして、これを発明したのが、フランシス・ザ・ライツ。
大谷 へー! そうなんですか。
柴 彼は新しいテクノロジーを発明したからいろんなアーティストに引っ張りだこになっているんですね。まずは最初に挙げたフランク・オーシャンの『blonde』にフィーチャリングで参加している。
大谷 たしかにデジタルなハーモニーがありますね。
柴 そして、フランシス・ザ・ライツが出した『Farewell, Starlite!』には、さっき言ったボン・イヴェールとカニエ・ウェストがフィーチャリングで参加しています。
大谷 出た! カニエ! そうそうたるメンバーですね。
Francis and the Lights - Friends ft. Bon Iver and Kanye West
柴 彼はチャンス・ザ・ラッパーのアルバムにも『サマー・フレンズ』「オール・ウィー・ゴット』の2曲に参加していて、Prismizerを使った歌声を披露している。
チャンス・ザ・ラッパー「サマー・フレンズ」
柴 さらに「ハウ・グレイト」という曲のミュージックビデオでは、実際にPrismizerを使ってリアルタイムでデジタル・ハーモニーを生み出している。歌っている黒人女性の後ろで小さなキーボードを弾いているのがフランシス・アンド・ザ・ライツ。
@chancetherapper | 16:46 - 2016年10月20日 | Twitter
大谷 これはヤバいなあ!
柴 ポップミュージックの歴史って、機材の進歩や発明の進歩によって新しい音楽ジャンルが生まれてきたことの繰り返しなんです。エレキギターの発明によってロックンロールが生まれたし、シンセサイザーがテクノを生んだ。ただ、ここ10年くらいはもう発明はないと思っていたけれど、今、Prismizerという新しい発明がアメリカの音楽シーンの最前線で使われはじめている。
大谷 なるほど。これは確実に新しい時代がやってきますね。
音楽を売らずに巨額の富を得たラッパー
大谷 チャンス・ザ・ラッパーも今までにないイノベーションを起こしていますよね。彼、音楽を売ったことがないんでしょ?
柴 そうなんです! 1作目『10 Day』と2作目の『Acid Rap』はフリーダウンロード、今年の5月に出た『Coloring Book』はストリーミング配信限定。今まで一度もCDを出したことがないし、ダウンロード販売もしたことがない。だけれどもラップ界のスターになった。
大谷 すごいなあ。しかもそれが全米8位でしょ?
柴 そうなんです。今のビルボード・チャートはストリーミング上での再生回数をカウントしてますからね。
大谷 しかもグラミー賞の候補にもなっている。今までは有料でリリースされた作品だけが対象だったんだけれど、その仕組みも変わっちゃった。
柴 まさに世界を変えていますよね。チャンス・ザ・ラッパーを見ていると、つくづく思うことがあって。「今の時代は音楽がなかなか売れない」とかよく言う人がいるでしょ? 「ネットで無料でいくらでも聴くことができる時代に、音楽業界はどう対応していくのか……」とか。
大谷 「CDが売れなくて音楽業界が低迷の危機!」とかね。
柴 そうそう。でも、これは敵を増やす覚悟で言いますけど、そういう話を聞くと「バカじゃないの?」って思うんですよ。いまやアメリカには一度も音楽を売ったことのない人がトップスターになって、巨額の富を得ているのに。
大谷 まったくその通りですね。
柴 音楽業界の意思決定を担っている人は、一刻も早く世の中の流れに気がついた方がいいと思います。端的に、今は日本だとレコード会社によってYouTubeにアップされるMVがフル尺じゃなくてショートバージョンだったりする場合があるでしょう? 「CDが売れなくなる」と思ってそういうことをしてるんだとしたら、本当にダサすぎる!
大谷 それ、超わかるなあ! そもそも入り口がYouTubeで無料でも、好きなものは収集したくなるから、CDを買うんです。ライブにだって行くんです。
柴 そうそう。人は好きになったものにはちゃんとお金を払うんですよ。
大谷 これってライブハウスにも同じことが言えると思うんです。というのも、下北沢Threeというライブハウスがあるんですけど、毎週金曜日に完全無料のイベントをやっているんですよ。面白いバンドやDJがどんどん出ていて、新しいコミュニケーションの場として広がっている。
柴 へー! おもしろそう。いわゆる新しい音楽やカルチャーに出会えるサロン的な場になっているんだ。
大谷 しかも事前に出演者を発表しないから、行くしかない。そうやってライブハウス自体のファンを作ってるんです。そういう意味ではこの下北沢Threeのやっていることは新しいなと。
柴 たしかに。ライブハウスの場の作り方としてはとても画期的ですね。
大谷 キングコングの西野もクラウドファンディングをして、個展を入場無料にしたわけですからね。音楽にしても場にしても「おもしろそう!」とどんどん多くの人に知ってもらって、ファンになってもらうことが大切になっていくんじゃないかなと思うんです。
柴 つまり間口を広げるってことですよね。コンテンツを囲い込むんじゃなくて、いろんな人に知ってもらってファンになってもらう機会を作り出す。
大谷 そうそう。チャンス・ザ・ラッパーがやってるのもまさにそれですもん。この先はこのやり方が世界的に浸透していくと思いますね。
構成:田中うた乃