- 支離滅裂のトランプ政策
米国の大統領選はトランプ氏の勝利で終わった。選挙戦直前、クリントン氏がやや有利という報道が多数出回り、日本の人々もそれを信じていた。また大半の人々にとって、トランプ氏よりクリントン氏の方がましという気持ちであったと推察される。それもあって選挙戦の重要ポイントであるオハイオ州をトランプ氏が取ったという報道が流れた瞬間、日本の市場は大混乱に陥った。円は急騰し、株価はプラスから大きなマイナスに転じた。
しかし同日の夜、欧米の市場が開くとアジア市場の混乱が嘘かと思われるほど落着いた動きとなった。むしろどちらが当選したかを別にして、大統領選という大きなイベントがとにかく終わったという安堵感が市場に流れたと思われる。
筆者もクリントン氏の当選をテーマに今週号を書くつもりでいた。しかしトランプ大統領ということになると、現段階ではあまり書く事はない。クリントン大統領なら中国に関連した事を取上げるつもりでいた。
たしかにクリントン氏は選挙演説を行っていても、聴衆の集りが非常に悪かったようである。やはりクリントン氏の個人的な人気が乏しかったと見られる。選挙の終盤には、大スターを次々と登場させ聴衆をなんとか動員していたのであろう。
トランプ大統領の政策はよく分らない。選挙中に訴えていた政策は整合性がなく支離滅裂である。経済政策の柱はインフラ投資と減税である。財源はとりあえず国債の発行ということになる。これを先取りして市場では、早くも長期債が売られ金利が上昇している。
またトランプ氏は選挙期間中、「FRBはむやみに低金利を維持しオバマ政権を助けている」と批難していた。またFRB理事の補充にタカ派(利上げに積極的)の者を任命するという観測が出ている。しかしインフラ投資と減税を実施するには、この金利上昇は大きな障害になる。
またトランプ氏は米国の製造業の復活を訴えていた。これに関して為替を安く操作している国として中国や日本をヤリ玉に挙げ批難していた。しかし中国の人民元が極端に購買力平価とかけ離れ極端に安かったのは数年前までの話である。昨今は人民元レートは適正レベルにかなり近付き、むしろ外貨流出を警戒し人民元安を牽制していたほどである。しかし輸出不振とトランプ登場で状況は一変し、大統領就任前まで人民元を操作し安くさせる方針に転換したようである(しかし外貨流出のリスク有り)。
また日本円が安かったことはたしかに過去に何度か(例えばレーガン時代など)あったが、昨今はほぼ購買力平価に近い水準であり特に問題はなかった。ところが上記の通り選挙後の金利上昇に伴い、むしろ米ドルだけが高くなっている。これも製造業復活というトランプ政策と矛盾する(さらに米ドルの独歩高となる別の要因が考えられるが、それについては後半に説明する)。
トランプ氏は経済成長率を3〜4%台と現在の倍にすると公約している。たしかにこれは不可能な数字ではない。しかし製造業の復活だけでこれを実現すると言っても無理である。米国の製造業は既にGDP比で10%程度まで縮小している。
メキシコに転出した工場を米国に戻すと言っても、相手があることだから簡単ではない。それどころかトランプ大統領が誕生した当日、これに当てつけるかのようにGMは2,000名のリストラを発表している。トランプ大統領の誕生で支援者は大喜びであるが、そもそも政権の基盤は決して強くない。
- あっと驚くような話
トランプ氏の経済政策の柱がインフラ投資と減税ということは正しい方向と筆者は考える。もしこれらにつけ加えるなら、米国も成熟化するのだから社会保障関連の支出も増やすべきと思う。これらの全てが日・米・欧にとって共通して必要な政策である。
問題は財源である。筆者は米国もヘリコプター・マネーの活用が良いと考える。容認できる物価上昇率の範囲内に収まる程度のヘリコプター・マネー政策である。しかしこれは日本と同様、政治的に簡単には実現しないと筆者は見ている。
次に単純な国債の増発が考えられるが、これには小さな政府を唱える共和党が簡単に賛成するとは思えない。13/10/7(第772号)「消費税増税、次の焦点」などで述べたように、そもそも米国政府の債務残高は法律で枠が設定されている。これを共和党がオバマ政権に対する政争の具に使い、12年末から13年にかけ「財政の崖」問題が起った。特に共和党は小さな政府を信奉するティーパーティ派を抱えている。彼等は減税には賛成するかもしれないが、国債発行によるインフラ投資なんてとんでもないと強く反発すると思われる。
ここで密かに囁かれているのがあっと驚くような話である。米大企業が海外で保有する留保金(埋蔵金)の活用である。米国内の法人税率が35%と高いので、米大企業は海外に巨額の留保金(一説では2兆5千ドル)を寝かしている。これついては本誌でも何回か取上げてきた(アップル社だけでも22兆円)。
そこで海外留保金を国内に還流させた場合、時限的にこれに対する法人税率を低くすると言うのである。実際、過去(2005年)にこれを実施したことがあり、この時には1兆ドルの海外留保金のうち3割が還流した。もし今回これを実施し4割の海外留保金が還流すれば1兆ドルとなる。これによって仮に税率を25%とすれば2,500億ドル(26兆円)の税収が得られる(筆者の勝手な試算)。
実はこの海外留保金を財源に使う案は、トランプ、クリントンの両候補が選挙中に言っていたことである。つまり実現性は高い。また米大企業の方も、この手の政策が将来実施されることを見越して海外留保金を積み増して来たきらいがある。
たしかにこの政策の具体的な形はまだはっきりしない。しかし筆者はこの政策が実施されるものと想定し色々と考えておく必要があると考える。また何となく市場もこれを織込んだ動きを最近始めたような気がする。
この政策で確実に影響があるのは為替である。仮に1兆ドルもの資金が米国内に還流すれば、単純にはかなりの米ドル独歩高となる。しかし税引後(税金が2,500億ドル)の7,500億ドルの資金の行方が問題になる。おそらく設備投資に回る資金は小さく、かなりの部分が預金や債券購入に充てられると筆者は見る。しかしこれは米金利を引下げるため米ドル安の要因となる。
つまり米ドル高要因と米ドル安要因の両方が発生する。しかしトータルでは米ドル高要因の方がかなり強いと見るのが適切であろう。つまりこの政策によって円安となると筆者は考える。実際、2005年にこの政策が実施され、102円で始まった円レートは年末には117円まで円安が進んだ。この年は年初からの半年くらいはダラダラとした円安傾向であったが、年の後半にははっきりと円安が進んだ。
しかしドル高・円安は、米国の製造業の復活を目指すトランプ政権にとって容認できないところである。おそらく次にトランプ大統領は、日本に強力な内需拡大策を迫って来ると筆者は見る。ましてや消費増税なんてとんでもない話である。
しかし内需拡大策は日本にとって好ましい政策である。これまでも日本には外圧を装って政策転換を行ってきたという歴史がある。今回は強烈な個性を持つトランプ大統領が相手という理由で、むしろ比較的スムーズに適切な政策への転換ができるのではないかと考える。もしこれをきっかけにヘリコプター・マネー政策が実現すれば万々歳である。今週は「現段階ではあまり書く事はない」から始めたが、こう考えるとトランプ大統領誕生はむしろ良かったと思うようになりつつある。
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