真夏の講師は女子高生の夢をみるか?
PSVRサマーレッスン製品版をプレイしてみて、プレゼンスとストーリーテリングの両立の難しさを再確認できたのでメモ。
「なるほど・・こうなったか・・・」
今年9月東京ゲームショウのSIEさんブースで体験し終わってそう呟いた(実際にtwitterにもボソっと呟いた気がする)。サマーレッスンは個人的にも思いれのあるタイトル。私自身VR界に人生賭けてもいいと思えたのは自分でMikulusというアプリを開発してVRにおけるキャラクターとの強烈な視線とのインタラクションであり、存在感・実在感(いわゆるプレゼンス)、そして脳が癒やされるという感じがあったからだ。キャラクターVRには無限の可能性を感じている。鉄拳Pの原田さんの「VRでキャラクターをもっと好きになってもらいたい」は完全に同意だし、共感している。サマーレッスンは本当に国内でVRというものの可能性や認知を広めたと思う。私自身は開発者の方々とも繋がりもあり、初期バージョンも金髪のバージョンも体験させてもらっているし、変化も感じ取ってきた。ただ、正直言うと製品版をプレイしてみてテックデモであった体験版の時と比較して多くのプレゼンスの剥がれを感じてしまった。 なぜだろうか・・・?
まず、ストーリーテリングとプレゼンスは基本的に相反する。
プレゼンスを高めると
・プレゼンスを感じたものに、気をとられる
・特に初めての人は、目の前にあるものに「すごい!触れそう!」とびっくりする
→ ストーリーに集中できない
ストーリーを見させようとすると
・自分がそこにいる感が少なくなる(放置プレイ)
・キャラクターがやらせっぽくなる
→プレゼンスが剥がれてしまう
VRにおけるストーリーテリングはとてもむずかしい。
サマーレッスンではどうだったか?プレゼンスの剥がれを感じた点を一つ一つ紐解いていこう。
・ストーリーの強制化
物語は冒頭の喫茶店、ここちよいサウンド、ちょっと汚れた喫茶店のリアリティ。ゆっくりと儀式としてVRに入っていく感じは素晴らしい。VRはプレイヤーを現実からVRへクロスフェードさせることが大事である。
その場面転換が起き、ひかりちゃんの部屋ではじまる。なぜ自分はこの部屋にテレポートしたのかよくわからない。家の前にも立ったり、玄関でお母さんに挨拶したり、部屋に行く過程の描写はない。その後、ドアがひらきひかりちゃんがチラっと不審そうにこちらを見てくる「あなた誰?お母さんと一緒に私を騙そうとしているのでしょ??」一方的に話しかけられる。ストーリーの都合かもしれない。女子高生の部屋に一人テレポートしたら、キモいと思われるのは普通だし。うちの奥さんは「だったら急いでここから逃げろ!」と叫んでいた。テックデモであった体験版では冒頭から部屋にいるし、部屋を見回す時間も与えられ脳がこの部屋にいるということに慣れることが出来ていた。その後、ひかりちゃんが好意を持って部屋に入ってきてくれた。製品版では若干ものがたりに入り込めなくなった。プレイヤーはVRの世界に慣れると、自分でストーリーを発見して「参加する」からだ。
・突然の暗転
ひかりちゃんにさあ授業を教えるぞ!と選択肢を選ぶと世界は突然暗転する。暗転の瞬間に自分のプレゼンスは引き裂かれてしまった。VRはその世界に浸っていたい。特に教え子であるひかりちゃんと同じ部屋で同じ空気を同じ時間を過ごしたい。ただ勉強しているひかりちゃんのとなりで見守ってあげるだけで幸せな気持ちになれそうである。ストーリーテリングの都合でトランジションを入れるけど、脳が納得していないタイミングでトランジションを強制しては危険だと思った。
・フロアレベル問題
PSVRはカメラで可視光で位置トラッキングをしている。しかしながら、床設定の概念がない。実空間側の床とVR空間側の床のマッピングがないので、随時ボタンでリセンターできる。椅子の座ってプレイする分にはよいけど、立ち上がったり、ちょっと歩くと床面と感覚の不一致が起きプレゼンスの剥がれを感じた。
・アバター問題
まず、自分はリアル側の自分なのか?それとも教師の役割を演じるのか?ここがよくわからない。特にゲーム中でかまいたちの夜のようなシルエット人間で描かれる。シルエット人間はIKなどの制御で自分の体についてこないので幽体離脱できてしまう。幽体離脱したなら幽霊か?と思うが、ひかりちゃん(サマーレッスンの女の子)はこちらを見てくる。なのでこの時点でプレゼンスを失ってしまう。
・空中浮遊する未来の携帯電話
サマーレッスンの世界観設定は日本の現代であるように感じる。しかしながら、喫茶店の場面であいまいにポジトラされた空中浮遊する謎の携帯電話に遭遇する。突然主人公がエスパーに覚醒したわけではない。現代の設定でストーリーを進めるなら、ユーザーインターフェースの都合で謎のデバイスは出さない方がいいと思った。多分ハンドコントローラで実際に掴んでみせればプレゼンスは剥がれにくいけど。
・空中浮遊系インターフェイス
上と被るが、やはり未来ではないので空中投影系の近未来っぽいインターフェイスと世界観があわないように感じた。「はい」「いいえ」を頭の動きで指示するのはよいUIだと思う(その昔、公園彼女というVRタイトルでもあった)が、空中浮遊に遭遇するとこれは近未来SFか?と一瞬思いプレゼンスが失われやすい。授業後のダイアグラムもHUD的に浮いているが、できればゲーム内スマフォや、授業の指導ノートなどに書かれているとプレゼンスを維持できると思った。逆に未来の話やSFの世界観でスタートすればプレゼンスを維持できる。
・ゲーム化するということ
VRのゲームで課題になるのは多くの場合、VR体験とゲーム性のバランスだ。VRは体験が強烈な新しいメディアだ。メディアが新しいとその体験だけで十分強烈だったりする。VRゲームで多くの場合、既存のゲームよりゲーム性が低いのはその点があると思う。
サマーレッスンをプレイしてみてゲーム化することの苦悩のようなものを感じた。テックデモからフルゲームにするには、お金を取る以上多くの要素を詰め込まないといけない(と思いがち。)。テックデモなら一回体験すればいいが、製品となるとリピートして遊ぶ(つまり何度も価格分は楽しめる)ものを期待される。今回はプリンセスメーカー的な方向のアプローチで反復(ハルヒのエンドレスエイトとかうる星やつらのビューティフル・ドリーマー?)するゲーム化(ゲーム性付与化)を行ったのだと思う。限られたリソースの中で反復をしてボリュームを増やすというのは技法のひとつだ。
ここで思ったのは、そんなに顧客はゲーム性を求めていたのか?顧客が本当にもとめていたのは毎日ひかりちゃんにあってコミュニケーションしたり、ただ見守っていたかったのではないか?という点だ。その昔、AppleIIでリトルコンピュータピープル(日本版はSQUAREがアップルタウン物語)というゲーム(?)があったが、あれは主人公の日常をただ見つめて最小限のインタラクションができた。現状のコンシューマ機で使えるテクノロジーではAIがどうしても嘘くさくなる。無限の分岐をつくれない。AIというより、単にパラメータドリブンなステートマシンにすぎない。
・VR界のストーリーテリングとゲーム性の両立
もし介入が必要ならドリームキャストのルーマニア。これも透明人間として主人公のネジ君に謎の意識ボールで介入できた。こういうのはアリかもしれない。
VRにおけるストーリーテリングで大切なこと
「プレイヤーはストーリーの一部!」
さてさて気になった点を挙げてしまったがもちろん素晴らしい点も多い
・サウンドのこだわり
・ひかりちゃんには心音がある
・細やかな制御
・すばらしい背景クオリティ
・背景の使ってる感(黒澤映画は劇中のタンスの中にも服をつめた)
・携帯電話の汚れ(あえて手垢)
・モーションの素晴らしさ
・ひかりちゃんがかわいい
・ひかりちゃんがかわいい
・ひかりちゃんがかわいい(解像度はなんとかして)
プロとしてのこだわりを随所が見られた。
今後の発展に期待してVRのIPとしてひかりちゃんがサマーレッスン、ウィンターレッスン・・・と育っていくことを今後も期待していこうと思う。このサマーレッスンというタイトルの成長を見守る行為こそプレイヤーに突きつけられたレッスン(授業)なのかもしれない。
「サマーレッスン5やった?AI技術やばいよね。夜、眠ったときにひかりちゃんの夢を見たよ!」
GOROman