Column

ボブ・ディランが教えてくれた、生きるということ、そして音楽の果てしない醍醐味

ボブ・ディランが教えてくれた、生きるということ、そして音楽の果てしない醍醐味

1965年1月と記録にはあるので、ボブ・ディラン、24才だ。その若き日のディランが、こちらを向いて敬礼している。場所は、グリニッチ・ヴィレッジの公園らしい。主に1950年代のビートニクを撮りつづけた米国の写真家、フレッド・W・マクダラーの作品だ。アルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』のレコーディングを終えた直後らしく、おどけているようにみえるのは、それからくる安堵もあるのだろうか。

ぼくは、ディランの歌はもちろんだが、彼が写っている写真も好きで、それは、これみよがしにミュージシャン然としていないところが良いのだ。殊に最近の彼は、お洒落で、何処か胡散臭げで、品の良い、老いた詐欺師みたいなところさえある。しかも、その存在感は圧倒的で、会場にいる人たちばかりか、世界のありとあらゆる街からの視線を集めたかのような、先の来日公演を思い出すと震えがくるくらいだ。

『ボブ・ディラン スクラップブック 1956-1966』(ロバート・サンテリ著・菅野ヘッケル訳)は、自筆の歌詞の草稿や公演のチケット等々のレプリカとか、いろんなものを集めた書籍で、この若き日のディランの写真が表紙になっている。この本も、この写真も大好きだから、仕事部屋に置いてあって、ぼくのほうをいつも見てくれている。

そんなディランの視線を楽しみながら、ここ数日、彼の歌を聴いている。ノーベル文学賞授賞の報道以来、仕事のためというのもあるのだが、彼の歌を聴く日が続いている。久しぶりに聴く歌もあれば、偶然にも最近聴いたばかりの歌もある。「風に吹かれて」、「北国の少女」、「女の如く」、「やせっぽちのバラード」、「マイ・バック・ペイジズ」、「ライク・ア・ローリング・ストーン」、「マギーズ・ファーム」、「ブルーにこんがらがって」、「シングス・ハヴ・チェンジド」、「自由の鐘」、そして、「寂しき4番街」等々。

こうした歌の数々を通じて、ディランはいつも何か大切なことを問いかけつづけてきた。そもそも、歌とは、必ずしも答へと導いてくれるものでなくともいい。むしろ、我々に問いかけるからこそ、価値がある。これを教えてくれたのが、ディランだ。そして、どんなことでも歌に出来る、それもまた、ディランから学んだことだった。

dxc__om1311617small

大人たちに都合のいい歌、当たり障りのない歌が歓迎される中で、彼は、大切なことであれば、聴き手が不愉快になったり、顔を背けるようなことでも平気で歌にした。彼の歌を前にして、我が身の卑しさだとか、醜さだとか、狡さだとかに気づかされ、立ちつくすこともあるが、それもまた、歌を前にしたときの醍醐味だと気づかせてくれた。

「米国の歌の伝統の中に、新たな詩的表現をもたらした」というのが、今回の授賞の理由だ。実際に彼は、韻を踏ませたり、比喩を使ったり、誰にも考えつかない創意を注ぎながら、歌の可能性を飛躍的に推進させた。書物の中で畏まっていた言葉たちを慌てさせ、リズムが躍る新しい世界へと引っ張り出した。声にだし、唇にのせることで、言葉たちがもっと生き生きするような歌を沢山作った。

改めて考えてみると、彼の歌からいちばん学んだ大きなことは、他の誰でもない、我が身と向き合い、自分自身に問いかけるということだったのではないか。つまり、生きるということ、その価値について考えるということだ。ディランの歌との出会いがなくとも、たぶん、ぼくは音楽が好きになり、沢山の音楽を聴いただろうし、喜んだり悲しんだりしながら、人並みに年齢を重ねてきたことだろう。

だけど、同じ音楽を聴いていても、いまのぼくのような感じかたをしただろうか。同じ青空を見あげたとしてもいまのぼくのように見えただろうか、と思う。ディランの歌を聴いてこなければ、例えば、余り意味のない会話を交わし、笑ったり、怒ったり、時には喧嘩をしたり、そうやって一緒に暮らしている大切な家族を持つことができただろうか、と思う。出不精で、引きこもりと言ってもいいようなぼくに、声をかけてくれる大切な友人たちと出会えただろうか、と思う。

「図々しいにもほどがあるよ、ぼくを友だち呼ばわりするなんて」。これは、ディランの歌の中でも、ぼくがいちばん好きなフレーズだ。「寂しき4番街」は、この強烈なフレーズで始まる。その後、「ぼくが落ちこんでいた時、きみはそばでにやにや笑って見ていただけじゃないか」(いずれも、中川五郎訳)と続く。初めて聴いたとき、ぼくは凍りついたくらいだ。歌のどちら側にいるのか、ひょっとするとぼくは歌が向けられた矛先のほうにいるようなことはないか、そんな問いと共にこのフレーズはぼくの中にずっといつづけている。

そう言えば、ジョニ・ミッチェルは、この歌をラジオで聴いてこう語ったという。「神様、ありがとう、アメリカのポップ・ソングがやっと大きく育ちました」と。そして、その彼女は、後にこんな歌の出だしで、ぼくをまた茫然と立ちすくませるのだ。「歌は、刺青(タトゥ)のようなもの」(「ブルー」)と。

文 / 天辰保文