2. 特徴的な大川小学校校舎。当時、全校児童108人がここで学んでいた。このうち児童74人、教職員10人が死亡、もしくは行方不明になった。
Yuriko Nakao / Reuters
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4. 児童たちには午後2時46分の地震発生後、校庭にいるよう指示がでた。そこから北上川に架かる橋のたもとにある、わずかな高台、通称「三角地帯」への避難を始めた途中に、津波にのまれたとみられる。
時事通信
5. 避難が始まった時刻は午後3時37分ごろだという。子供達が飲まれた津波の高さは約8メートル。学校近くには裏山があった。そこに避難していれば被害は防げたのではないか。
7. 地元紙、河北新報に大川小児童の証言が掲載された(2011年9月8日付)。児童は当日、校庭にいて生き残った4人のうちの1人だ。記事によると、この日、校庭に集まった子供たちは「大丈夫だぞ」「こんなところで、死んでたまるか」と励まし合っていた。不安な気持ちを押し殺すかのように。
Yuriko Nakao / Reuters
9. 避難した住民は「助けて」と叫びながら、津波に流されていく子供の声を聞いている(前出、河北新報)。なぜ、安全を最も求められる学校で74人の子供が犠牲になったのか。学校管理下で戦後最大級の惨事がなぜ起きたのか。遺族は真相究明を求めてきた。
Toru Hanai / Reuters
10. 2014年3月、児童23人の遺族が石巻市、宮城県を相手取り、総額23億円の損害賠償を請求する訴訟を起こした。最大の争点は「津波を予測できたか」と「裏山に避難すべきだったか」だった。
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12. NHKによると、仙台地裁は次のように判断した
市の防災無線などから「小学校に津波が到達することを予測できた」。
「教員らが校庭からの移動先として目指した川沿いの交差点の標高は7メートル余りしかなく、避難場所としては不適当だった」
「一方で、近くの裏山は過去に学習の場などで児童も登っていた場所で、小走りで1分程度で移動でき、避難するのに具体的支障はなく避難についての過失があった」
バズフィード・ジャパン ニュース記者
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