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謎に包まれた孤島、イースター島の歴史

行ったことがなくても、イースター島とモアイ像のことは聞いたことがある方が多いかと思います。ところで、イースター島とはどこにあり、どんな歴史を歩んできたかご存知でしょうか。そしてモアイはなぜ造られたのでしょう。謎多きイースター島の歴史をご紹介します。

イースター島の歴史

イースター島の歴史

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チリ領であるイースター島は、首都サンティアゴから西へ約3700㎞の太平洋上にあります。絶海の孤島で、人が住むいちばん近い島までの直線距離が2000㎞を超えます。ちなみに、日本からアクセスする場合はタヒチ経由が多いようですね。

 

現地語名ではラパ・ヌイと呼び、ポリネシア系の先住民の言葉で「広い大地」を意味するそうです。正式名称はパスクア(Pascua)島で、スペイン語で「復活祭(イースター)」という意味です。

 

イースター島は、海底火山の噴火によってできたと考えられています。いつ最初の人類がたどり着いたかについては諸説あり、4~5世紀頃とも、800年頃とも、1200年頃とも言われています。おそらくポリネシア人が船に乗ってやって来たとされています。

 

島で7~8世紀頃にかけて石の祭壇「アフ」が造られるようになりました。この頃から、人々は部族に分かれて生活を始めたようです。10世紀になるとモアイが造られるようになりました。ちなみに、時代が進むにつれてモアイの形は変化していくのです。

 

モアイは17世紀頃までは造られたようですが、18世紀になると突如として造られなくなり、部族間の抗争で破壊されていくこととなります。

1722年の復活祭(イースター)の夜、オランダの海軍提督ヤーコブ・ロッヘフェーンがイースター島を発見しました。これにちなんで、イースター島という名が付けられたのです。ロッヘフェーンはこの時モアイやそれを崇拝する住民たちを目撃しました。

1774年にはイギリス人探検家ジェームズ・クックが上陸しますが、彼が目にしたのは半分以上壊されたモアイたちだったそうです。

そして、1840年には最後のモアイが倒されてしまったと伝わっています。

 

その後、イースター島には奴隷狩りの船がやって来ました。ペルー人の奴隷狩りでは、住民の半数が拉致されたそうです。外部から持ち込まれた天然痘や結核などの疫病も広まったために人口が激減し、島独自の文化も断絶してしまいました。

そして1888年にチリ領となり、現在に至っています。

モアイの謎-誰が、何のために造ったのか?

モアイの謎-誰が、何のために造ったのか?

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モアイの形は誰もが想像できるかもしれませんが、誰が何の目的でどのように造ったかはご存知でしょうか。

モアイは時代の変遷と共に姿を少しずつ変えており、初期のものはもっと人間の形に近く、下半身もついていました。それがだんだんとなくなり、第4期のものになると、長い顔と鼻にくぼんだ目が特徴的な像となっていきます。眼球が入っていたものもあり、プカオという帽子をかぶっているものもありました。このような形状は、イースター島以外では似たものがないために比べることもできないそうです。

 

しかし、モアイが何の目的で造られたのかは、今でもはっきりとはわかっていません。祭祀のためとも言われていますが、断定はできないようです。ただ、モアイは集落を守るように立っているので、何らかの守り神だったのかもしれませんね。

 

モアイの平均的な大きさは高さ3.5m、重さ20tくらいでした。しかし大きいものでは高さ20m、重さ90tにもなったといいます。凝灰岩という加工しやすい柔らかい石だったので、黒曜石の斧などを使って切り出したようです。この時、イースター島には鉄や銅がなかったためです。

 

こんな大きな石像をどうやって運んだのかも謎に包まれています。

丸太にモアイを横に倒して乗せ、多人数で引っ張るというやり方がひとつ。さらに、モアイを立てて運んだという説もあります。これは「モアイが自分で歩いた」という現地の伝説の根拠となり得るとされています。

または、超古代文明の存在があり、現代科学でも及ばない高度な技術が用いられたという説もありますが、果たしてどうでしょうか。

いずれにせよ、山地を含めて何㎞もモアイを移動させたり、無傷で運んだりするというは至難の業です。しかし現地のモアイには傷ひとつないのです。

どうしてモアイが破壊されていったのか

どうしてモアイが破壊されていったのか

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謎はまだ続きます。

18世紀になりヨーロッパなど外部の人間が島に上陸した際、倒れているモアイを目撃しています。そして、だんだんとモアイは倒され、新しいものは造られなくなっていったのでした。

この理由についても意見が分かれています。最も有力な説は、環境破壊に伴う部族間抗争説です。

モアイを造る過程では、木材が大量に消費されました。無計画な伐採の結果、森が消滅していまいます。島の人口もどんどん増えていったので、木を切り倒してしまったのでしょう。そして豊かな土壌が海に流れ、島の土は痩せてしまいました。それが食糧不足を招き、肥沃な土地と漁場を巡って部族間の争いが起こったのです。

その争いでは、相手の部族のモアイを倒すことに大きな意味があったそうです。また、モアイにはめられた目には霊力があると信じられており、必ず目をつぶしていました。

この争いは50年ほど続いたそうです。そのため、島民の生活は時代に逆行し、まるで石器時代のようになってしまったと伝わっています。

一方、島民が持ち込んだネズミにより森林が破壊されたという説もあります。

 

資源に限りがあるとは考えもしなかったのかもしれません。どこか、現代の地球の縮図を見ているような気持ちになりますね。

日本も関わるモアイの復元

日本も関わるモアイの復元

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破壊されたり倒されたりしたモアイは、20世紀になると復元活動が始まり、約40体が復元されました。

島の南部のアフ・トンガリキの15体のモアイは、視線の先にモアイを切り出したラノ・ララクという石切り場を見つめています。

実はこのモアイたちの修復には、日本の企業が関わっているのです。テレビ番組をきっかけに、クレーンメーカーの株式会社タダノがクレーンを提供したのだそうです。こうした世界的な名所に日本企業が関わっているとは、誇らしくなりますね。

ちなみに、15体のモアイ像のそばにひとりで立っているモアイ像は、かつて大阪万博の時に日本に来たそうですよ。

モアイ信仰の後の鳥人儀礼

モアイ信仰の後の鳥人儀礼

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イースター島には、モアイ文化の後に生まれたマケマケ神信仰があります。マケマケ神がグンカンドリ(アジサシ)に導かれてイースター島に辿り着いたというものです。そのため、マケマケ神は人々がグンカンドリを殺さないように定めたのでした。

 

オロンゴの岬には、頭が丸く嘴があり、人の手足を持つ鳥人の姿が彫られています。

部族の代表が聖なる鳥グンカンドリの最初の卵を対岸の小島から持ち帰って奉納すると、鳥人とみなされ1年間特別待遇を受けることになりました。そして、鳥人の部族の長が1年だけ島を治める王となる権利が得られたそうです。卵を持ち帰る競争は過酷で、命を落とす者も少なくありませんでした。
いかがでしたか?

イースター島のモアイには、まだまだ解明されない謎があります。その一方で、環境破壊が人々の破滅の一因となった説は、我が身のことのように感じられました。行くのは大変ですが、謎と歴史を秘めたモアイに会いに行ってみてはいかがでしょうか。
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