こんにちは、外科医の雨月メッツェンバウム次郎です。
ここのところ暖かい日と寒い日がめまぐるしく来ています。「女心と秋の空」なんてよく言ったもので、くるくると天候が変わるのが秋という季節。うつろう空模様をぼんやりと一日中見上げてみたいものですねえ。
先日のこと。いつものように午前中の手術を終え、若いドクターたちと手術の控え室で昼食をとっておりました。すると、そのうちのカツ丼をかっこんでいた一人のなかなかのイケメン研修医がこんなことを言ってきました。
「先生、今度友人の結婚式に行くのですが、ご祝儀っていくらぐらい包むものなのですか?」
「へー、めでたいね。友人はドクター?」
「はいそうです。大学の時の同級生です」
大学の医学部生というのは、他の学部の人たちよりも結びつきが強い。大学は6年間もあるし、ほとんどの大学医学部はひとクラス100人前後しかない上に、ずっとそのメンバーで勉強したり実習をしたりするからです。
「祝儀は3万円がいいよ、二つに割れない数字が縁起がいいと決まっている」私がそう言うと
「結構かかるんですねえ……100人くらい呼ぶって言ってましたけど、そしたら300万円集まるんですね!」とイケメンは興奮気味。
「まあめでたい席だからね。冠婚葬祭ビジネスってのは人の感情にうまく取り入ったビジネスだよ、そういう席での吝嗇はみっともない」
「へー、先生ってなんでも知ってるんですね!」医者は世間の常識がありませんから、こんなごくわずかなビジネスの話をするだけで感心してくれるのです。
「それはそうと、どんなカップルなの?」興味津々に聞いてみました。
「はい、相手はCAなんですよ!すごくないすか!?しかも全◯空!」
マジか……まあ私の知らない人だし余計なことを言うのもねえ。そう思って「へえ、そりゃあすごい」とだけ言って黙っていました。
なんでも、その女性っていうのはもともと北のほうの出身で、苦学生だったそう。それで経済的にずいぶんと苦労をしたそうで、大学生になる前から「私はCAになって医者と結婚する」と周囲に公言していたそうなんです。これはまさに現代版「やまとなでしこ」のよう。知らない方のために、「やまとなでしこ」とは2000年に圧倒的な人気を誇ったフジテレビのドラマで、松嶋菜々子さんが演じるCAが、堤真一さんの演じるニセ医者と結婚する物語。あまりの人気にほぼ毎年再放送されていたのですが、作中に出てくる押尾学がMDMAという合成麻薬を使ったり一緒にいた女性が死亡し保護責任者遺棄に問われたりで実刑を喰らったため、それ以来ぱったりと再放送はされなくなりました。
お読みの方はにわかに信じられないかもしれませんが、「医者と結婚するためにCAになった」人ってたまにお会いするのです。これまでに私も3人くらい会ったかなと思います。漫画のような、ドラマのような変な設定ですし、なんとも言えない嫌な感情が湧き上がるのですが……しかしながらイケメンの友人ドクターはこういうCAに絡め取られたのですから、ちゃんとミッションコンプリートしているすごい人ですね。
あえて「絡め取られた」と書いたのは、やっぱり私は嫌だから。その結婚の目的が「経済的安定」だったり「医者の妻」だったりするのは、やっぱり嫌です。もちろん理論的には、お金も医師免許もどちらも私の努力の結果ではあるし、それらは当然私という人間の一部ですからそれを愛されることはイコール私を愛されることとほぼ同値として構わない。それはわかるのですが、感情的にはどうしても受け入れ難く「なんだかなあ」と思います。これは不思議な感情ですね、人間は合理的な生き物であるはずなのに。そして私は合理的に生きているつもりなのに。
ま、私が嫌がろうがなんだろうがともかく、そのドクターとCAの方は愛を誓い、結婚をする訳ですから、めでたいことはこの上ありません。
とかなんとかごちゃごちゃ言っていたら、つい先日私はこのカップルと会う羽目になってしまいまして。私がイケメンドクターと飲んでいるところでばったり遭遇してしまい、行きがかり上 一緒に飲むことになってしまったのです。
さあ困った、私は一度「なんだかなあ」と思ったカップルと飲まねばなりません。ま、これは前向きにとらえて「どんな女性か良く見てみよう」と思ったのです。
私たちの席になだれ込んできたカップル。CAと目される女性は目が(おそらくメイクのおかげで)ぱっちりしていて、染めていない長い黒髪をきちんと一つにまとめていていかにもCAというビジュアル。余談ですが、CA同士って街中で会っても「あ、同業者だ」とわかることが多いそうですよ。そのビジュアルに加え何かオーラでもあるのでしょうか。実はBluetoothで繋がってるとか。
席に合流するなり、「こんにちは! 先生はじめまして」と女性が私に言います。一瞬で一番年長が私であると見抜き、そして医者の世界がガッチガチの年功序列であることも知っているようで、ただ礼儀正しいだけでなくデキる人です。「あ、はじめまして」男の方はロクに自己紹介もせずに引っ込んでいるのに、女性がぐいぐい出てきます。
二人のお酒が到着すると、「そしたら、私のために乾杯してください!」と彼女。おお、私のために、と来たか。
他の医師もいたのですが、皆面食らいつつも杯を交わします。
それから始まった深夜の2時間。私はいろんな質問を若いお二人にしたのですが、返事をするのはいつも彼女のほう。これはマザコン系の患者さんが外来に来た時の問診と同じパターンだなあ。
「結婚式はどこでするの?」「表参道のア◯ヴェルセルです!」「へえ、どうしてあそこに?」「あそこってカフェも素敵じゃないですか。しかも一般のお客さんの前に出るタイミングもあって、みんなが拍手とかしてくれてすごく雰囲気がいいんです!」「そうだよね。でも結構かかるんじゃない?」「はい、彼の親御さんが補助してくれて」
と、まるで保護者のよう。私は苦笑しつつも、ゆっくりとお話を続けます。続ける、というより伺う、と言った方が正確かもしれません。彼女は彼を横に置きつつ、こんなお話をしました。まとめるとこんな内容でした。
私は彼がバリバリ仕事をしているところに惹かれた。しかし外科医という仕事は大変に尊敬出来る業務ではあるものの、肉体的にも精神的にも過酷極まりなく、寿命が縮む可能性が高い。また、従事時間および諸々の犠牲に対する対価としての給料はまったく見合っていない。よって、彼には早々に外科医を辞めさせ開業医としてゆったり高級な人生を歩んで行かせようと思っている。私は医療事務の資格をすでに取得しており、あとは開業したクリニックの受付としてナースとの不倫に目を光らせつつ事務方としても経営に携わる。そのクリニックをどこにするか、今エリアを考えているところである。
もう私は「ははー」と頭を下げるしかないほどの人生設計。いや、たいしたものです。それほど珍しくはないが、経済的には医師の「勝ちパターン」を完全に抑えている。もっと言えば医師の妻の勝ちパターンを知っている。すごいです。周りにいた医師たちはただひたすら酒を飲んでいました。心は大雨だったでしょう。
そんな、ちゃんと我々「負けパターン」たちにも気を配りつつ、しっかりと主張している彼女を見ていたら、なんだか羨ましくなってきたのです。
きっと彼女は人生設計をこんな風にしてきて、CAになり医師の妻になった。さらに設計は続き、その通り生きて行くのでしょう。そして出産や子供の教育、親の介護、大病などいくつものタスクをきちんきちんとこなし、しかるべき年齢でしかるべき病気で死亡し、ちゃんと準備していたお墓に入るのでしょう。まるで彼女は乾燥機付き全自動洗濯機だ。最近流行りの、すすぎ、本洗い、脱水、乾燥までがボタン一つで出来るこのマシーンは、汚れた洗濯物を入れれば綺麗になって乾いて出てきます。彼の人生はひとたび彼女とともに歩めば、あっという間に墓場まで自動運転。
その夫となる彼は、終始ほぼ無言で酒を舐めており、途中途中でハハハと愛想笑いをしていました。いかにもいい奴そうな、これまで一度も金には困ったことがありませんというような顔をしていて、しかも恐ろしいことにそれはおそらく真実でした。彼は田舎の開業医の息子で、私立の医学部に行くといういわゆる世襲医者パターンだったのです。
ラフロイグをロックで飲みながら、私は考えておりました。
きっと、彼の人生ってすごく幸せなんだろうと。いいえ、馬鹿にしている訳じゃありません。もちろん波瀾万丈、苦しみ抜く人生はかっこいいけれど、幸せかどうかと考えると私にはわかりません。彼のように、強い女性と一緒になり、まあ若干言われるがままですがそのプラン通り働き、おそらく私の数倍の生涯年収を得、庭付きの一戸建てに大きな犬を飼うのです。
そこには手に汗握るようなドラマはないでしょうし、20年後にいきなり母と子が訪ねてきて「これが成人したあなたの子よ」と言われることもないでしょう。
しかし彼は、土曜の昼下がりの縁側に出来た陽だまりのような幸せを手にした。非凡ではないが、他の大勢の人々と同じように真っ当に生きて行くのです。
そんな人生、悪くない。
いささか飲みすぎたあと、帰り道に私はとぼとぼと歩きながら思いました。もし私に、脳が焦げ肺が焼けるほどの激情と引き換えに、人並みの幸せを追求出来るような度量があれば、彼のような人生を送ることが出来たかもしれない。それは度量なのか、余裕なのか、それとも諦めなのか。
東京の街はいつの間にか雨が降っていました。霧のような、秋の寂しい雨が、音もなく。
私の前を通り過ぎた何人もの女性が目に浮かんでは、消えて行きました。「あなたとの10年後が、私には見えない」「あなたは何でも欲しがるけど、きっと何にも欲しくないのよ」「あなたとの結婚は諦めるよ」
そんな科白がトラックの走る音にかき消され、私はいつまでも初秋の東京を歩き続けました。
<雨月のひとりごと>
TACUBOという恵比寿のレストランに行ってきました。美味しかった。あの悪名高きタベログで4.40点という高得点です。このイタリアン、メインのお肉はこんなに大きなお肉ですが、薪木で焼くのがこのお店のこだわりです。大きくてもさらっと食べられました。https://s.tabelog.com/tokyo/A1303/A130303/13109940/