150年以上も前に作られた「かわら版」(筆者撮影・所蔵)

 今、私の前には、おびただしい数の古い印刷物がある。

 虫喰いやシミも散見される和紙の上に、流麗なくずし字による記事と、力強い描線で描かれた絵図が刷られている。最も新しい物でも、150年以上前に作られたものだ。しかし、「150年以上前」のものと再認識すると、意外に状態が良いようにも思えてくる。

 この古い印刷物は、今の世では「かわら版」と呼ばれるものである。江戸時代に隆盛を極めた、情報伝達媒体である。

江戸時代からの「贈り物」

 私の前に広げられているかわら版たちは、全てレプリカではない。実際に、江戸時代の人が作り、そして誰かが買ったものなのである。だから、これら一枚一枚に、様々なストーリーがあったに違いない。

 おかしな癖と笑われるだろうか。時折、私はかわら版を見ながら、当時競うようにして買い求めた誰かが、一体どんな顔をしてこれを読んだのか、想像することがある。きっと、敵討ち貫徹のニュースに快哉(かいさい)を叫び、地震の被害状況を知って眉をひそめ、黒船の秘密を読んで胸を躍らせ、妖怪出現の報に驚き、見世物興行の宣伝に興奮したのだろう。

 江戸時代の日本人は、そんなかわら版を、捨てることなく、大切に保管してくれたのである。あるかわら版は、頑丈な木箱に入れて保存され、あるかわら版は、裏に補強の厚い紙を張って保存され、またあるかわら版は、ほかの物と一緒に本として綴じられて、150年以上という年月を、朽ちることなく生き延びた。

 だから、私は思うのである。目の前のかわら版たちは、喜怒哀楽豊かで、生きることに貪欲だった、江戸時代の庶民たちからの「贈り物」に違いない、と。

かわら版はなぜそう呼ばれるのか

 現代の日本に、かわら版という情報媒体は存在しない。我々がニュースを知る際に利用するのは、新聞やテレビ、ネットである。しかし、それでもなお「かわら版という言葉」は、今でも多くの人が知っているようだ。これはなかなか、興味深い事実である。

 ただ、多くの人が「かわら版という言葉」を知っているといっても、かつて存在した「かわら版の実態」が、今も正しく記憶されているかというと、これは極めて微妙である。試しに、一般的な辞書で「かわら版」あるいは「瓦版」という単語を調べてみると、大体は次のような意味が書かれている。

 「江戸時代、速報の記事を、一枚から数枚の紙に木版で刷った印刷物のこと。市中で読みながら売られた」

 この説明は、決して大きく間違っているわけではないが、いくつか誤解を招くところがある。それを説明するために、今回は、かわら版という名称に関して語ってみたい。

 実は、約265年も続いた江戸時代において、かわら版と呼ばれる印刷物が存在したのは、わずか5年ほどなのである。それ以前に、ニュースを伝える印刷物がなかった、ということではない。江戸時代のほとんどの期間、我々が「かわら版と呼ぶ印刷物」は、「読売」、「一枚刷り」などという、異なった名称で呼ばれていた。史料で確認すると、かわら版という呼称が歴史上初めて現われたのは、なんと1863(文久3)年のことなのである。江戸時代が終わる、4年ほど前ということになる。

 それでは、なぜ速報記事などを刷った紙に、かわら版という名前が付けられることになったのだろうか。その理由については、次の三つの説が有力である。

 1.原版の材料が、木ではなく、「瓦」と同じ粘土だったため。

 2.京都の「四条河原」で催された見世物興行の記事が多かったため。

 3.当時の芸能関係者の蔑称だった、「河原者」から。販売者が芸人風だったため。

 しかし、これらの説は、いずれも決定力に欠いている。

 まず、一つ目である。安価で原版を作るため、粘土を用いたというものだが、実は粘土版によって刷られたと思わしきかわら版は、一枚も存在していない。二つ目の説も、残っているかわら版に見られる記事の多様性からして、厳しいように思われる。最後のものは、販売者の実態を知ると多少説得力がありそうだが、史料的に裏付けることが難しい。

 それでは、かわら版という呼称の由来は、全く不明なのだろうか。当時の様々な史料を眺めた上で、私は次のように考えている。

 先ほどの三つの説で言えば、一つ目の説が最も正解に近い。ただし、実際に粘土で原版が作られた、かわら版はなかったと思われる。それにも拘わらず、かわら版がそう呼ばれるようになったのは、「まるで粘土版で作ったかのように、劣悪な品質の刷り物」だったからではないだろうか。

 かわら版という呼称が史上初めて登場するのは、先ほど述べた通り、1863(文久3)年のことだった。河竹黙阿弥(1816~1893年)が歌舞伎脚本として書いた、『歳市廓討入(としのいちさとのうちいり)』という作品に、それを確認することができる。内容はもちろんフィクションだが、フィクションであっても、一般に流通していない言葉が安易にセリフとして書き込まれることは考えられない。よって、その頃には、少なくともかわら版という言葉自体は普通に使用されていたのだろう。

 それでは、『歳市廓討入』において、かわら版という言葉が登場するシーンのセリフを引用してみよう。敵討のかわら版(2枚組)を売る「読売」(ここでは、かわら版販売者の意)と、それを安く買おうとしている「ある人物」の会話である。

 ある人物――そんな事を言はねえで、八文に負けねえ。敵討の次第は上下八文に極つたものだ。

 読売――そりやいつもの敵討でござります、瓦版とは違ひます。今日版行が改つて知行高から姓名まで委しく記してござりますから、十六文ぢやあお安うござります。【『黙阿弥全集(第二十巻)』(春陽堂)、266ページ】

 自分の売っている商品は、情報も満載であって「瓦版とは違ひます」。読売は、このように力説している。
情報を多く書き入れるためは、字の細かい、高度な木版を作らなければならない。荒い版で刷られたかわら版(引用文中では「瓦版」)と、自分の商品とは全く品質が異なり、よって値引きなどできないというのが、ここに引いた読売のセリフに込められた意味である。

 このように見ると、かわら版という言葉が、その初期に「まるで粘土版で作ったかのように、劣悪な品質の刷り物」というニュアンスで使われていたことは、事実だろうと推察できる。