悔いのない別れはない
芳麗 今作『永い言い訳』は、西川作品の中でも異色ですよね。最も希望が感じられ、ちゃんと気持ちのいいラストも用意されている。何か心境の変化があったのですか?
西川美和(以下、西川) 小説を書いた後、自分でも自分の変化を分析してみたんです。これまでの私の作品は崩壊に向かう話でしたよね。
芳麗 『ゆれる』も『夢売るふたり』も、最初はささやかでも幸せだったはずの主人公が、その幸せに潜む欺瞞や自分の本心に気づいて崩壊していくという話ですよね。
西川 ええ。最初は体裁は整っていたものの表皮が一枚づつ剥がれて、物事の本質があらわになり、次第に均衡が崩れて、何かが崩壊して終わることが新たなステップになるという話が多かった。
でも、今作は最初に崩壊ありき、そこからどう再生していくかを描いているんです。
芳麗 本作の主人公・幸夫の長年連れそった妻が、冒頭で不慮の死を遂げてしまうところからですものね。
西川 ショッキングな崩壊はそれだけでもドラマティックですけど、現実は、崩壊後の人生の方が長い。再生するための手立ても救いもなかなかなければ、その道は淡々としていて険しいものじゃないかと思ったから描きたくなったんです。
芳麗 そう思ったきっかけはあったんですか?
西川 いろんなところでお話していますが、東日本大震災です。私自身は被災したわけではないけれど、当たり前に続くと思っていた日常が、突然、何の予兆もなく奪われてしまうことがあるんだなと。私のみならず、日本中があれだけ生々しく実感したことはないと思います。
芳麗 それは、幸夫が突然、身近な人——妻と死別した経験も同じですよね。
西川 はい。いつ誰がどういう事情で日常が奪われたり、突然の別れが訪れるかはわからない。ある意味、平等ですよね。
芳麗 「突然の不幸」は誰にでも訪れる可能性がありますからね。
西川 崩壊よりも、その先にある再生を描きたいと思ったのは、私自身、年齢と経験を重ねてきたからというところもあると思います。個人的にも、いろんな出会いと別れがあったし。自分も幸夫のように誰かを失った後、どうにか穴埋めをしようと悪あがきしたけれど、おいそれと心の穴も物理的な穴も埋まらなかった経験がありますから。
芳麗 はい。
西川 あらゆる別れの中でも特に死別は大きいと思います。もう二度と会えないから、取り返しようもない。
芳麗 西川さん自身は、身近な人を亡くした経験はありますか?
西川 私は両親も兄弟も健在ですし、血の繋がりのある人を亡くした経験は少ないです。でも、この業界は働いている人の年齢の幅が広いですから。お世話になったベテランスタッフで亡くなられた方は少なくない。その度、別れは突然だなと思います。
芳麗 私も身近な人との死別を何度か経験していますが、「もう、二度と会えないなら、最後に会った時、ああ言えばよかった」などと毎回、思います。
西川 はい。「なんであの時、電話かけなかったんだろう」と思ったりしますよね。……そう考えると、悔いの残らない別れの方が少ないのかもしれない。
もう愛していなくとも、後悔と喪失感はある。
芳麗 幸夫が死別した妻の携帯に残された「もう愛していない。ひとかけらも。」という自分宛の未送信メッセージを見つけるシーンがありますよね。幸夫だって「妻への愛はない」と言って浮気していたのに、すごく悔しがって荒れるじゃないですか。あの場面は悲しくて、でもおもしろかったです。
もう愛していないと自覚していても、お葬式で泣けなくても、悔いと喪失感は強くあるのが人間なんだなと(笑)。
西川 そうですね(笑)。人間って、いとも簡単に「もう愛してない!」って思ってしまう生き物だと思うんです。あまり考えなしに、その瞬間の感情として。
芳麗 ああ、男女間だと特にそうですよね。あんなに愛していたはずなのに、一瞬で憎くなる(笑)。でも、その憎しみもふとした瞬間にまた和らいだりするし。
西川 そうそう。それでも、冷めても憎んでも取り繕いながら、一緒に続けていくのが夫婦であり、家族なのかなと。
芳麗 すると、夏子の「もう愛していない」という感情も、絶対的なものではなくて、移ろっていた感情なのかもしれないですね。電池が切れかけた携帯の画面みたいに浮かんだり消えたりしていたものかも。
西川 本当ですね。よく取材で、「夏子の本音は? まだ、幸夫への愛はあったのですか?」と聞かれるんですけど、そんなの私にもわからない。夏子の中にも答えはないんじゃないかと思う。ただ、きっと生きていれば、夏子なりの「言い訳」はたくさんあったはず。でも、死別した限りは、二度と、その言い訳を聞くことはできない。互いに愛があったかどうかよりも、“死という別れ”の取り返しのつかなさ、隔たりの深さの方を描きたかったんだと思います。
後悔なく“愛する”ってどうすればいい?
芳麗 幸夫は「愛するべき日々に愛することを怠った」ことに後悔しています。でも、長らくの夫婦関係の中で、どうすれば、“ひとかけらの愛”でも残せたのか。後悔なきように愛するって、どうすればよかったんだろうと思うんです。
西川 そうですよね(笑)。私も教えて欲しい。そもそも愛というものがなんなのか、私にはよくわからないですし。
芳麗 西川さん、7年前に『ディア・ドクター』の取材で話を伺ったときも同じことをおっしゃっていました! 「愛なんて曖昧な概念を定義することはできない。愛より大切な感情だってあるはずだ」と。
西川 あはは。今も似たようなことを思ってますね(笑)。でも今、思うのは、“愛”という言葉にすると綺麗すぎるけど、相手と“関わること”が大切なのかなと。愛と最も遠いのは無関心だとよく言いますけど。その人と何かしら関係できていれば良いんじゃないかなと。
「愛することを怠った」って言っちゃうと、常に優しくしなきゃみたいな強迫観念を抱いてしまいそうだけど、それは違う。きっと、関係し合う方法って、人それぞれだと思うから。
芳麗 「関わる」というのは、気にかけたり、言葉を交わしたりし続けるということ?
西川 たぶん。衝突することだって関わりの方のひとつですよね。関わりの定義はできないけれど、私は何かしら他人と関わっていなければ、生きてこられなかった。物語は書けなかったし、映画も撮れなかったと思う。
無駄なことの豊かさに気づいた
『永い言い訳』劇中より ©2016「永い言い訳」製作委員会
芳麗 他人との関わりがあるからこそ、自分の人生も進んでいく。劇中にもある「人生は他者だ」という幸夫の言葉もそういう意味ですよね。
だけど、自分を大事に思ってくれる人を、簡単に手放しちゃいけない。みくびったり、おとしめたりしちゃいけない。そうしないと、ぼくみたいになる。ぼくみたいに、愛していいひとが、誰も居ない人生になる。簡単に、離れるわけないと思ってても、離れる時は、一瞬だ。そうでしょう?
『永い言い訳』文庫版P311より
西川 はい。それに気づいたら、これまで無駄だと思っていたものが無駄じゃないのかなと思えるようになりました。若い時は、他人との接触からもたらされる煩わしいこと、例えば、脱線とか中断とかを極力避けてして、自分のやりたい本分に集中しなければと思っていたけれど。今は無駄があってこその豊かさだと思います。
芳麗 無駄があってこその豊かさ?
西川 はい。実は今回の撮影もそう。無駄な時間が多かったんですよ。初めて子供たちを演出して、しかも、2人とも演技経験がほぼない。特に下の子は、ごく普通の無邪気な4歳の子だったから、何もかも大人の思うようにいかなくて。リハーサルでは機嫌がいいのに、本番で急に機嫌が悪くなって、スタッフ全員で天を仰ぐみたいなことも多々あった(笑)。
芳麗 あはは! 限られた時間なのに焦りますよね。
西川 その時は、いい加減にしてくれよって思いましたけどね(笑)。そんなままならない日々が重なるうちに、スタッフも自然と結束が高まってきて。整然とした秩序をもってトントン拍子にうまくいく大人の現場とは異なる人間味みたいなものが現場に出てきたんです。
芳麗 なるほど。
西川 春の撮影から時間が空いて、夏に再開すると、また会えただけでも嬉しいし、子供らが少しでも成長していると、とても喜ばしくて。作り手の自己満足かもしれませんけど、映画自体が子供たちの成長記録だった気がして、今までの作品以上に愛着があるんです。子供たちだけでなく、本木(雅弘)さんや(竹原)ピストルさんに対してもそう。
芳麗 あぁ。だから、人間味が溢れていたのはもちろん、本木さんとピストルさんと子供たちの関係性にもリアリティが感じられました。
西川 たくさんの時間を共にして、たくさんの脱線があったからこそ、思い出が多くて、それがこの作品に豊かさとして残っているのかなと。
芳麗 そこで起こるそれぞれの感情……優しさや切なさとか、いろんな感情が生々しく伝わってきました。
西川 私の意志や演出を離れて、生き物のように関係性や空気が息づいているからだと思います。それは、他者との「関わり」や「無駄なこと」のおかげだと思います。
次回「いま西川美和は後悔する、幸せな瞬間に幸せだと感じることは難しい、と。」は10/20(木)更新予定
西川美和(にしかわ・みわ)
1974年広島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。在学中から映画製作の現場に入り、是枝裕和監督などの作品にスタッフとして参加。2002年脚本・監督デビュー作『蛇イチゴ』で数々の賞を受賞し、06年『ゆれる』で毎日映画コンクール日本映画大賞など様々の国内映画賞を受賞。09年公開の長編第三作『ディア・ドクター』が日本アカデミー賞最優秀脚本賞、芸術選奨新人賞に選ばれ、国内外で絶賛される。
構成:芳麗 撮影:喜多村みか
映画『永い言い訳』10月14日(金)より全国ロードショー中!
出演:本木雅弘/竹原ピストル 藤田健心 白鳥玉季 堀内敬子/池松壮亮 黒木華 山田真歩/深津絵里
原作・脚本・監督:西川美和
©2016「永い言い訳」製作委員会 配給:アスミック・エース