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民音の心ある皆様へ

 投稿者:いいぐるメール  投稿日:2016年10月 7日(金)22時52分50秒
  過日、民音に行き腰が抜ける程の劣化を目の当たりにし
翌日、電話を入れました。対応は貴重なご意見ありがとうございます。
今後の運営の糧にさせて頂きますとの実にマニュアル的回答でした…
本当に分かっているんですか?大変な事になりますよと再度
クギを刺しましたが…もちろん現地でも言った覚えがあるのですが

その会場はホールに入る前に長く広い階段だある会場でした。
退場時に階段付近に役員が一人もいませんでした。
皆、流れでビッシリと階段をうめて退場しています。

当然、将棋倒し事故の危険性が有ります。
下手をすると大怪我や死者まで出そうな高い階段です。
当然ですが上、中間、下に必ず役員が必要です。
上で人数がオーバーしそうになったらストップかけて
安全を確保しながら退場して貰わなければなりません。

基本中の基本です。輸送が有った頃は階段は最大の
危険場所でした。声をかけ真剣に注意を促しましたが
そんなレベルでは無く隙間のない程の人が居ました。

中心者の危機管理意識の欠如といえばそれまでですが
ここまで劣化しているとはと暗澹たる思いにかられました。
考えて下さい。勿論、先生の作られた民音など言う
美辞麗句をかざすつもりはありません。

ただ事故が起きて犠牲になるのは大切な会員さんと
その会員さんを信じ券を購入してくれた友人です。
さらに将棋倒しが起きれば高齢者、子供、女性の
順に体力の弱い方々が犠牲になります。
幸いその時は事故は起こりませんでしたが
こんな事が続けばいつか大事故が発生します。

信心の勝利は絶対無事故です。来て頂いた方々が
無事御自宅に帰宅なさるまでが祈りです。
もう一度、本質に立ち返りましょう。

※これは私が見たところで他では基本通りに
真剣に祈って運営している皆様も多くおいでになると
思われます。気分を害したらお詫び申し上げます。
 

松井玲奈夫様

 投稿者:世界の希望!  投稿日:2016年10月 7日(金)22時28分40秒
  そうですか、平井さん、元気でやっておられますか!
それは良かったです

公園生活は平井さんが書かれた体験談集で読みました

高校生時代、お父様の仕事が失敗
公園で生活
そこに男子部の先輩が探しあて、尋ねてきてくださった
「こんな大変な生活をしていたのか!
知らなかった」

そして励まして頂き、その後東京外大に進学したと書かれていたように思います

立派な高等部長だったように思うと同時に
何故?という思いと、また公園生活に戻られたのかもしれないという思いでいました
 

元谷川の住人、私がハタチです!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月 7日(金)22時25分16秒
編集済
  徹底的に便1を標的に叩く私がハタチです。
何故って、便1って面白い人物でしょう。高学歴で、学園出身で、変態で、裏心一杯、タカリで暗い目線で、金と女が大好き!!獲物が商社では飽き足らず、辞めて学会本部へワタリ、再び淫交三昧。そして未来の会長センセを夢見て妄想に耽る前期高齢者(-_-)

たまらない、話題の人物ですね。この者に多大な出費をして、全ての隠蔽工作をしている。財務を使ってです。極悪の極みで、万死に値します。だから、おちょくり、叩き、手足をもいでいくことを怠りません。便1の生命が枯れ果てるまで、創価から追放されても、延々と叩きますよ。極悪だからです。
 

伝説

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2016年10月 7日(金)22時17分59秒
  ・五分の魂様
地涌の菩薩(本門の池田門下)の火種(信心)は、消えたように見えても、絶対に消えることはありません。時来れば、必ずや、地から湧き出てきます。それを信じるか信じないかです。そして、主人公は自分であり、戦うのは自分自身に他ならない。使命に生きるというのは、実に厳しき道であり、況や、広宣流布は、難事中の難事です。どんな戦いも簡単にはいかず、全身全霊を尽くすことは必須です。まさに、建設は死闘です。

革命児にとって、状況が悪いのは当たり前です。マイナス局面であっても、自身の血と汗と涙で、ゼロから構築していくこと。誰もやらないことをやり遂げるのが英雄なのです。できあがったものや流れに、便乗するのは簡単です。歴史を残す意気込みでは甘く、伝説を残す戦いです。「歴史は残さなくていい。伝説を残せ!」なのです。

・同志の歌様
不正と戦う、勇気の信心が根本になければ、真の団結にはならないですね。団結といっても、獅子と獅子との共戦であり、仲良しクラブのもたれ合いとは一線を画する。悪と戦う心がある人とない人では、呼吸が合わない。同志の歌様の、不正との戦いは、もはや生きる伝説といっても過言はないでしょう。これからも、悪と戦う心を体現し、模範の存在であってほしいと思います。

悪と戦う心がなくなれば、人も組織もダメになります。創価の信心とは、悪と戦うことに他ならない。一人ひとりを大切にする人間主義というものは、人々を苦しめる悪と、妥協しないということです。人間主義と、悪と戦うことは、表裏一体であり、切り離せないもの。優しさ(人間主義)と強さ(悪と戦う)が備わってこそ獅子なのです。
 

どうもw ホントは私がハタチなんだってばぁwww

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年10月 7日(金)21時53分32秒
  柳原ダメヲさ~ん、ほんとダメヲさんだわww
間違いがあれば謝罪記事位出したらww

こそっと消してww
やっぱり
ろくに取材しないから間違えて訴訟で負けてるのかなwww
 

再掲、そしてお笑い!柳チャ~ン、どうして一番いいトコ消しちゃったの~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月 7日(金)21時32分11秒
  柳チャン、再度コラム日記見てみたんだ。そしたらね、朝のアナタの文章が一部消されてるんだよ\(^o^)/

モ~びっくり! 一体ダレが消したんだって怒らなきゃ、柳チャン、

消されている場所はココ(笑)
>「宿坊」ではさまざまな名前で投稿がなされる。その中には一人で多くの名前を使いまわす者もいる<
>波田地の場合はその投稿内容と同人の人格などがにじみ出ていると思われる文体から「八尋みのる」「カンピース」などが同人の投稿と思われている<

この部分ね~。なんで消しちゃったのかな~? 柳チャンがやったの? それとも他の誰かかな~?

ボケカス反板の方から「一人で多くの名前を使いまわす者」ってのは俺達のことじゃね~か! ってクレーム入ったの?

それとも小生の指摘したごとく、「思われている」という表現がアナタの裏にいるある人物を思わせるので不適切な表現とされたのかな~?(笑)

ともあれいったん発表したコラムを消すなんて、ジャーナリスト失格の烙印を自ら押したも同然だね(笑)
パソコンになんらかの妨害があったみたいな文章は残してるのに(笑)

う~ん、残念!(某お笑い芸人調)(笑) 明日は消したのか?消されたのか? ともあれ消えない様なコラムを期待してるよ~、

ファイト! 柳チャン、(笑)

 

便所虫です!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月 7日(金)21時28分53秒
  自ら自認して便所の落書き見ながら、ブンブン(文々)と、便1(タカリ)にタカル便所虫(-_-)

昔の秋谷(タカリ)にタカル内藤国雄みたいな奴です!
 

松井様

 投稿者:いいぐるメール  投稿日:2016年10月 7日(金)21時28分15秒
  全く同感です。宜しければメール下さい。
本当に探し出して御本人とお会いしたいです。

ずいぶん前ですが平井さんが国際センターあたりの
責任者だった頃だと思います。

事あるごとに電話で指導を受けていました。
ある時、正本堂の柱の中の鉄骨の塗装に手抜きが
あると言う情報を得て、あの大きな柱ゆえ
危険な場合もあると考え報告しました。

おそらく手は打って頂けたかとは思いますが
最後にそれは君が判断し対処すべきだと言われ
ああ、もう信心のひとり立ちの時期なのだと
感じた事が有りました。

先生の指導を読み自分で考え、祈り、決断しなければ
ならない年代に入ったのだと。
男子部時代の終盤だったと思います。
 

連投御免

 投稿者:シナモンゴー  投稿日:2016年10月 7日(金)21時00分7秒
  信濃町七味なら
舞妓はん ひーひー
ならぬ
柳はん ひーひー?
 

柳原氏は

 投稿者:改め シナモンゴー  投稿日:2016年10月 7日(金)20時54分46秒
  波田地氏が一味なら
さしずめ
柳原氏は
信濃町七味?(笑)
 

噂の彼って ・・・

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年10月 7日(金)19時45分6秒
  ジャーナリストというより、

現時点でもう

じゃ~な!(の)リスト

となってるように感じられるんですが(笑)
雇い主さんから「使い捨て」の道具にされてるに過ぎないことに気づけないんですから
この自称ジャーナリストさんが潰れようが「知ったことではない」という雇い主の気迫を感じるね

ならば、ご自分で選んだ以上は誰のせいでもなく『自己責任』というものですが
自分で選んだ『自己責任』に他の学会員さんが騙され引きずられ「トバッチリ」にならないよう配慮は必要ですもんね

十界論レベルの僕でさえ彼の話っていうのは「違和感だらけ」ですけどね
もう狂気の世界だもの
それを感じないからやれることだろうけど
もう地獄でも『住めば都』でしょうか(笑)
ヒくには十分すぎるほどですよ

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

創価資金の使い込み問題をそろそろ出していきませんか?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月 7日(金)19時21分13秒
編集済
  責任役員会も開催され、無責任な諸案件を審議・了承(常に先送り)しましたので、そろそろ財務で博打・投資して大損している事を公表した方が良いのではありませんか?

ハタチ一派ならぬ、便1一派による隠蔽は、何も自らの下半身事件だけではありません。教学改変の隠蔽、青年部人事改変の隠蔽、海外渡航費用の隠蔽、現場組織への高圧的従属の隠蔽、そして長きにわたる創価資金蓄財破綻の隠蔽と、もうそろそろ創価村貴族社会の綻びが顕現し始めていると感じるのですが、いかがですか?
 

いいぐるさん

 投稿者:松井玲奈夫  投稿日:2016年10月 7日(金)19時13分5秒
編集済
  平井高等部長の話のついでに、もう一つ思い出を。 ?

若い頃、自分が高校生の頃。関東のある県。よく来てくれて。その後、関東男子部長の時もあったようですが、その時にも親身に指導、激励を受けて、未熟な自分でもやる気を起こし、発心出来ました。 ?

友人から、その後の消息を耳にしましたが、連絡がつかないと心配する方達が多いです。当時の歯切れのいい指導は胸に刺さって来ました。

いいぐるさんが言うように、先生を語る時の表情は、聞く側の心を開いてくれました。今は、なかなかそういう幹部が見当たりません。 ?

少し前の板で、平井氏は「公園生活」に戻っているのか?などの記述がありましたが、私の耳に入ってくる情報では、全く真逆の話で、

東京のど真ん中で、IT関連の会社を経営しており、数十名の社員に囲まれ、元気溌剌と社会で実証を!と頑張っているとか。昔、学生部の受験生大会で聞いた平井氏の体験の中に、自動車修理工で、住み込みだった厳しき環境から大学受験して、確か東京外語大に合格したというドラマチックな体験が、「公園生活」みたいな表現になったのかな?とも想像しましたが。 ?

あのような人が何故、学会から離れるような事になるのか、今でも信じられませんが、聞くところによると、言われているような事ではないと聞いています。こういう事は、本人に実際に会って聞かないと真実はわかりませんね。噂だけでは、信じられませんね、学会の世界は。いろいろと脚色があるから。(笑) ?

いいぐるさんのように、私も会って、いろいろと聞いてみたい方です。自分の事も種々、報告したい人です。

 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年10月 7日(金)19時07分25秒
編集済
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2009-11-27 【代表幹部協議会】

■ 一、きょうは、新時代を担う若きリーダーをはじめ、各部の代表が集われた。長い将来のために、懇談的に語り合いたい。
 いよいよ、学会創立80周年の開幕である。
 ともどもに、明年の栄光の峰を目指して、皆さんのご家族の、そして自分自身の「幸福と勝利、万歳!」と高らかに叫びたい。
 恩師・戸田城聖先生が、私たちに、よく指導された言葉がある。
 「人生の正しい、勝利の軌道は一体、何か。
 それは、まず『勇気』である。次に『努力』だ。それから『勝利』である」
 これを、いつも青年たちに言われた。私の頭から離れない。
 勇気があったから今の創価学会があるのだ。信心の根本は、勇気である。
 入信以来62年、私は、あらゆる広布の戦《いくさ》を、勇気で勝ってきた。
 かつて、東京の福生《ふっさ》で、他宗の寺が不法な行為を繰り返した時にも、直ちに現地へ飛んで、厳重抗議した。
 何か事が起これば、青年が果敢に叫び、動き、勝利を決した。
 勇気と智慧と同志愛で、新たな道を開いてきたのである。

● 我々は勝った!
 一、わが同志は皆、本当によく戦ってくださった。
 日本だけではない。アメリカも隆々と発展している。あの国でも、この大陸でも、同志が活躍している。
 平和・文化・教育の光を広げゆく、我ら創価の大行進は、全世界で目覚ましい。
 創価学会は勝ちました。日本においても、学会ほどの民衆の大連帯はない。仏法史に輝く壮挙である(大拍手)。
 すべての勝利は、真剣な同志のおかげである。功徳は大きい。広布のために戦った福運が、子孫末代まで輝きわたることは、御聖訓に照らして絶対に間違いない。仏法は実証主義なのである。

● 師弟の心が一致すれば無敵だ
 一、皆を安心させる振る舞いは、指導者にとって大切だ。
 とともに、同志を守るためには、切れ味鋭く、頭脳が回転していなければならない。
 戸田先生は、古参の幹部もいるなかで、青年である私を、深く信頼してくださった。
 「私は口先の人間は信じない。大作は、広宣流布のために、日本中を駆けずり回っているではないか。大作を見習え!」と言われたこともあった。
 私は常に、先生のそばで仕えた。先生は、最も困難な戦いを、いつも私に託された。
 昭和26年(1951年)、戸田先生が第2代会長に就任された。同志は喜びにわき返ったが、折伏がなかなか進まない。
 「このままでは、広宣流布には5万年もかかってしまう」と先生は深く嘆かれた。
 「大作、やってくれるか」──先生の命を受け、私は昭和27年、蒲田で2月闘争の大拡大の波を起こした。
 さらに、翌昭和28年には、文京の支部長代理となった。心を合わせた祈りから出発し、全魂こめて友を励ました。当時、住んでいた大田から何度も通った。低迷していた文京は、第一級の支部へと飛躍した。
 戸田先生に全生命を捧げた私である。広布のために、ひとたび師から託されたことは、何があろうと断固として成し遂げる──これが弟子だ。この道を私は貫き通した。
 師弟の心が完璧に一致していれば、何も恐れるものはない。
 私は先生に、連戦連勝の結果をもって、お応えした。
 “肩書ではなく、自分が苦労して真の実力を磨け”“一番、大変なところで道を開け”──これが恩師の厳愛の鍛錬であった。それが私の宝となった。すべて、 「将の将」を育てるための、先生の布石であった。
 今日の学会の世界的な大発展を先生が見られたらこくださるであろう。
 不二の決意で立ち上がる、真の弟子がいるかどうか。それが未来永遠の栄光を決する。
 青年ならば、いかなる壁をも打ち破る大勇気を持つべきだ。

一人立つ勇気を持つのだ。
 勇気と努力で、新たな勝利の突破口を開くのだ。誰かではなく自分が、誉れの弟子として生きて生き抜いていただきたい。〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉

 一、今、全国各地で新しいリーダーが続々と躍り出ている。うれしい限りだ。
 いかなる組織にあっても、要となる人間が賢明であれば、一切無事故で悠々と前進していける。
 反対に、要の人間が愚かであれば、虚偽や無責任がはびこり、人材も伸びない。将来にわたって心すべき急所が、ここにある。
 組織の伸長をはかる「基準」は、「リーダーが成長しているかどうか」──この一点にあるのだ。
 どうか、誇りある使命を深く自覚し、頑張っていただきたい。

● どこまでも信心根本で
 一、偉大なる広布の道を開きゆく同志のために、できることなら何でもして差し上げたい。
 これが仏法の指導者の心である。
 一つの写真、一つの詩歌でも、愛する同志が喜んでくれるならば──そう思い、祈りをこめて、私は日々、励ましを贈っている。
 法のため、人のために尽くしゆく人生は、それだけ辛労も多い。しかし全部、意味がある。
 今ある環境、限られた条件の中から、一生懸命、智慧を出し合って、広布を進めていくのだ。
 そうやって信心で苦労すれば、苦労した分だけ、諸君の子孫にも必ず功徳が集まっていくのである。
 このように申し上げるのも、多くの人生を見てきた体験の上からだ。まるで“お伽話”のように聞こえるかもしれないが、生命の次元で見れば、仏法の因果の理法は、すべて真実なのである。
 ゆえに、目の前の苦難に、断じて、へこたれてはいけない。
 「南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(御書1143㌻)である。
 私たちは、南無妙法蓮華経の題目を、思う存分に唱えることができる。実はこのこと自体が、世界一、富める者であることを意味しているのだ。
 今、題目を唱えられるという現実そのものが、最高に幸福な境涯なのである。
 さまざまな悩みがあり、経済的に大変であっても、真剣に祈り、信心に徹すれば、いかなる宿命をも転換していける。
 たとえ、お金持ちになったとしても、見栄を張り、遊ぶのに夢中になってしまえばかえって不幸になってしまう場合もある。
 大切なのは、どこまでも信心根本で生き抜くことだ。

● 「大願」に生きよ
 一、きょうは3点、確認しておきたい。
 第1に、「リーダーの本分に徹し抜く」。
 第2に、「広宣流布の大願に生ききる」。
 第3に、「広布の戦には、断じて勝つ」。
 明年は、断じて勝利の一年にしてまいりたい。
〈会場から「ハイ!」と勢いよく返事が〉

● あの人がいれば学会は発展する
 一、ドイツの文豪ゲーテは綴った。
 「ぼくに課せられた日々の仕事は、日ごとにたやすくもなり困難にもなるが、これが寝てもさめても一瞬の油断をも許さない」(小栗浩訳「書簡」、『ゲーテ全集15』所収、潮出版社)
 すでに文名赫々たる三十一歳のゲーテは、国の要職を担い、政務に打ち込みながら、わが生涯をかけた創作活動に思いを馳せていた。その最中での自戒であった。
 現実の社会には、嫉妬もある。敵もいる。悪意もある。寸分たりとも隙があれば、大事業は為し得ない。
 「油断大敵」とは、万事にわたる戒めだ。特に、リーダーが気を抜けば、悪影響は全体に及ぶ。
 ともあれ、まず幹部が動くのだ。自分が動きもしないくせに“他人にやらせよう”という心は、“畜生の心”である。諸君は、そんなずるいリーダーになってはならない。
 私は常に、先駆けとなる戦いで、勝利をもぎとった。不敗の原点を胸に刻み、あらゆる戦いを勝ち抜いてきた。
 若き諸君も、そうなってもらいたい。
 名将になるのだ。青年期に訓練を受けることだ。青春時代に悔いなく戦った人は、どこまでも伸びていける。
 “あの人がいれば学会は必ず発展する”と言われる一人一人になってほしいのである。

● 嵐の日にも吹雪の時も
 一、師を守る。この一点に私は徹した。戸田先生は、私の健康を心配してくださった。
 戦争中、肺病で苦しみ、東京・蒲田の新潟鉄工所で倒れたこと、鹿島の療養所での治療を勧められたことなどを、今も思い出す。
 学会の会長になってからも、激務が続き、無理を重ねた。妻は先日も、「あなたが健康な体になったのは、本当につい最近のことですね」と、しみじみ言っていた。
 嵐の日も、吹雪の時も、変わらず指揮を執り、戦いきってきた。
 「三十歳までは生きられない」と言われながら、戸田先生を守り抜き、先生の心を継いで、世界平和の潮流を広げてきたのだ。
 ゆえに私は、青年部の皆さんに「君は、やろうと思えば何でもできるんだよ!」と語りかけたいのである。
 広布のために尽くした私の人生だ。何の後悔もない。
 思えば、学会の草創期には、思うように学校に通えず、苦労した人も多かった。そうした皆さんが、誇りに思えるように──こうした願いも込めて、私は創価一貫教育の学府をつくった。庶民のための指導者を育てたいのだ。
 組織の上の人間が、威張ることなく、皆に尽くす。私は、この方針を、がっちりと貫いてきた。今後も永遠に貫かねばならない。

● 楽しき行進を
 一、幹部自身が気取りを捨てて、どこまでも真剣に戦うことである。師匠に心のギアを合わせていくのだ。人も組織も、しっかりと指導を受けたところが伸びていくものだ。
 十九世紀から二十世紀初頭を生きたアメリカの作家マーク・トウェインは洞察している。
 「真に偉大であるものには飾り気がない」(ドロシー・クイック著、野川浩美訳『マーク・トウェインと私』ほんのしろ)
 日蓮仏法では「無作三身」と説く。本来ありのままの仏の境涯を、「信」によって得ることができるのだ。
 見せかけの虚飾などいらない。偉そうに、ツンとすまして話していては、友の心に響かない。特に、青年の前では、そうだ。
 皆が楽しくなり、「よし! やろう」と喜んで決意できるよう、心を砕いていくのがリーダーの務めである。
 格好ではない。自分らしく、戦い抜くのだ。そして、わが使命の地域を世界一の幸福の仏国土へと変えていくのである。

 一、インドネシアの大作家モフタル・ルビスの言葉を贈りたい。
 現在、私が進めているワヒド元大統領との対談でも話題となった言論人である。
 ルビスの小説のなかで、名もなき庶民を守ろうとして亡くなった勇者の遺志を継ぎ、一人の若き女性が決然と叫んだ。
 「今こそ、民衆の幸せに対して責任を感じる人は、すべて立ち上がって行動すべき時なのよ」(粕谷俊樹訳『ジャカルタの黄昏』井村文化事業社)
 指導者は皆を守るためにいる。広宣流布のためのリーダーである。偉くなったように錯覚をしてはいけない。
 人を「使う」のではない。尊き仏子に「仕える」のだ。
 同志のために、全幹部が師子となって立ち上がっていただきたい!(大拍手)

● 忘れ得ぬ出会い
 一、今年の十二月五日は、周恩来総理との忘れ得ぬ出会いから35周年を迎える。
 1974年(昭和四十九年)十二月五日、第2次訪中の最後の夜に、私と妻は北京の病院を訪れた。周総理は重い病を患い、入院されていたのである。
 「池田先生とは、どうしても、お会いしたいと思っていました」
 周総理がこう言って、私の手を固く握られたことを、今も鮮明に覚えている。
 すでに私の初訪中の際、総理は、真心の限りを尽くして準備をしてくださっていた。しかし、ちょうど入院して手術をされ、お会いできなかった。
 そして闘病が続くなか、一期一会の出会いとなったのである。
 私は、周総理の世界平和への思いを胸に、今日まで中国との友好を強く結んできた。
 〈十二月一日には、名誉会長に中国・天津の「周恩来・鄧穎超記念館」から「名誉館員」の称号が贈られた〉

 一、ともあれ、全世界が創価の八十周年を祝福してくださっている。牧口先生、戸田先生も、どれほど、お喜びくださることか。
 数多くの顕彰をもって讃えられた、世界一の学会である。すべて皆様の力である。
 こうした栄誉は、すべて同志の皆様方に、世々代々に流れ伝わっていく栄光である。これが仏法の光彩である。師弟の誉れである。尊極無上の人生を歩んでいることを深く確信していただきたい(大拍手)。

● 不屈の闘争で
 一、事業の苦境の中で、戸田先生は学会理事長の辞任を突然発表された。その折私は戸田先生にうかがった。
 「先生が理事長を辞められたら、新しい理事長が私の師匠になるのでしょうか」──。
 戸田先生は「それは違う」と言下に否定された。そして、「苦労ばかりかけるけれど、君の師匠は私だよ」と厳然とおっしゃってくださった。
 先生に断じて会長になっていただきます! そのために私が奮闘いたします!──私は、その決意を申し上げた。
 場所は、西神田の小さな旧学会本部。二人きりの語らいだった。
 本当に大変な時代だった。戸田先生をおとしめ、自分たちが学会を牛耳ろうとする人間たちもいた。
 しかし私は、師弟不二の不屈の闘争で、一切の困難を打ち破った。師弟の勝利の歴史を打ち立てた。
 プラムディヤは、物語の中で、一人の母の言葉を記している。
 「思い上がりが、あなたを苦しめ、不幸にしてきたのです」「たったいまから、感謝の心を忘れない人間になるよう訓練なさい」(押川典昭訳『プラムディヤ選集6』めこん)
 傲慢な人間、恩知らずの人間には決してなってはならない。
 青年時代、私は師匠・戸田先生を命懸けで支えた。一番、正しい人、一番、広宣流布のために戦う人を護り抜いた。
 これが本当の弟子である。これが真実の仏法の実践である。
 正義の人を苦しめ、いじめれば最後は無残だ。惨めな人生の末路をたどることは皆様がご存じの通りである。
 ともあれ、大事なことは、「将の将」たるリーダーが、もう一度、本当の学会精神に立ち返って戦うことだ。自分自身が変わことだ。
 どこまでも「上」に立つリーダーが本気になって立ち上がることだ。そうすれば、学会はもう一歩、大きな前進を遂げることができる。

● 目を開け!
 一、世界の識者との対話──それは、恩師の遺言であった。
 私は対話に走った。世界へ道を開いた。
 青年部も、目を世界に開いてもらいたい。
 また壮年部の諸君も、私とともに奮い立って一緒に進むのだ。
 私に比べれば、皆さんは、まだまだ若い。老け込むには早い(笑い)。
 どこまでも学会とともに生き抜くのだ。
 そして、「あの人の励ましによって救われた!」「あの人のおかけで成長できた!」と皆から尊敬され、感謝される一人一人であっていただきたい。
 一、今、創価の民衆のスクラムは地球規模で広がった。
 その根本の土台を、わが身を削って築き、護ってきたのは誰か。
 広宣流布に戦い抜いて、御書に仰せの通りの「三障四魔」「三類の強敵」の大難を受けてきたのは誰か。
 初代の牧口先生であり、第2代の戸田先生であり、第3代の私である。
 そこに、どれだけの祈りがあり、どれだけの熟慮があり、どれだけの戦いがあったか。
 自分のことになってしまうが、青年部の皆さん方には、学会の指導者の真実の心を、真実の歴史を知っておいていただきたいのである。

■ 時を待つのではない。
 動きに動いて、勝利の時を創るのだ。
 広宣流布の前進において、本陣のリーダーの責任は、あまりにも大きい。
 戸田先生は、厳として言われた。
 「最高幹部は、全会員に仕えるのだ。率先して打って出るのだ。
 二百倍、三百倍の労力を費やして、完璧な勝利の道を開くのだ。
 それが、創価の師弟の精神だ」
 頑張ろう!
 仏法は勝負である。
 健気な女子部や、後輩たちのために、先頭に立って道を切り開く──それが、将たる者の使命である。
 先生は、こうも叫んでおられた。
 「臆病な幹部はいらない。
 本当に、一緒に広宣流布をしよう、大聖人の仏法を広めよう、不幸の人を救おうという心を失った幹部は、学会から出ていってもらいたい。こういう人間には、いてもらっては困る。邪魔になる。不潔になる。学会が濁ってしまう」
 厳しいようだが、後世のために、あえて伝え残させていただく。
 ともあれ、リーダーは、いかなる状況にあっても、富士のごとく雄大な心で、晴れ晴れと胸を張って、同志を包み、励ましていってもらいたい。
 話し方ひとつとっても、若々しく、歌を歌うような、生き生きとした声で語るのだ。心のこもった声は必ず、相手の胸に入る。
 「言《ことば》と云うは心の思いを響かして声を顕す」(御書563㌻)と仰せの通りである。
 決して、一方的であってはならない。
 「いい話が聞けてよかったな」と、皆が満足し、清新な決意で出発できるような工夫をお願いしたい。
 ロシアの大文豪トルストイの言葉に、こうあった。
 「真実を知り得た人々がなすべきことは、その真実を人々に伝えることだ。そして、実行することである」
 真実は、伝わってこそ価値を生む。実行してこそ、よりよき世界をつくっていける。
 大聖人は「うれしきかな末法流布に生れあへる我等」(御書1439㌻)、「悦ばしいかな経文に任せて五五百歳・広宣流布をまつ」(同1525㌻)等と仰せである。
 広宣流布という偉大な使命を果たしゆく人生が、どれほど素晴らしいか。
 いよいよ、勝負の時である。
 喜び勇んで、前進しよう!(大拍手)
 一、私は今、学会の将来のために、着々と手を打っている。
 全国各地には、創価の友が喜び集う、数多くの会館がある。
 研修道場や墓地公園も、別海の北海道研修道場、厚田の戸田記念墓地公園、兵庫の関西池田記念墓地公園、そして、“平和の要塞”と親しまれる沖縄研修道場など、日本列島のすみずみまで、実に壮大な広がりとなった。
 青年部の諸君!
 君たちの黄金の舞台は、日本中、そして全世界に開かれている。
 「世界第一の使命と栄光の青春を、誇り高く、勝ち進め!」──こう強く申し上げておきたい(大拍手)。
 一、「日興遺誠置文」には仰せである。
 「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(同1618㌻)
 これは、師・日蓮大聖人の「立宗宣言」から80年の時に叫ばれた、弟子・日興上人の師子吼であられる。
 日興上人は、大聖人の御心に、寸分違わず行動し、ただ一人、師弟の正道を貫いてこられた。
 広宣流布の大願へ、身命を借しまず、正義を叫ぶ。ただただ、師の仰せの通りに戦い抜く──。これが、学会の永遠の魂である。

■ 真剣に戦う同志を、ほめ讃えながら、明るく、朗らかに、そして、どこまでも仲良く進んでいこう!
 長時間、ありがとう!
 最後に恩師がお好きたった“大楠公”の曲を皆様に贈りたい(大拍手)。
 〈名誉会長がピアノに向かい、“大楠公”を演奏。師弟の魂が共鳴した。さらに「荒城の月」「さくら」を奏でた〉
 皆さん、お元気で!
 勇気、正義、そして忍耐で進むのだ。
 朗らかに! また朗らかに!
 たとえ折伏がなかなかできなくても、朗らかにいくのだ。楽しく生き抜くのだ。
 自分自身を、また家族、兄弟、親戚を、幸福へと引っ張っていくために戦おう!
 戦いというのは、得てして、「勝利」の中に「敗北」の因があり、「敗北」の中に次の「勝利」の因があるものだ。
 ゆえに、小さく考えないで、勝っても負けても、朗らかに前進しよう!
 そして最後に断固として勝つのだ。
 最後まで信心し切った人は、生々世々、大功徳に包まれ、子孫未代まで栄えていくのである。
 これが大聖人の仰せである。絶対に御書に間違いはない。
 皆さん方とご家族の「勝利」と「幸福」を祈ります!
 風邪などひかないように。またお会いしましょう!(大拍手)

 

ハタチのカンピースさん(笑)

 投稿者:ダメよダメダメ~  投稿日:2016年10月 7日(金)19時01分3秒
  座布団30枚(笑)

以前、10枚頂きましたから。

全く仰っておられる通りです。

あまり余計な事を書くとまたまたクライアントさんに

ご迷惑がかかるかもですよ(笑)柳原さん。
 

柳チャ~ン、そろそろ憶測と決めつけの駄文は止めた方がいいんじゃな~い(爆笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月 7日(金)18時47分34秒
  柳チャン、そ~です!じつは小生こそがハタチなので~す(大爆笑)

ホントに腹がよじれて笑いがとまらないよ~(爆笑)誰かたすけて~(笑)

ホントに憶測・推測・決めつけの嵐の駄文ごくろ~さん(笑)これがジャーナリストと名乗る方の文章とは思えない\(^o^)/

あのね柳チャン、
>『信濃町の人びと』と称する『信濃町を追放された人』< これ証拠あるの?

>「波田地一味」< これなんで一括りにしようとしてるの? ちなみに小生は何の関係もないけど・・

>過去の反逆者と共通する論理にすぎない< って過去の反逆者とは「いつの」「誰の」論理と「どの様に」共通するの?

 具体例をしっかり挙げて説明しないと「単なる決めつけ」にしか過ぎないよ~

>不確定な根拠なるものをもとに教団内部を混乱させているだけにすぎない< って、これ超巨大ブーメラン(笑)

小生もだけど、論客諸兄も、池田先生の指導・御書をベースに意見を投稿してるんだけど~(笑)
もしかして、先生の指導や御書は「不確定な根拠なるもの」なの? アタマだいじょう~ぶ?

逆にね、柳チャン、
「大石寺の弘安2年の御本尊は受持の大将としない」 のは先生の指導?
「日寛教学を見直す」 のは先生の指導?
「一大秘法・六大秘法は今後使用しない」 のは先生の指導?
「御観念文から諸天善神を除いた」 のは先生の指導?
「日目上人を御観念文から外した」 のは先生の指導?
「人本尊・法本尊の記載を外した」 のは先生の指導?

いちいち挙げないけどまだまだあるよ~!(笑)これら全て「不確定は根拠なるもの」じゃない?(笑)


最後にね、柳チャン、

>「宿坊」ではさまざまな名前で投稿がなされる。その中には一人で多くの名前を使いまわす者もいる<

って誰のこと? ちゃんと具体的な証拠を出さなきゃ、これも「不確定は根拠なるもの」じゃな~い(笑)

>波田地の場合はその投稿内容と同人の人格などがにじみ出ていると思われる文体から「八尋みのる」「カンピース」などが同人の投稿と思われている<

まさに語るに落ちちゃったね~、柳チャン、「思われている」って誰に「思われている」の?
自分が考えているだけなら、文体は「思っている」でなければならないよね~。
自分以外の誰かが「思っている」から、そしてその情報を鵜呑みにして文章書いてるから「誰か」に「思われている」って表現になるんじゃな~い?

いい加減に柳チャン、もっと調査して、公平公正なモノを書かないと、「コラム日記」が「駄文日記」に題名変更されちゃうよ~(爆笑)


 

赤胴鈴之助さんへ

 投稿者:あさひ  投稿日:2016年10月 7日(金)18時17分23秒
  ありがとうございます
やっぱりそうですよね~真蹟主義ですからね
どうするんでしょ

赤胴鈴之助さんは、いつも大変な作業をされてますね
こちらの板の皆さんのそうした労苦を惜しまない求道の姿にいつも感動させられます
これからも宜しくお願いします
 

声を出す勇気

 投稿者:同志の歌(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月 7日(金)18時16分59秒
編集済
  ジョーカー様の意見に賛同します。

血の通った組織にするのは、自らが間違った者に対し勇気を出し、戦う事だと思います。

間違った事に声もださないのは、間違った事を認める事になります。

池田先生が言われている事と違えば、その事に対し、「違う」と声を挙げる事が、弟子の姿勢であるのではないでしょうか。

また、自らがその行動を題目を唱え、真剣に祈り勇気を出し行い、その戦いを拡大する事が、自分達、弟子の戦いだと思います。

その勇気を出すのが、天魔打倒の祈りです。

この祈りで弟子としての使命を果たしましょう。
 

あさひさん、すばらしい、情報をありがとうございます。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年10月 7日(金)15時55分39秒
編集済
  あさひさん、すばらしい、情報をありがとうございます。

わたしも、曽谷入道殿許御書のひらがな化をしていたところでした。

引用失礼します。・・・・・・・・・・
宮田教授の講演を私も聞いてみました   投稿者:あさひ    投稿日:2016年10月 7日(金)14時29分36秒     通報

   感想は「あぁ・・・・・」
私が疑問に思っていたことを宮田教授が講演してくださいました。

●「創価学会会則 教義条項」の改正について
全国県長会議から 原田稔会長

末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、
それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を
具現したものであり、等しく「本門の本尊」であります。

●「会則の教義条項改正に関する解説」(下)創価学会教学部

これまで日寛上人の教学に基づいて、「一大秘法」 や 「六大秘法」
ということを使用してきたが、「一大秘法」 が 「本門の本尊」
であるという日寛上人の解釈は、御書にはない。
御書に「一大秘法」と教示されているのは、「曽谷入道殿許御書」
のみである。そこでは、「妙法蓮華経の五字」(御書1032頁)を
一大秘法として明かされている。

引用終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その後に、宮田創価大学教授のしどろもどろの話がいかに、彼の教学が低レベルか、よーーく分かりました。

真蹟 四十六紙完。中山法華経寺。もちろん、真蹟ですよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

曽谷入道殿許御書(五綱抄)(大田抄)
    執筆 建治元年(文永十二年)三月十日。五十四歳。
      対告 曽谷教信、大田乗明。

真蹟 四十六紙完。中山法華経寺。原漢文。
      写本 日法本(岡宮光長寺)。

中略・・・本文
今親り此の国を見聞するに人毎に此の二意の悪有り此等の大悪の輩は何なる秘術を以て之を扶求せん、
大覚世尊仏眼を以つて末法を鑒知し此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたもう、
所謂法華経本門久成の釈尊・宝浄世界の多宝仏・高さ五百由旬広さ二百五十由旬の大宝塔の中に於て二仏座を
並べしこと宛も日月の如く十方分身の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下に五由旬の師子の座を並べ敷き衆星の
如く列坐したもう、四百万億那由佗の大地に三仏二会に充満したもうの儀式は華厳寂場の華蔵世界にも勝れ
真言両界の千二百余尊にも超えたり一切世間の眼なり、  p1031

ひらがな文
いままのあたり、このくにを、けんぶんするに、ひとごとに、この、ふたつのあくあり、これらのだいあくの
やからは、いかなるひじゅつをもって、これをふきゅうせん。
 だいかくせそん、ぶつげんをもって、まっぽうをかんちし、このぎゃく・ぼうのにざいを、たいじせしめん
がために、いちだいひほうを、とどめおきたもう。
 いわゆる、ほけきょう、ほんもんくじょうの、しゃくそん・ほうじょうせかいの、たほうぶつ・たかさ、
ごひゃくゆじゅん、ひろさにひゃく、ごじゅうゆじゅんの、だいほうとうのなかにおいて、にぶつ、ざをなら
べしこと、あたかも、にちがつのごとく、じゅっぽうぶんしんのしょぶつは、たかさごひゃくゆじゅんの、
ほうじゅのもとに、ごゆじゅんの、ししのざをならべしき、しゅうせいのごとくれつざしたもう。
 よんひゃくまんおく、なゆたのだいちに、さんぶつにえに、じゅうまんしたもうのぎしきは、けごんじゃく
じょうの、けぞうせかいにもすぐれ、しんごんりょうかいの、せんにひゃくよそんにも、こえたり、いっさい
せけんのまなこなり、  p1031

中略
文殊等の大聖は身を慙ぢて言を出さず舎利弗等の小聖は智を失して頭を低る、  p1032  爾の時に
大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、
法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字・名・体・宗・用・教の五重玄
なり、例せば九苞淵が相馬の法には玄黄を略して駿逸を取り史陶林が講経の法には細科を捨て元意を取るが
如し等、
 此の四大菩薩は釈尊成道の始、寂滅道場の砌にも来らず如来入滅の終りに抜提河の辺にも至らずしかのみ
ならず霊山八年の間に進んでは迹門序正の儀式に文殊・弥勒等の発起影向の諸聖衆にも列ならず、退いては
本門流通の座席に観音・妙音等の発誓弘経の諸大士にも交わらず、

但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後・仏の滅後正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず、所詮・
仏専ら末法の時に限つて此等の大士に付属せし故なり、

ひらがな文
もんじゅなどのだいしょうは、みをはぢて、ことばをいださず、しゃりほつなどの、しょうしょうは、ちを
しっして、こうべをたる。  p1032
 そのときに、だいかくせそん、じゅりょうほんをえんぜつし、しかしてのちに、じゅうじんりきをじげん
して、しだいぼさつに、ふぞくしたもう。
 そのしょぞくのほうは、なにものぞや。
 ほけきょうのなかにも、こうをすて、りゃくをとり、りゃくをすてて、ようをとる。
 いわゆる、みょうほうれんげきょうの、ごじ・みょう・たい・しゅう・よう・きょうの、ごじゅうげんな
り。
 れいせば、きゅうほうえんが、そうばのほうには、げんこうをりゃくして、しゅんいつをとり、しとうりん
が、こうきょうの、ほうには、さいかをすて、がんいを、とるがごとしとう。
 この、しだいぼさつは、しゃくそんのはじめ、じゃくめつどうじょうの、みぎりにもきたらず、にょらい
にゅうめつの、おわりに、ばつだいかわの、ほとりにもいたらず、しかのみならず、りょうぜんはちねんの
あいだに、すすんでは、しゃくもん、じょしょうのぎしきに、もんじゅ・みろくなどの、ほっき、ようごう
の、しょしょうしゅにも、つらならず、しりぞいては、ほんもんるつうの、ざせきに、かんのん・みょうおん
などの、ほつせい、ぐきょうの、しょだいしにも、まじわらず。
 ただ、この、いちだいひほうを、じして、ほんじょに、いんきょするののち・ほとけのめつご、しょうぞう
にせんねんのあいだに、おいて、いまだいちども、しゅつげんせず。
 しょせん・ほとけもっぱら、まっぽうのときに、かぎって、これらの、だいしに、ふせぞくしゆえなり、

所感はまたのちで・・・、ご検討をお願いします。
 

師弟不二アーカイブより 【問答無用 対話なき処分】【36】【37】

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年10月 7日(金)15時26分36秒
  陽光様の【問答無用 対話なき処分】のシリーズ36、37を抜粋してお送りしています。

組織の対面をたもつためなら幹部がここまで腐るものかと呆れますね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★問答無用 対話なき処分 36

2016年6月18日。土曜日。午前9時ちょっと前。表玄関のドアをドンドンドンドンと叩く音で目が覚めた。
前日は帰宅が遅く、それからいろいろな資料の纏めをしてたら就寝が朝の4時半頃になった。

次の日は、土曜日なので少し遅くまで寝ていようと思ったのだ。ドンドン、ドンドンと激しく叩く音。
寝ぼけたまま二階の窓から下を見下ろすと見覚えのある頭がそこにあった。その御仁は、昨年の10月19日に活動停止処分の手紙をアポなしで持ってきた御仁の一人であった。

ところが、この御仁は、これで二回目のアポなしで我が家を訪問。呆れた態度である。ちっとも過去を反省することもないし改めることもない。

とんだ迷惑な事だ。とても仏法者の振る舞いとは言い難い。十分睡眠を取った後に、電話のメッセージを聞いた。その御仁は、私の家の前からかけてきた。電話時間がちょうど9:00AMとなっていた。


「おはよう、陽光殿。前回の貴殿の4月24日のメールについて東部方面長と話合った。その返事について貴殿と話し合いたいと思う。連絡を乞う。●T」という簡単なものであった。


彼らは悩乱しているとさえ思ってしまう。「若し悩乱する者は頭が七分に破れ」とある。毒気深入なのだ。現在のローカル幹部およびSGI-USAの大幹部には常識というものが通じないらしい。


「元創価学会職員三名のブログ」に書かれてあったが、彼らが原田会長に会いに行き対面しょうとすると、原田会長は彼らに対して「君たちはアポイントもなしに私に会いに来るとは、非常識にもはなはだしい。とにかくアポイント取り給え」と言われた、とあった。

組織の幹部と会うためにはアポイント必要で、幹部が一メンバーに会うためにはそれは必要ないようだ。しかも、家まで来て朝早く寝込みを襲う事もできるらしい。整合性も自語相違も矛盾もーーもう何も関係ないのだ。単にメンバーの都合も迷惑なんて考える必要もない。もう何でもありの組織なのだ。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=10047

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★問答無用 対話なき処分 37

繰り返して書くが、そもそも、この私の問題の発端は、私が2015年9月12日にFNCCの日本語研修会で永●(当時の)理事長および大幹部他三名と会議したことから始まった。
私は、宗教の根幹に関わる会則変更にともなう質問を真摯に聞いただけなのである。


ところが私の質問には彼らは一切答えずにのらりくらりと会話のトピックとは全く違うことばかり話した。創価学会の根本である人間主義の対話を期待して彼らに会いに行ったが、対話らしい対話は全くなかった。


彼らは、「教学部レポード」や「遠藤文書」に書かれてあることを怪文書として否定した。
しかし、創価学会会則が両文書に書かれてある通りに2014年11月18日に変更されたのである。
その変更過程が一般会員に知れ渡る事が好ましくないと判断したのだ。

言い換えれば、この両文書が執行部の会則変更の判断に関して如何に正確に書かれてあるかを一般メンバーには知られたくないからこそ、隠蔽したいのだ。何故ならば、両文書に対する彼らの異常ともいえる反応、異様までの反応にすべてが物語たっている。


後に、宿坊の掲示板の投稿を忌み嫌うようになり敵視し始めた。最初に私が宿坊の掲示板に投稿した全てを2月3日に永●前理事長がメールで「陽光殿、別紙の資料も届いておりますので送付させて頂きます。かなりの量ですが、念の為お届けします。永●」と30ページに渡る「陽光」のハンドル・ネームで投稿したPDFファイルが添付されていた。

まさに「はあ~?」という感じ。誰が纏めたものか知らないけどアメリカのトップ幹部が直々に私にメールを寄越したのだ。


また、6月2日の集中攻撃で「陽光は88回も投稿している」と前理事長が言う。よく投稿数を数えたものだ。呆れ返ってしまう。よっぽど暇な御仁が一つ、二つ、三つ・・・と数えたのであろうか。会員の財務でメシを食らうものが、一つ、二つ、三つ・・・と算数ごっこをしているらしい。


その後、問題の本質が徐々に捻じ曲げられ、会則変更等の本題については棚に上げ、別件で私への個人攻撃が始まった。彼らが答えたくない問題は回避して、とにかく私への総攻撃を始めた。


第一に、私を村八部にして一般会員とのコンタクトを断った。それに追従して、あることない事を触れ回る。嘘も10回繰り返すと私を信頼していた人達も疑いを生じてしまう。実に姑息な手段・作戦である。


そして、前回の「問答無用対話なき処分 第32番目」に記したように6月2日に前理事長、現理事長および副教学部長のアメリカの最高トップ幹部三人がローカルとサンタモニカ本部を電話回線でつなげ、拡声器を通して10人弱のローカル・メンバーを会館に集め、権力を持って一会員のイジメをする。


如何に私が悪者か、異体同心を乱す者かということを炊きつけ延々と印象付けた。集中砲火の総攻撃である。これは、もう異様さ・異常さ・不気味さを超えた前代未聞の出来事である。創価村権力者メンタリティーとでも言おうか。まさに三船敏郎主演の「隠し砦の三悪人」である。


その時の会話で前理事長はローカルのメンバーに対して「皆さん、いろんな活動で時間がなくなるので、教学はWORLD TRIBUNE とLIVING BUDDHISMさえ勉強しておけば他のものは勉強しなくても良いんですよ~」と、の賜ったらしい。

戸田先生の「教学は剣豪の如き修業」という精神は今はない。池田先生の指導も都合よく改竄されている現在、先生の指導の内、どれが、どのように改竄されているのかも分からないように紛らわしくなっているのだ。


こうして一般のお花畑のメンバーは都合よく洗脳されていく。私の好きなジョージ・カーリン氏(故人・コメディアン)が言う。「権力者にとって従順(OBEDIENT WORKER)に従う一般会員が大切で、批判的思考は必要ないし困る」のだ。

創価教学が段々と劣化しているのも頷ける。すべては無知なお花畑の会員をコントロールするためである。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=10049
 

信濃町の人々様

 投稿者:南米訪問団  投稿日:2016年10月 7日(金)14時49分43秒
編集済
  ありがとうございます

誤解を招いてすみません
陳謝します


原田会長と笠貫女史が南米訪問団(?)と一緒に南米訪問している間、会員はどうなっていたか?

参議院選挙を終え、ホッとする間もなく、都知事選挙

推薦なので、自主投票のハズが小池氏の対抗馬の支持を強いられました
そして、落選

小池氏が知事になり、ブラックボックスを開け都政を改革しています
都民ファーストの精神で
うちはどう見ても自主投票で良かったと思う

選挙の時、先生は支援活動できない
だから、海外で死に物狂いで戦ってくると言われていました

参議院選挙、都知事選と猛暑の中、戦わされた会員を励ます南米訪問団だっただろうか?
この記事を読んで会員が歓喜し元気になったのだろうか?

自分の友人、数人が体調崩しました
心の中で納得できない人を応援させられ、その上、落選
会長は南米訪問中
会員に労いの言葉はあったのだろうか?

そして、今度は、小池氏の補欠選挙があります
山口代表が小池氏を応援した若狭氏応援にいくそうです
政治はそういうものかもしれません

しかし、だからこそ、宗教団体の長として
会員に過剰な負担をかけない舵取り
権力者に利用されない舵取り
を原田執行部は常に心掛けるべきではないか?

そういう祈り、気概も感じることができない
南米訪問団だったと憤慨している次第です


 

【聖教新聞劣化問題】誰か私を呼んだ?様、誰か私に聞いた様(笑い)

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月 7日(金)14時33分0秒
編集済
  誰か私を呼んだ?様

ご指摘ありがとうございます。
尊敬する貴兄とは明らかに文のレベルが異なります。文は人なりです。

昨晩の投稿は、聖教新聞劣化問題がややヒートアップして感情的な展開になりそうな感じがしましたので、変な展開にならないよう予防的に手を打ちました。

幸いにも、今朝、太ちゃんがとても良い突っ込み方をしてくれたので、書きたいことが書けました。

昨晩の投稿にちょっと記載に誤りがありましたので訂正します。

”どのような紙面割りにするかは編集者が決めることであり、
この点は、誰か私が呼んだ?様の指摘の通りなのでしょう。”

次のように訂正→

”どのような紙面割りにするかは編集者が決めることであり、私はプロです。と言った、誰か私に聞いた様の指摘の通りなのでしょう。”

ちなみに、「私に聞いた様」は、聖教新聞の記者か編集さんなんですよね。ご苦労なことです。

聖教新聞の劣化は何処にあるのか、本質的な問題を書いたので、ぜひ参考にしてください。

【太ちゃん、鋭い!】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57729


聖教新聞の関係者に、さらに厳しく指摘をすると、本職の方々の信心の劣化こそが今の原田会長をはじめとした、悪の4人組の大迷走の大元ではないでしょうか?

聖教新聞の記事の内容について
どうすればよいかの例をおしえましょうか?

まずは、現場の組織の最前線に入り、末端の学会員はどう活動しているのか。
一緒になって汗を流して見てください。

池田先生は若き日に、組織の指揮を任された時に、常に現場の最前線に入り、打ち出しがどのように消化され、活動に活かされているか。
最末端の学会員のところに足を運び、時には一緒に折伏したり、家庭訪問を一緒にされたりしていたことを知っていますか?

今の職員に足りないのは、池田先生と同じ戦いを誰もしていないということです。

師匠と同じ思いに立てる訳がない。
だから、記事の内容に迫力がないのです。

学会は貴族仏教と言われている。
このままでは滅びます。

この池田先生の獅子吼を真剣に受けとめてください。
 

南米訪問団様

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月 7日(金)14時30分13秒
編集済
  了解致しました。南米訪問団の怪については、どんどん突っ込んでくださいませ。フォローが出来ることがあれば、何か書きますので。  

宮田教授の講演を私も聞いてみました

 投稿者:あさひ  投稿日:2016年10月 7日(金)14時29分36秒
  感想は「あぁ・・・・・」
私が疑問に思っていたことを宮田教授が講演してくださいました。

●「創価学会会則 教義条項」の改正について
全国県長会議から 原田稔会長

末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、
それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を
具現したものであり、等しく「本門の本尊」であります。


●「会則の教義条項改正に関する解説」(下)創価学会教学部

これまで日寛上人の教学に基づいて、「一大秘法」 や 「六大秘法」
ということを使用してきたが、「一大秘法」 が 「本門の本尊」
であるという日寛上人の解釈は、御書にはない。
御書に「一大秘法」と教示されているのは、「曽谷入道殿許御書」
のみである。そこでは、「妙法蓮華経の五字」(御書1032頁)を
一大秘法として明かされている。


※なんか、会長の説明と教学部の説明に矛盾があるような気がしていました。


※これは、真蹟主義の宮田創価大学教授がその矛盾に気が付いた衝撃の瞬間なのでしょうか

★創価大学で開催された
日本宗教学会 第74回学術大会
宮田 創価大学教授講演
http://sgi-shiteifuni.com/?p=11702
7分30秒~8分30秒

「 え~こういう話です。え~ついでにですね。え~まあ、こう一大秘法や
六大秘法っていうね こういう。まあ一大秘法ってのは要約言いますけど
ですね。一大秘法が本門の本尊であるっていう日寛上人の解釈は、この御書
にはないと。ですね。え~御書に一大秘法と記録されてるのが曾谷入道殿・・
もそうなんでしょうか、なになんでしょうか。
まあ、ね、私はよくわかりませんけれども。
こういう御書のみであると。
そこでは妙法蓮華経の五字をですね、一大秘法として扱う。
まあ創価学会としてはこの妙法蓮華経の五字っていうものをですね・・・・
え~・・・・まあ・・・う~んと・・・。まあいいや。
で・・・ね・・・根本の法というふうに、まあ解釈してるわけですよね。
(どんどん声が小さくなっていく・笑)」

曾谷入道殿許御書って宮田教授が信じてやまない真蹟じゃなかったっけ?
・・・・(手元に御書がないので勘違いならごめんなさい)
他にも沢山気が付いたことがあったんですが、須田さんやコチラの論客の皆さんが
鋭い破折をしてるので、まあ私は小難しいことは良いです。

いくら個人的見解といえ、これを、日顕宗をはじめ他の宗派の関係者が
参加している学会の席で、それを前に創価大学教授っていう看板しょって
我らが創価大学で創立者のこととか引き合いに出して滔々と語ったんでしょ

「宿坊板に投稿される内容が敵に利用される」とか最初の頃に批判的な方達は言って
ましたが、宮田教授は何か処分を受けられたのでしょうか?
(宮田教授を心配はしていません。一会員としては許しがたい行為です)

会長と谷川副会長も行ったんでしょ。
顔に泥塗られたようなもんです。
良いんですか?

「個人的な見解だから」で処分を受けないのであれば
コチラでよく話題にあがる、最近流行りの処分はいったいどういうことなんでしょうか?
何をみて処分の有無を決めてるんでしょうか?

私にはそこんとこがてんでわからない
 

信濃町の人々様

 投稿者:南米訪問団  投稿日:2016年10月 7日(金)14時25分24秒
  自分の投稿文に「信濃町の人々」とありますが、信濃町の人々様の事ではありません

信濃町の面々と書き直します

自分は一般会員として、聖教等、一般会員が得ることが出来る情報の範囲内での違和感を率直に書き込ませて頂きました

先生が受賞された件になんら不満はありません
現地のメンバーの奮闘の賜物だと思っています
 

南米訪問団様

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月 7日(金)14時12分30秒
  違和感はありますが確証が弱い。
他の方が論及しているので深入りする必要もないでしょう。
全体のバランスを考えての判断です。

以前にも書きましたが、池田先生への顕彰は会長専権事項との情報があります。

詳しくは書きませんが、顕彰を受けるために、様々な工作があるとの話もあります。

池田先生が顕彰されること自体を否定はしないのですが
そもそも、海外顕彰は会長の権力基盤との話もありますので、一般の学会員さんから見て、あまり一方的な内容は、かえってアンチ的な受け取られ方になりかねませんので。

私は常に、掲示板の情報は、偏りなく全体のバランスを重視していることを理解してください。

繰り返しますが、他の方が論及しているので、深入りする必要が今のところはない。と個人的に考えています。

それよりは、須田論文の普及こそ学会員へのインパクトがあるのではないでしょうか。
 

誰か私を呼んだ?様

 投稿者:誰か私に聞いた?  投稿日:2016年10月 7日(金)14時03分59秒
編集済
   「誰か私を呼んだ?」さんと、私「誰か私に聞いた?」はまったくの別人です。

 そうですね。紛らしいのも魔の特色ですので、いい名だとは思ったのですが、ご迷惑をかけてはいけませんので、今回限りで「誰か私に聞いた?」は退出します。また、別名で出てくるかもしれません(かもです)が。
 大丈夫です。「文は人なり」ですから、すぐわかります。

 それと、信濃町の人びとさん、いまの立ち位置、いいですね。安心して居られます。今後ともよろしくお願い致します。


 

柳原ダメヲくん、私がハタチですww 一連の流れを確認してみようw

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年10月 7日(金)13時55分50秒
編集済
  カンピースさんと同じくハタチなんだってww

ところで、生涯広布さん

指示って、宮田氏がSGIの広報からって白状してますね~

で、宮田氏の日蓮本仏論否定って、論文の執筆時期をみると2009年ごろから始まっているのですね~

フランスのカルト問題で、秋谷、法匪八尋が暗躍していたのが
2008年の2月

勝手にフランスへ出張していて
裁判の対応していたね~

秋谷は2006年の秋に会長を降ろされて

2007年の3月に本部幹部会や聖教誌上にて反省を述べていた

2007年の夏、54年問題について
最高幹部の総括、秋谷の名前も当然あった

池田先生は2008年には秋谷を罵倒

2009年にも
昨年、お前は私を棚上げにしようとした
学会から金を取ろうとした
と厳しく断罪

教学部レポートによれば
教義変更は数年前から準備されていたと記されている

一連の流れをみると誰がSGIを乗っ取ろうとして
宮田を使おうとしていた流れがみえてくるのではないかしら

 

会長は会員と同格

 投稿者:南米訪問団  投稿日:2016年10月 7日(金)13時54分18秒
編集済
  だれがが会長になっても同じ
池田先生みたいにはいかない
これが会員の共通の思いだと思う

だからこそ、池田先生は別格である
だからこそ、会長は会員と同格である

会員と同格の会長の給料、飛行機代、ホテル代を会員に知らせない
公表するべきとコメントすると必ず池田先生もしていなかったと反論する輩がいる

彼等は会長=池田先生という図式から脱皮できないようである
そういう図式を持つ人間は職員ぐらいしかいないように思う
ということは、反論している人達の多くは、職員ではないかという事になる
宿板の論客の指摘が常々指摘している通りのようである

会員は
会長=池田先生という図式からとっくに脱皮している

南米訪問団は、その大きなきっかけになったと思う
現地メンバーより前にしゃしゃり出て、原田会長、笠貫女史がはしゃいで撮っている写真は、池田先生、奥様の行動と比べあまりに違和感があった
これが「直弟子?」「これが代理?」
そして、「代理受賞」しても、先生に会われていないと言う事実

彼等が南米訪問に行ったのは、8.23日
最近、先生に会ったのは?の質問に
夏の研修との答

南米訪問から帰国して、「代理受賞」の報告を直接お会いしてしていないことは明らかではないか?
そこにも大きな違和感を感じる

代理受賞させて頂いたのだから、真っ先に先生の元に報告に行くのが、当たり前ではないか?
この事に信濃町の面々は違和感を持たないのだろうか?

先生も信濃町
原田会長も信濃町
いつでもお会いし、報告出来るはずである

自分にとって、南米訪問団の違和感は大きい
改めて、原田会長と先生は違う
会長は会員と同格であるということを再認識した記事である

そして、ならば、給料、飛行機代、ホテル代公表するべきではないか?
という思いを持つようになった

会員の財務で生活する職員は聖職者である
会長は会員と同格
寧ろ浄財で生活している職員は会員の下僕
会員の求めに応じて必要な情報、速やかに公表するのは、当たり前
自分はそう思う

間違っていると思う方がいらしたら、どうぞ反論して下さい

納得行く反論、お待ちしています

宿板を「ハタチ派」とレッテル張りするのは、一般会員にこれ以上、宿板が拡散しないようにする為なのだろう

しかし、宿板見て、「まさか!そこまで堕落しているのか?」
と疑惑の思いで読んでいた事がことごとく真実なので、宿板を信用する人が増えてきているのではないか?

これ以上、会員に拡散させたくないなら、防ぐ方法はただ一つ
宿板の指摘を諫言ととらえ、素直に聞いて、是正していくこと

そうすれば
原田執行部も頑張っていると好意的に受け止めて貰えたでしょう

策士、策に溺れるようなやり方は不信を増大するだけではないだろうか?




 

普通にわかることですよ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年10月 7日(金)13時39分18秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/57733
信濃町の人々 様   投稿者:誰か私を呼んだ?   投稿日:2016年10月 7日(金)12時44分16秒

>「誰か私に聞いた?」様とは、まったくの別人であり<

僕でも「別人」とわかるぐらいのものを、信濃町の人びとさんが気づいてないわけもないでしょうね
成りすましてるのは「撹乱したい人」でしょうけど

やればやるほど4人組へ「違和感」を増大させるだけでしかないことですが

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

2008/1/29各部合同協議会

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年10月 7日(金)13時34分29秒
編集済
  下記は2008年1月29日各部合同協議会での先生の御指導からの一部抜粋です。(本部職員と外郭職員の全体会議。現在の各部代表者会議)


『わが組織に 心血を注げ』

「戸田先生は、「戸田の命よりも大事な学会の組織」と叫ばれた。

これが、世界の大偉人である戸田先生の遺言である。

本当ならば、日本が大宣揚すべき戸田先生であり、牧口先生である。浅はかな為政者などに分か

るはずもない。

この両先生が命をかけて築かれた学会伝統の組織である。そのなかで戦うこと以上の誉れも喜び

もないのだ。

皆の組織である。ゆえに、一人の人間の独裁など許してはいけない。

また、どんな小さな組織であっても、自分に与えられた組織を、きちっと固め、本当に真剣に発

展させていく。

どんな小さな立場であっても、自らの使命を自覚し、真心で励まし、人材を育てていく。

一人一人を大事にし、スクラムを拡大していく。

その地道な、人目に付かない奮闘のなかにこそ、異体同心の団結が生まれる。

会合で偉そうにしゃべって拍手を浴びている。そんなことは、大したことではない。

組織という"血肉"を大事にして、そこに心血を注いでいけば、そこから新しい人材が生まれ、育

っていくのだ。

組織が育つと、人材が育つ。人材が増える。

人材が増えれば、さらに、組織は強くなり、大きくなる。

まさに、組織と人材は、表裏一体である。

組織がなければ、皆、バラバラ。皆、不幸だ。

だからこそ、皆で一体となり、団結して、平和と幸福の土台である学会の組織を守り育ててい

く。それが広宣流布である。

学会は、世界一の仏法流布の団体である。一生成仏を成し遂げる団体である。

この組織を壊す罪はあまりに大きい。

《中略》

「文筆の力は大きい。いかなる時代も、文筆の力は絶対に必要である」これも戸田先生の重要な

指導だ。

永遠に変えてはならない、聖教新聞の魂こそ「広宣流布」である。

広宣流布は言論戦である。特にリーダーの皆は、「口」を使ってどんどん語り、「手」を使って

どんどん書くのだ。

学会の悪口を言われて黙っているような、意気地なしの男子部ではダメだ。女性もまた、毅然と

戦っていただきたい。

悪と戦わなければ、皆が混乱してしまうのだ。"臆病者"が指導者になれば、その組織は必ず

「魔」に負ける。「魔」の働きは強い。

一の暴論には、十の正論で反撃する。真実を叫びきる。この戦う言論の魂を、断じて忘れてはな

らない。黙っていてはいけない。

私は、学会を誹謗中傷する悪質なマスコミがあれば、遠くへでも、一人ででも抗議に行った。

「事実と遅います」「ここが違う」「ここも違う」「書き直してください」「謝罪してくださ

い」と、誠実に、勇気をもって抗議し、対話した。

そうやって一つ一つを積み重ねて、現在の学会をつくってきた。

特に、最高幹部は戦わねばならない。「意気地なし」は「ずるい」のであり、「卑怯」だ。卑怯

は結局「敗北」となり、「裏切り」となる。

日蓮大聖人は、「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば

世雄と号し王をば自在となづけたり」(御書1165頁)と明快に仰せである。

学会は、この御文の通りに勝負し、そして勝ってきた。

広宣流布のために、牧口先生は獄死された。戸田先生は2年間の獄中闘争。私は反逆者らの陰謀

で、会長辞任を余儀なくされた。そうしたなかで、矢面に立って戦うべき立場にいながら、ずる

賢く立ち回った者もいた。

学会の正義は、牧口先生、戸田先生の魂を継いだ私にあると、後世のために申し上げておきた

い。

※2008/1/29 各部合同協議会御指導より抜粋。
 

またまたそうきたか~(笑)

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年10月 7日(金)13時19分36秒
編集済
  今日の柳原駄目雄コラム日記。もとい柳原滋雄コラム日記(笑)

今日も相変わらずの信濃町界隈の偏向・誤認情報を元に憶測、推測、伝聞、風聞の類のオンパレ

ード。

お題は「日蓮正宗批判サイトを学会幹部批判サイトに変えてしまった波田地一味」

となんとしても「宿坊の掲示板」は波田地氏絡み。投稿者も全て波田地氏関係者と一括りにした

い信濃町界隈の思惑そのもの。

やはり柳原氏は公平なジャーナリストではなくクライアントに忠実。信濃町の意向を受けろくに

取材もせず、確認作業もしない不公平な御用ジャーナリストという事で決定でしょう。

食うためとはいえ何と不甲斐無いことか。

「 また同人らの「私は池田先生を批判していない」「学会を批判しているわけではない」「学会内の悪い一部の幹部を批判しているだけだ」などとする主張も、過去の反逆者と共通する論理にすぎない。」(柳原滋雄コラム日記 2016/10/7より抜粋引用)

と言っているが、過去の反逆者は明らかに先生を批判し集中攻撃、そして組織を攻撃していた。

その様な連中は逆に悪い幹部職員の事は批判、攻撃していない。

柳原氏は何を根拠にこの様な事を断言しているのか?こんな事は調べればすぐ解かる事。これも

意図的に過去の退転・反逆者と同等にしようとしている信濃町界隈の思惑そのもの。

「かつて脱会した者たちも、戸田会長に反逆しているわけではない、後継のいまの体制を批判しているだけだと主張するような者がいた。だがそうした行動をとることで、「戸田の命よりも大事な創価学会の組織」といわれた教団の組織を、攪乱している実態に気づかない、あるいは敢えて見ないフリをしている点も共通している。」(柳原滋雄コラム日記 2016/10/7より抜粋引用)

これも意図的。特に金科玉条の様に引用する文証が戸田先生の有名な御指導。

これはあくまで私見になるが、この戸田先生の「戸田の命よりも大事な学会の組織」という意味

は教条的に組織と言う器の事のみを仰られているのではないと思います。

そこに先生と学会員さんという存在。すなわち「人間」という存在があり、信仰を根本にした広

宣流布への大感情を持った一人一人が集った「血の通った組織」が大前提に。それが「戸田の命

よりも大事な学会の組織」「広宣流布の組織」ではないかと考えます。

それを一部の幹部職員イコール執行部・最高幹部を批判したら即組織批判・学会批判にしている

信濃町界隈の一方的、作為的な論理であり、それは無理やり世界の大偉人である戸田先生の遺言

を勝手に悪用しているのと同然であると考えます。

代弁している柳原氏も同罪。

「「宿坊」ではさまざまな名前で投稿がなされる。その中には一人で多くの名前を使いまわす者もいる。波田地の場合は、その投稿内容と同人の人格などがにじみ出ていると思われる文体から、「八尋みのる」「カンピース」などが同人の投稿と見られている。」
(柳原滋雄コラム日記 2016/10/7より抜粋引用)

これも波田地氏に絡めて何の根拠もなくお得意のジャーナリストにあるまじき憶測、推測、決め

付けの戯言。

弓谷君あたりの情報を真に受けない方が良いですよ。とご忠告しておきます。



 

ジョーカー様

 投稿者:五分の魂  投稿日:2016年10月 7日(金)13時15分26秒
  全面的に同意します。
私としては、温かいか冷たいかという感覚です。池田先生が命を削って会員一人一人の激励を重ね、温かな学会組織を築き上げて下さいました。私一人だけでも、どれほどの激励を頂いたことか数知れません。
だから今の学会があるのです。「破壊は一瞬、建設は死闘」であります。
今は、上から冷気が下へ向かって降りてきているような気がします。まだ現場には温かさが残っています。しかしこの冷気が降り続けば皆は温かさを求めて他所へ行こうとするでしょう。水は流れやすい所へ流れるのが自然の摂理。今の流れを大きく変えるには大将が必要なのに、主なメンバーは気がつけば皆どこかへ消えてしまった。何処かに潜んで時が来るのを待っているものと信じたいです。
 

平成の日精

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月 7日(金)13時13分32秒
  ぐりぐり様と正義の走者様

ありがとうございます・・そういう、歴史があった。

この宿坊で教えていただく琴は多い・・

すごいの一言・・チョキチョキ

有難し、有難し・・恐々謹言
 

聖教新聞の衰退

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月 7日(金)12時59分46秒
  衰退するのは当然だ。

一騎当千の活動家を査問し処分。
処分された会員は、各地域の広宣流布をけん引するリーダです。
戦うリーダーを失った組織が、どうなるかは目に見えている。

安保法制でも会員を粛清。
時流に流される事を会員に強要した時点で、開拓精神は失われる。
聖教新聞に書かれている内容と、公明党を支援する自語相違の姿を、世間が信用するわけがない。

なによりも会則改定により、池田先生の信心とズレが生じた。
有能な聖教啓蒙者を原田執行部が自ら潰し、愚民政策により信心を弱めた報いです。

そして内容劣化の原因は社員にある。
権力に屈しない、有能な記者を更迭し移動。
社内は、権力に迎合する者しか残らない。
権力に迎合する者が書く記事が心を打つわけがない。

聖教新聞から、広宣流布への熱を感じない。
破邪顕正の熱を感じないのです。
それは2010年5月以前の聖教新聞と比較すれば一目瞭然です。

更に衰退は止まらない。
それは財務の減退にも比例する。



 

宮田氏の主張・

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月 7日(金)12時53分16秒
編集済
  須田論文で徹底的に指摘してありますので、私なんかの出る幕ではありませんが・・

タメの批判をする人がいますので・・私なりに違和感部分を少しだけ・・

「SGI各国のHPの教義紹介の差異について」より・・

(私は新潟短期大学に在職していたころ、東洋哲学研究所の研究員を兼務しており、SGIの広報から、東洋哲学研究所に、
海外のSGI会員向けに、コンパクトな教義書を発行したいという趣旨の協力依頼があったので、何人かの研究員とともに、
教学部のメンバーなどと一緒に『創価学会の理念と歴史』の作成準備に関わったことがある。

『創価学会の理念と歴史』の作成において、他に留意すべき点として、海外において日蓮本仏論を強調することは、
SGIが仏教団体ではなく、仏教から派生した異端のカルト団体とみなされる可能性があるから、
その表現に注意してほしいということであった。 )

アドバイス・・指示があったんでしょう。でも誰が・・? 此処は興味あるところです・・

(日本国内においては、日蓮正宗は700年の歴史があり、日蓮本仏論を主張してもカルト団体とは社会的に認定されないが、
世界の仏教全体の中で、釈尊以外の歴史上の人物を釈尊より上位の仏として主張することは、他の仏教宗派から、
さらには諸外国の仏教諸派が加盟する仏教協会からは仏教的主張とは見なされず、
そのことが社会的にSGIを非仏教団体と認定する根拠となるだろう。)


(大日如来や阿弥陀如来は歴史上の仏ではないから、それらを本仏とする仏教宗派はさほど問題されることもなく、
またダライ・ラマが観音菩薩の化身であるという信仰は、まだ釈尊より下位の菩薩であるから許容範囲である。
しかし日蓮は歴史上の人物であり、日蓮本仏論はその日蓮を釈尊より上位の仏として主張することであるから、
海外のSGIの運動をカルト批判という脅威にさらす可能性がある。)

日本国内で、日蓮大聖人を御本仏としている(理解している)・聞いたことがあるとする人の割合は、

日本の人口割合から行くと、現在、最大で約5~10%・・?

戸田先生が戦後一人立たれ、広布拡大をされ始めた初期、その割合は・・・

1000人/8000万人?=0.0000125となり、0.00125%・・

大聖人の立宗宣言時は一人/約500万人?=五百万分の一

から、現在、3代師匠の死を賭して戦いで5~10%までになりました・・

何を言わんとするか、お分かりですよね・・

(もちろん日蓮本仏論が日蓮自身の重要な主張であるならば、弾圧覚悟でその主張を維持することが、宗教的使命であると思うが、
日蓮自身の真蹟遺文や信頼できる直弟子写本にも、そのような思想の形跡が見られないのであれば、
そのような後代に派生したと思われる教義のために弾圧を受けるのは、世界広宣流布のためには障害にしかならない。)

大聖人ご自身、末法の御本仏(久遠仏)と宣言されている。(須田論文参照)

正しい法を広める時、必ず大難があるとは大聖人。

大聖人様も立宗宣言以降、難との闘争の生涯。学会・創価三代の歴史も難との戦いの連続である。

弟子ならば、師弟不二の道を行くのであれば・・たとえ師匠が地獄に行かれても・・その道を行くしかない。

「SGI各国のHPの教義紹介の差異について」の中で紹介されているものは、

日本で作られているSGI InternationalのHPで紹介されているものだけですね・・

もっと他の国もの、ドイツ語圏、英語圏の国ものだけでもどういう差異があるのか示す必要がありました。

実際には各国HPでは、教義に関してはこのSGI internationalの教義ページにリンクさせており。

独自の教義紹介・展開は今の所、私が見たところないのですが・・

しかし、最初の指示の部分が気になります・・


生涯広布 ペンギン

http://

 

正義の走者さんの続きです。

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年10月 7日(金)12時50分4秒
編集済
  ※正義さん、横からすみません。汗

■■【宮田は平成の日精について①】■■
平成の日精  投稿者:正義の走者  投稿日:2016年10月 6日(木)22時49分19秒
宮田はどう見ても日精ですね。
釈迦本仏主義といい、曼荼羅一応本尊観といい、日精以外に例えようがない。

富士流をも一応認めながらも、本音には「造仏読誦」主義だった日精と、
日蓮本仏を真正面から否定せずに、釈迦本尊主義をやんわりと入れ込んでくるそのやり口もよく似ている。

京都から来て、富士の影響を受けた左京日教とは逆で、
京都から来て、富士に京風を持ち込んだ日精こそ、
宮田に譬えるに相応しい。

宮田論文は正に平成の随宜論。

日寛の末法相応抄は表向き日辰批判だが、本当の的は日精の邪義。
これに例せば、宮田を表向きの的としながら、本部の姿勢を破折する須田論文は正に平成の末法相応抄。

■■【宮田は平成の日精について②】■■大仏のグリグリのとこ

大石寺十七世法主・日精(にっせい)は「京都・要法寺」出身で、十六世日就(にちじゅ)の弟子となり、
一六三三(元和九)年に徳島藩主の夫人が江戸・浅草に建立した法詔寺の住職となっています。

そして、あろうことか この日精、その寺になんと「釈尊の仏像」を造立したのです。

日精は一六三二(寛永九)年、法を継いで貫主になっていますが、
仏像を造立したことを批判する声が高まったのに対し、造立を正当化した「随宜論(ずいぎろん)」を書いています。

その中で、大聖人が仏像を造立しなかったのは、諸所を転々とされて居場所が定まらなかったためであり、
「日蓮の本意ではない」と主張して、釈迦像造立が堕地獄の因とするのはまちがいであると結論付けています。

大石寺第五十九世・堀日亨は

「要法寺からきた法主・日精に至って江戸に地盤を構えて末寺を増設し、教勢を拡張するに乗じて、
ついに造立読誦(仏像を造立し、法華経一部二十八品を読誦)を始めて、全く当時の要法寺流としてしまった」
(富要九)と述べています。

そもそも日興上人が身延を離山し富士方面に来たのは、身延の地頭が釈尊の仏像を本尊としたことにあります。
そして日興上人は、地頭を強く批判し、日蓮大聖人が図顕した曼荼羅本尊のみが「信仰の根本」であると主張しました。

つまり、釈尊の仏像を本尊とすることは「日蓮日興」に背く大謗法なのです。

まさに日興上人が危惧していた「仏法に相違して己義を構える」貫主が出現したのです。

しかし当時の宗門には、おかしいと批判する声はあがっても

「用いてはならない ! 謗法だ !」

と、貫主を強く呵責する信心のある者はいなかったのです。

その後、日精は信徒の有力者と仲違いをしたため、大石寺を捨てて江戸の末寺に移っています。
大石寺はそれから三年間、貫主が不在という異常な状態が続いたのです。

これによって大石寺は住職不在となり幕府の朱印(しゅいん)改めを受けられなくなったので廃絶されそうになりました。

そこで相承を受けていない貫主が誕生します。十八世・日盈(にちえい)と、十九世・日舜(にっしゅん)がそれです。
彼らは付嘱を受けないで「法主」の座に座った仮の貫主だったのです。

つまり、相承など受けなくても貫主が務まったということです。
富士門流を邪義によって濁らせたうえ、個人の感情から貫主の座を放棄し、

平気で大石寺を捨てて廃絶の危機を招くという「大謗法で無責任な法主」や、
付嘱のない形式的な法主など、信心のうえからはとても考えられないような「破法貫主・失格貫主」が宗門には何人も存在していたのです。

なお、末寺に造立された仏像は、一六八三(天和二)年に日精が死亡した後、
ようやく要法寺出身の二十二世・日俊(にっしゅん)・二十三世・日啓(にっけい)等によって撤廃されたようです。

それまで六十年近くもの間、末寺には仏像が祀られていたのです。

そのため、後に大石寺の僧侶が要法寺の仏像造立を批判したとき、逆に日精が仏像を造立した事実を指摘され、
バカにされたという情けないことも起こっています。

要法寺出身の貫主が九代続き、日蓮大聖人滅後四百年を過ぎたころの大石寺は、まさに法滅状態そのものでした。

そして、日蓮大聖人滅後四百三十七年、第二十六世・日寛が登場するのです。
 

信濃町の人々 様

 投稿者:誰か私を呼んだ?  投稿日:2016年10月 7日(金)12時44分16秒
  念のためですが、
私こと、
「誰か私を呼んだ?」(当板での固定ハンドル名)は、

「誰か私に聞いた?」様とは、まったくの別人であり、
また、「誰か私に聞いた?」様がどなたか、
まったく見当もつかず、存じあげません。
ただし、名前とか発想が似ているので、親近感がわきます。できれば直にお会いしたいくらいです。

以上、先の書き込みで、若干、混同されている(勝手に文字変換されている?)みたいでしたので、念のため申し上げます。

なお、私は、今、須田さんの渾身の論文を広めることが自分にできる唯一のことと考えて、リアル世界で一対一の対話を進めています。
 

【定期案内】教学部レポートをお読みください

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月 7日(金)12時00分26秒
  【教義変更の経緯・今の執行部の狂いの元を知る為に】

★☆詳しくはこちらから☆★
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56053

【参考】「教学部レポートとは」(英訳あり)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/53571
 

須田晴夫氏の論文について

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年10月 7日(金)11時34分11秒
  こちらにも収録済みです。
http://sgi-shiteifuni.com/?p=11702

★師弟不二ARCHIVE★
http://sgi-shiteifuni.com/

ご利用ください。
 

広宣流布の団結

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2016年10月 7日(金)11時14分34秒
  人間革命五巻より
「個々に対する指導こそ、人間主義の自然の発露である。広宣流布という未聞の大事業は、幾千万の人々の血の通った団結によって、はじめて達成できるからだ。」

:::::

組織に血が通っていなければ、それは、広宣流布の団結とは言えない。団結を叫ぶのであれば、リーダー(幹部)は、血の通った組織をつくらなければならない。血の通った組織とは、皆が言いたいことを自由に言える組織であり、幹部は当然、話を聴く姿勢があってこそ成り立つ。指導に関しても、一方的な指導は、指導ではない。そこには必ず、「納得性」がなければならない。

組織主義や官僚主義は、血の通っていない組織なので、その先に広宣流布はない。それは、団結以前のレベルの問題である。故に、本当に広宣流布を推進したいのであれば、組織主義や官僚主義を徹底的に排していく必要がある。それが誠意というものだ。それもせずに、いくら団結を訴えたところで、団結のしようがない。つまり、団結とは常に、リーダー(幹部)の姿勢が問われているのである。

広宣流布の一念に立つならば、組織主義、官僚主義は毒でしかないことがわかる。それを除かずに広宣流布の団結はない。皆が広宣流布の団結ができるように手を打つのがリーダーの責務であり、役割である。何も手を打たずに、一方的に団結せよというのは無慈悲であり、血が通っていない。それでは、「お前の血の色は何色だ!」状態なのである。

教義変更や安保法制の問題の根っこも、組織に血が通っていないところにある。問題の本質は、教義の内容や安保法制の賛否ではない。話を聴かないこと、一方的な姿勢そのものが問題なのだ。ここがわからないこと自体、血が通っていない証拠である。懸念や反対意見をもつ会員を邪険に扱い、腫物とし、組織から排除する。その先には広宣流布はないからこそ、おかしい(人間主義ではない)と訴えているわけです。

血の通った組織をいかにつくっていくかが、学会総体の課題である。一人を大切にとは、まさに血を通わせるということであり、だからこそ池田先生は、一人ひとりを激励された。その絆があるからこそ、今日の創価学会の発展があることを忘れてはならない。その反対が、54年の「時流には逆らえません」発言である。これほど血の通っていない台詞があるだろうか。

血の通っていない団結は、広宣流布そのものを破壊することにもなりかねない。時流には逆らえないという一念に団結したら大変だ。血の通っていない組織は、会員に違和感を抱かせる。違和感に鈍感になるのが組織信心であり、それは、人の心がわからなくなる危険性を有している。血の通っていない人間が、どんな残酷なことも為し得てしまうことは、歴史が証明していよう。

組織に血を通わせることを意識し、行動する中に、広宣流布の団結も生まれる。号令だけでは血が通っていないので、真の団結はない。ましてや、何かあるとすぐに、「団結を乱す魔」と決めつけることは、血が凍りついている。組織に血が通っていないこと自体が、団結を乱す魔であることに気づくことができるかどうか。今、ここが問われている。
 

太ちゃん、鋭い!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月 7日(金)11時12分33秒
  編集云々よりも記事の中身が劣化しているのではないか。長年聖教を読んで来た方々からみると、今の聖教は違和感がありすぎるのでしょう。

新聞が本来持つ社会的な使命と聖教新聞の誕生を確認すると、

~~~~~
『戸田先生が、私に、初めて新聞発刊の構想を語ってくださったのは、昭和二十五年(一九五〇年)の八月。先生の事業は行き詰まり、苦境の最中であった。
戸田先生は一身に非難の集中砲火を浴びていた。私は一人、師を支えた。そうしたなか、先生は、未来永遠の広宣流布の発展のために、何か手を打っておかねばならないと考えておられた。
事業の破綻が決定した二日後の八月二十四日――不思議にも私の入信記念日に、先生は、私にこう言われた。
「一つの新聞をもっているということは、じつに、すごい力をもつことだ。学会も、いつか、なるべく早い時期に新聞をもたなければいけない。大作、よく考えておいてくれ」と。
ここから、「聖教新聞」は始まった。私と戸田先生の、師弟の対話から生まれたのである。
また、その年の十二月。東京の新橋駅の近くの質素な大衆食堂で、戸田先生と二人で食事を取りながら、新聞発刊の具体的な話になった。
先生は「これからは言論の時代だ。断じて言論戦で、広宣流布を切り拓こう!」と強く言われた。
翌年(一九五一年)の二月には、こう言われた。
「いよいよ新聞を出そう。私が社長で、君は副社長になれ!」
先生は、いつも先頭であった。真の戦人であり、「広宣流布の闘士」であられた。
ともあれ、無責任な言論が横行する世の中である。当面論の暴力″とは断固、正義の論陣で戦わねばならない。当時も、今も、そして永遠に、変わらない。』

池田大作全集ス92)巻、第二回本部幹部会、第一回四国総会 (2001年1月29日)より

~~~~~

■アタイデ総裁「新聞は歴史の行進を先取り」

アタイデ総裁は、新聞の使命について、こう述べられた。
「新聞は毎日、また常に、民衆の光輝ある力のために、現在と未来の間に立って、歴史の行進を先取りする。そして世界の地平線へ、鋭きまなざしを広げていく」

商業主義でもない。自己満足のためでもない。新聞は「民衆の勝利」のためにある。このアタイデ総裁の言に照らせば、民衆を蔑視し、民衆の敵となる新聞など、新聞とは言えない。
学会は「民衆」の団体である。聖教新聞こそ、民衆の最高に「光輝ある力」を引き出す新聞である。「歴史の行進を先取り」した新聞である。
わが聖教新聞は、これからも、世界の第一級の良識と広く深く連帯しながら、さらに力強く、さわやかに、民衆の心、人類の心を動かしてまいりたい。
一波が二波、三波、そして万波となっていくように、新世紀へ、万年の未来へ、限りない希望の生命の波を送っていく。これが聖教新聞の使命である。

池田大作全集82巻、第六十五回本部幹部会、配達員大会、東京合同総会 (1993年4月20日)より

~~~~~

なのです。聖教新聞は学会員の信心を向上させるのは当然として、教学力を高め、折伏弘教や対話の原動力になり、さらに教養を高めていく、民衆の為の新聞でなければならないのです。

聖教新聞の記者や編集者はもう一度、聖教新聞の本来の使命を全うするべく努力を怠らないで欲しいのです。

池田先生が、師匠が見ていなければ何も出来ないなら、なんと情けない弟子なのでしょうか。聖教新聞の劣化も、やはり、関係者の信心の劣化によるもの、との指摘は的を鋭くえているのです。

***********************

http://6027.teacup.com/situation/bbs/57713
一般論として、聖教に限らず新聞の価値が下がっている現象がある。   投稿者:信濃町の人びと


確かに新聞業界は衰退しつつある世の中ですが。
一般紙は世相に大きく左右されます。
その「一般」はインターネットにシフトされてきてる傾向ですから。
「時代の流れ」に合わせてない一般紙では衰退はむしろ自然なことが起こってるといえます。

学会ではどうでしょう?
インターネットは敬遠気味が学会の世相に感じるのですが。
もちろん普通にインターネットをする人は多いでしょうけど、宗教話はリアルを重視してる人がほとんどに感じますが。
それでも聖教新聞の衰退。
これは聖教新聞が衰退してるというより、学会の信仰内容自体の衰退が聖教新聞に「影」として象徴されてるように見えます。
『体曲がれば影ななめなり』ですね。
学会が衰退してるから聖教新聞が衰退してる、そう映るんです。

しかし、そんな事態になってることがそもそも「おかしなこと」です。
執行部が池田先生の指導を忠実に行ってるのであれば、衰退どころか大興隆のはずです。
聖教新聞は池田先生の思想を伝える新聞ともいえますから。
他のメディアより伝えてきてるのが機関紙「聖教新聞」なのですから、一般紙とは全く別物なんですね。
本来であれば、一般紙の流れとはほとんど関係なく聖教新聞だけは大興隆のはずだったんです。

しかし、事実は会員に多大な負担をおっかぶせても赤字かどうか、という状態のようですよね。
 

曼荼羅一応本尊観

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月 7日(金)09時38分35秒
編集済
  正義の走者様

・・バサーと切っていただきましたね・・

「釈迦本仏主義といい、曼荼羅一応本尊観といい、日精以外に例えようがない。」

原田執行部の底辺では、同じ琴が行われているんでしょう__「池田先生一応師匠観」

各国の教学は独自にという琴はあり得ないので(それほどの教学力はない)、全て日本の教学が根本。

徐々に徐々に、海外の方からすり替えていこうとしているのでしょうか・・

そのうち、仏像・画像、他の曼荼羅を御本尊と一緒に飾ったり、部屋に飾ったりする・・

指導できる教学もなく、10~20年もすれば、実は釈迦が仏で大聖人はあくまで上行菩薩と・・

恐ろしい方向へ行くんでしょう・・これだけは防がないと・・断固として !

日本の劣化が世界で言われるようになって久しい。特に日本の大学の劣化はひどいと・・。

創価大学も ? さんを教授としているくらいだから、申し訳ないが相当劣化が激しいんでしょう・・



生涯広布 ペンギン

http://

 

確かに新聞業界は衰退しつつあるけど

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年10月 7日(金)09時17分32秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/57713
一般論として、聖教に限らず新聞の価値が下がっている現象がある。   投稿者:信濃町の人びと


確かに新聞業界は衰退しつつある世の中ですが。
一般紙は世相に大きく左右されます。
その「一般」はインターネットにシフトされてきてる傾向ですから。
「時代の流れ」に合わせてない一般紙では衰退はむしろ自然なことが起こってるといえます。

学会ではどうでしょう?
インターネットは敬遠気味が学会の世相に感じるのですが。
もちろん普通にインターネットをする人は多いでしょうけど、宗教話はリアルを重視してる人がほとんどに感じますが。
それでも聖教新聞の衰退。
これは聖教新聞が衰退してるというより、学会の信仰内容自体の衰退が聖教新聞に「影」として象徴されてるように見えます。
『体曲がれば影ななめなり』ですね。
学会が衰退してるから聖教新聞が衰退してる、そう映るんです。

しかし、そんな事態になってることがそもそも「おかしなこと」です。
執行部が池田先生の指導を忠実に行ってるのであれば、衰退どころか大興隆のはずです。
聖教新聞は池田先生の思想を伝える新聞ともいえますから。
他のメディアより伝えてきてるのが機関紙「聖教新聞」なのですから、一般紙とは全く別物なんですね。
本来であれば、一般紙の流れとはほとんど関係なく聖教新聞だけは大興隆のはずだったんです。

しかし、事実は会員に多大な負担をおっかぶせても赤字かどうか、という状態のようですよね。
そんな事態を招いているのは、結局のところ秋谷元会長からの「悪しき風習」が多大な影響を与えているとみえます。
原田会長の時代で「悪しき風習」をロコツに本格化させたことで、衰退を決定的にしてしまった。

また聖教新聞ならば、他にも「超問題児」の存在も無視できない。
本部に巣くう悪徳幹部、聖教にも巣くう悪徳幹部。
これで聖教新聞が衰退しないほうがむしろ不自然というもんです。

今でも覚えてるけど、かつてのC作戦の後の紙上座談会。
連日で名の知れた幹部たちによる宗門批判の紙上座談会があった。
そんなに口汚く不満と文句を連日で書き並べる罵るぐらいならば、なぜ池田先生を会長から引きずりおろしたのだ?
結局は宗門への不満と文句を聖教新聞の紙上座談会で連日で掲載することになる『与同』を最高幹部たちがやっていたことになるではないか。
それを、宗門に『責任転嫁』の丸投げし「私はなにも悪くありませ~ん!」としたのが連日の宗門非難記事になってたと見るのが自然。
『責任の隠蔽』というもんでしょそれ。

そう感じさせるのは、現在行われているH氏への『責任転嫁』と構図が同じであるから。
C作戦後のあの紙上座談会とやってることが同じに見えるのですよ。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

【須田論文と遠藤文書】

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月 7日(金)08時56分4秒
編集済
  >私は、どこまでも池田先生に殉ずる覚悟でおります。<

腹を決めた遠藤氏の正義の叫びだ!
創価権力を恐れず、池田先生を裏切らない弟子の姿がここにある。

その遠藤氏に対し「変わり者」とレッテルを貼り、教学部更迭・嘱託解雇をしたのが原田執行部だ。
絶対に許してはいけない、創価権力を利用した悪辣な行為です!

最高幹部である谷川氏の実態も、遠藤文書に表記されている。
酒の席での醜態。パワーハラスメント。
証言者もいるこの内容を疑う余地はない。

~~~~~~~~~~~~

【遠藤文書より】

■4.漏洩騒ぎ【注*01】の際には、調査委員会から、私のコンピューターと携帯電話が一方的に取り上げられました。
再三、不当性を訴えたにもかかわらず、今に至るまで返答がありません。
職員の就業規則に背く越権行為であると考えますがいかがでしょうか。
【注*01:教学部レポート(「大御本尊問題と会憲の問題点」)の流失を指す】

■5.そもそも、昨年9月以来、会議、打ち合わせ、尋問など全てが強権的、強圧的な雰囲気で行われてきました。
これは、明確なパワーハラスメントであると判断しております。
谷川総長自身も、昨年11 月、信原幸弘東大教授、菅野博史創大教授との酒席で、「宮地は軽い人格障害だ」と嘲笑する菅野氏に同調し、「あいつは生意気だから30分ばかし締め上げてやった」等と発言しています。
谷川総長にはパワーハラスメントをしている自覚があったのです。
必要とあらば、旧知の信原東大教授に証言していただくつもりです。
繰り返しになりますが、私たち教学部の行動は、大聖人の御指南にも、三代会長の御精神にも、些かも悖るものでないと確信しております。
誤りであると言われるなら、御書に照らして池田先生の御指導に照らして、どこが誤りであるか、指摘していただきたいと存じます。
「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」
私は、どこまでも池田先生に殉ずる覚悟でおります。

~~~~~~~~~~~~

【須田晴夫のホームページ】
「宮田論文への疑問――日蓮本仏論についての一考察」(論文のダウンロード可能)
http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2

須田晴夫氏の論文について
http://sgi-shiteifuni.com/?p=11702

【「創価学会会則 教義条項」の改正について 全国県長会議から 原田稔会長】
(2014年11月8日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1099

【「会則の教義条項改正に関する解説」(上)(下)創価学会教学部】
(2015年1月29・30日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1101

宮田氏の日本宗教学会での「釈迦本仏主義」への傾斜論理はこちらで確認できます。
https://www.youtube.com/watch?v=nInVBJ18F_0

日本宗教学会 第74回学術大会 創価大宮田幸一教授の講演内容抜粋
http://sgi-shiteifuni.com/?p=8030

【平成の日精】  投稿者:正義の走者
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57707
 

わが友に贈る 2016年10月7日

 投稿者:どうしょうてん  投稿日:2016年10月 7日(金)08時19分1秒
  一行でもいい。
御書を真剣に拝せば
智慧と勇気が湧く。
絶対の確信が生まれる。
幸の軌道を歩み抜け!
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年10月 7日(金)07時48分53秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2009-10-28 【新時代第34回本部幹部会 SGI総会】

■ 一、まず音楽隊の演奏に感謝したい。
 とても上手だった。
 皆さんは、時間をやりくりして、練習してこられた。私は、よく知っている。
 何と尊い努力か。本当に見事だった(大拍手)。
 〈スピーチの前に、会場で音楽隊の創価グロリア吹奏楽団が学会歌「人間革命の歌」「広布に走れ」を力強く演奏した〉
 音楽や歌のあるところは発展する。
 それが歴史の一つの鉄則である。
 学会は、その通りに進んでいる。
 音楽隊、ありがとう!(大拍手)

■ 冥益が根本
 一、伝統光る創立記念の「本部幹部会」、おめでとう、ありがとう!(大拍手)
 そして歴史に輝く「SGI(創価学会インタナショナル)総会」、本当におめでとう、ありがとう、ご苦労さま!(大拍手)
 六十カ国・地域の偉大な広宣流布の指導者の方々、ようこそお越しくださった!
 皆様は、遠く海外から仏法を求めて、ここに来られた。
 その功徳は大きいことを確信していただきたい。
 仏法の功徳は、「末法」においては「冥益」が中心である。
 今は、はっきり見えなくても、後になって出る。しかも、思いもよらないほどの大きな福徳に包まれる。

●それが仏法の法則である。
 一、創立の父・牧口常三郎先生は、すでに当時、宣言されていた。
 「大聖人の仏法は全世界に流布されるものである」と。
 そして恩師・戸田城聖先生も叫ばれた。
 「仏法の生命尊厳の法理と慈悲の精神こそ、人類を救済しゆく大哲学である。この創価の思想を全世界に弘めよ!」と。
 戸田先生は、何度も何度も、「真の生命尊厳の思想は、この仏法しかない。これを世界に弘めることは、何よりも偉大である」と述べておられた。
 その遺訓の通りに、私たちは、世界192力国・地域に妙法を弘めた。ありがとう!
 仏法史上、かつてない偉業である。
 すべては、皆さん方が弘めたのである。
 皆さん方の同志が弘めたのである。
 誰よりも、御本仏が、諸天善神が、十方の諸仏が、妙法を持《たも》ち弘める皆さん方に大喝采を贈っている。万雷の拍手を贈っている。これを忘れてはいけない。
 御書に、「日蓮が讃嘆申し上げることは、ものの数ではありません。“諸仏がおほめである”と法華経に説かれているのだから、まことに頼もしいことである」(御書1112㌻、通解)等と仰せの通りである。
 日蓮大聖人が御遺命され、恩師が夢見た世界広宣流布は、私たちが厳然と成し遂げたのである(大拍手)。
 どうか、いつまでも、いつまでも、生命力をたくましく、元気で、勝利、勝利の人生を送っていってください。
 人生に負け戦は必要ない。勝ちましょう!
 〈「ハイ!」と元気よく返事が〉
 お帰りになったら、
各国の大切な同志に、くれぐれもよろしくお伝えください。

●無事安穏を祈り合え!
 一、また、全同志の皆さん方の「健康」と「長寿」と「幸福」を、私も妻も毎日、真剣に祈っている。
 特に「100年に一度」といわれる、この不景気に、絶対に負けることなく勝利することを、強く祈っている。頑張ってください!
 全世界の一人一人の学会員が、無事安穏で、絶対の幸福に包まれて、大勝利の発展をしていくことを、皆で互いに祈り合っていきたいと思うが、どうだろうか。〈「ハイ!」と賛同の返事が〉
 ともあれ、絶対に敗北者を出してはならない。臆病や恩知らずになって、退転していくような人間だけは出してはいけない。
 途中で、どんなことがあっても、最後は必ず勝てるのが、変毒為薬の“妙法蓮華”なのである。
 今は、どんなに苦しくとも、どんな病気でも、どんなにいじめられていても、最後は必ず勝てる。絶対に勝利者になる。
 これが仏法だ。これが信心だ。
 反対に、いじめた人間、悪鬼、魔民は、最後は全部、滅びる。
 これが、“仏法は勝負”の現証である。
 ゆえに頑張るのだ。素晴らしい人生を生きよう!

●女子部国際部からの報告
 一、第一線で真剣に戦う人を大切にすることだ。そうした方々の中にこそ真実があり、正義がある。
 それをまっすぐに、正しく見て、その声を真摯に聴き、すばやく対応していくのが、仏法の指導者の役目である。
 牧口先生は、“上が偉いのではない。下が偉くなっていくために、上がいるんだ”と教えられたが、本当にその通りである。
 先日、女子部の国際部の方から報告があった。
 一人の女子部の友からの報告にも、偉大な指導が含まれている場合がある。役職とか肩書だけで見ていたら、大事なことを見逃してしまうものだ。
 この女子部の国際部の方の報告によると、「わが地域でも壮年部が奮闘しています。ぜひ、先生から、この箴言をお伝えください」とのことであった。
 それは、インドの非暴力の大英雄マハトマ・ガンジーの言葉であった。
 「男らしさとは、戦うことにある。戦いが、我らを作り上げてくれる。だから、恐れずに戦い続けるのだ。くじけるな。たとえ死力を尽くして戦った結果、倒れることがあっても、少しも落胆するな。再び立ち上がり、戦いを開始するのだ」
 私は、この言葉を探してくれた女子部の友の真心に感動した。また本当によく勉強しておられると感嘆した。
 また、ガンジーの言葉にこうある。
 「私たちは皆、恐れなき心、誠実さ、不屈の精神、正義感、正直さ、確固たる目的観という徳を高めて、国のために尽くすことができる。これこそ、真の宗教のあり方である」 まさに“良き市民”として、社会のため、国土のために貢献する、わがSGIにこそ、真実の宗教の姿があるのだ。
 さらにガンジーの言葉である。
 「逆境から学ぶべき教訓をつかむのだ。そうすれば、逆境は無意味にはならない。
 私たちは、この試練を経て、より豊かな社会的価値と、より強い正義感を持つ民衆として立ち上がることができるのだ」
 何の苦難もなく、ただ笑って、楽しんでばかり。そこから得られるものなど、大したものはない。逆境こそが人間を偉大にするのだ。
 我ら壮年部も、あらゆる試練をバネとして、今再び、立ち上がろうではないか!(大拍手)

●下から支えるリーダーたれ
 一、先日、アメリカの友から報告が寄せられた。
 それは、私と対談を行ったアメリカ実践哲学協会のマリノフ会長が、次のように語っておられたというものであった。
 「リーダーには、二つのタイプがあります。一つは、ピラミッドの頂点に立つ存在です。
 そしてもう一つは、逆の形をしたピラミッドの底辺に立ち、民衆を下から支える存在です。支配するのではなく、奉仕しながら、人々の精神を高めていくのです」
 〈マリノフ会長は、こうも述べている。
 「池田SGI会長は、すべての人々を高めようと、下から支えておられます。創価学会の発展と繁栄の秘けつは、この一点にあると、私は見ております」〉
 世界の知性の目は鋭い。
 学会のリーダーは、どこまでも広布の同志を支え、同志に尽くしていく存在である。リーダーが一人一人を本当に大切にすれば、世界広布の前進は、もっと勢いを増していくことができる。
 皆様は、どうか、この一点を深く心に刻んでいただきたい。

●誠実に、真剣に
 一、日蓮大聖人は、「撰時抄」で弟子一同に対して仰せである。
 「法華経の通り身命も惜しまず修行し、このたび仏法を試みなさい」(御書291㌻、通解)
 大聖人の門下には、長年にわたって信心してきた人も多くいた。しかし打ち続く大難の中で、疑いを起こして退転する弟子も出た。
 仏法の真髄は、あまりに深い。妙法の功力は、あまりに大きい。
 ゆえに、わが門下よ、断じて退いてはならない。妙法流布に生き抜くならば、必ず最高の幸福境涯を築くことができる──。
 御書には、御本仏の大確信が脈打っている。
 リーダーは惰性を排し、どこまでも誠実に、真剣に、広布のため、同志のために行動し抜くことだ。
 増上慢になり、油断し、横着になれば、自分が損をする。大福運を逃《のが》してしまう。特に、役職が上になり、自分が偉くなったように錯覚し、会員を下に見て、威張るようなことがあれば大変だ。
 これまでも、そうやって堕落し、ついには退転していった人間がいたのは、皆様がご存じの通りだ。
 今こそ、全リーダーが初心に立ちかえって、命を惜しまず、労苦をいとわず、思う存分、戦うことだ。
 題目を唱え抜いて、悔いなく戦いきることだ。
 必ず、永遠の成仏という大果報を勝ち取っていくことができる。
 創立80周年は、皆が大功徳を開く時なのである(大拍手)。

●全て意味がある
 一、大聖人は、大病と闘う南条時光に対して述べておられる。
 「(あなたは)上下万人から諫められたり、脅されたりしながらも、ついに信仰を捨てる心がなく、もはや成仏しそうになったので、天魔・外道が病気にさせて脅そうとしているのであろう。命にはかぎりがあるものだから、少しも驚いてはならない」(同1587㌻、通解)
 病気には深い意味がある。信心を試されているのである。ゆえに、諸天善神が護らないわけがない。
 勇気ある信心を奮い起こして、断固として祈り抜き、病魔に打ち勝つことだ。何かあっても、大聖人は厳然と見守ってくださっている。
 そのことを深く確信していただきたい(大拍手)。

■ 一、烈風の社会の中で、創価の同志の皆さんは、人類の希望の道を開くため、ただひたむきに、真剣に、戦ってくださっている。
 広宣流布の大将軍として指揮を執る者は、懸命な同志に応えて、その何倍も戦わなければいけない。このことを、よく覚えておいていただきたい。的確に、迅速に、あらゆる手を打つのだ。
 戸田先生の指導が、わが胸に響いている。
 「学会の青年部は、意気地なしでは絶対にだめである。“自分には力がある。闘争には負けないぞ”と頑張るのだ。
 一人一人が学会精神を受け継いで、本物の人材と育て!」
 皆、頼むよ!
 思うにまかせぬ現実にぶつかることもあるだろう。そのなかで、建設的な声をあげる。堂々と信条を述べる。そして立派な人、真面目な人を尊敬し、威張る者とは、断固戦う。
それでこそ青年だ。
 年をとって自分勝手になる人もいる。立場が上になり、注意や指導をしてくれる人がいなくなって、堕落する場合もある。リーダーは人一倍、自己を律しなければならない。

●生きて生き抜く
 一、戸田先生は、あえて厳しく言われた。
 「闘争に負けるようでは、創価学会の青年部ではない。広宣流布は、よほどの信心と勇気と智慧がなければ遂行できない大事業なのだ」
 私も、戸田先生のもとで徹底的に鍛えられた。“先生が広布の戦《いくさ》を進めやすいように”と終始考え、万般にわたって、人知れず準備を重ねた。
 先生は、弟子のそうした努力を、すべて、ご存じであられた。しかし、大てい、知らないふりをして、黙って見守っておられた。あの厳愛の鍛錬ありて、今の私がある。

●「皆が幸福になるように」
 一、私は毎日、御祈念している。学会員の皆さんに事故がないように。皆、幸福になるように。広宣流布のために、楽しく戦えるように──。
 その心と行動が、これからのリーダーにあるかどうかだ。嵐に負けない常勝の指揮は、小手先の“策”とは、天地雲泥なのである。
 なぜ、このように申し上げるのか。私も80代である。いよいよ、これからが本当の総仕上げだ。
 今、広宣流布の舞台は大きく開かれてきた。未来のために、世界中に堂々たる基盤が築かれた。
 万代にわたる勝利は、すべて後継の皆さんにかかっている。
 この世界には、想像を超えた、卑劣な人間や、傲慢な人間もいる。そういう者たちに、将来、大切な同志が、騙されたり、威張られたりしたら、あまりにもかわいそうだ。そうならないために今、言っておくのである。
 私は今、未来の展望を真剣に考えている。
 広布の戦は長い。難は必定だ。それを乗り越え、勝利しゆく民衆こそ王者だ。
 勝利の手柄は、その栄光は、ほかの誰でもない、同志の皆さんに輝く。これを、きょうは宣言しておきたい。

●師弟不二の仏法
 一、どこまでも師弟不二の仏法である。
 思えば、戦時中、軍国主義の時流と戦い、戸田先生は、師匠・牧口先生とともに、牢獄に入られた。
 のちに戸田先生は、牧口先生を偲んで、「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」と感謝された。
 これが弟子である。
 この戸田先生の心を、私は、よく知っている。
 私自身、どれだけ、先生に尽くしたか。何一つ、悔いはない。最後に先生は、「大作、ありがとう。大作、ありがとう」と言つてくださった。
 師弟不二とは、こういうものである。

●座談会が大事
 一、戸田先生は叫ばれた。
 「広宣流布は私かやる!──この大確信で折伏をするのだ。自分が行ったところで自分の力を示すのだ」
 この意気で、来年も戦おう!
 真面目な女子部の皆さんは、むしろ、ゆったりとした気持ちで進んでいただきたい。婦人部は、すでに走っている。今、心新たに立ち上がるべきは、男子部であり、壮年部であり、幹部であろう。
 「広宣流布は私かやる!」──この魂を失えば、もはやリーダーの資格はない。
 苦労を避けようとして、自分のことしか考えない。それでは、信心の本当の喜びを味わうことはできない。
 自覚した一人一人が、わが師のために立ち上がるのだ。そうやって、広布の大道は開かれてきた。
 今、集い合った皆さんこそが、新しい勝利の指導者なのだ。
 「大きい会合に出れば、心は躍動するが、それだけではいけない。小単位の座談会こそ、真の指導の根本である」
 これも、重要な戸田先生の教えである。座談会を最も重視して進むのだ。
 また、婦人部、女子部に対し、戸田先生は次のように示された。
 「これからの女性は、明るく、はつらつと、周囲へ、地域へ自分自身を開いていかなくてはなりません」
 草加の尊き婦人部に最敬礼するとともに、「女子部の池田華陽会万歳!」と申し上げたい(大拍手)。

■ 一、次の御聖訓は、戦時中の弾圧の際、当局に押収された戸田先生の御書に、先生が線を引いておられた一節である。
 「日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富《とめ》る者なり」(御書988㌻)
 この御境涯に連なる永遠の福徳の大長者こそ、創価の友なのである。
 戸田先生がお好きであられた『巌窟王』や『三銃士』などで有名なフランスの文豪デュマの小説に、こうある。
 「いつも勇敢に振る舞うと、どれほど威厳が出てくるか、よく目にとめておくがいい」(鈴水力衛訳『ダルタニャン物語第4巻』ブッキング)
 “臆病は恥なり”との快男児の心意気を示した一言である。
 威厳とは、人徳であり、生命の力であり、勝利のための力でもあろう。きょう集い合った男子部の諸君の中からも、必ずやこの力が出てくると私は思う。
 さらにデュマの言。 「裏切ったという永遠の恥辱はかれらの上に落ちるのだ」(同)
 その通りだ。ましてや仏法の因果は厳しい。自らの信念を裏切り、同志の信望を裏切ったた人間の末路は哀れだ。皆様がよく知っている通りである。
 戸田先生はおっしゃった。
 「戦っているような格好をしていても、戦っていない人間は、すぐわかる。10人前の信心の戦いをせよ」
 大きな責任を担う幹部への戒めとして、心すべき指導である。

■ 一、戸田先生は、こう鋭く言われた。
 「難が来たら喜ぶのだ。その時が、信心の踏ん張りどころであり、チャンスであるからだ。
 その嵐を乗り越えれば、永遠にわたる大福運をつかむことができるのだ」
 信念の人は最後に光る。驕れる者は久しからず──これが歴史の教訓である。
 ドイツの詩人ヘルダーリンは、栄枯盛衰を見つめて叫ぶ。
 「おお怠るな! いましめ 罰をくだし 勝利をかちえよ!」(川村二郎訳「敢為の霊に」、『ヘルダーリン全集1』所収、河出書房新社)
 真実と偽りは、最後には明らかになると詩人はうたう。真実に生き抜かなければ、損をする。結局、苦しむだけである。

■ きょうは長時間、本当にありがとう! ご苦労さま!
 もうひと踏ん張り、本年を戦いきって、来年も勝利しよう!
 楽しく生きよう!
 〈ここでSGI会長の導師で、全員で題目を唱えた〉
 ご苦労さまでした。ありがとう! お元気で!
 海外の皆様も、遠いところ、本当にご苦労さまです。これから広布の法城も、一段と整備していく。学会は隆々と発展している。世界広布の開拓者である皆様のお名前は、永遠に輝きわたります。
 お体をお大事に!
 奥様によろしく!
 お父様によろしく!
 ご家族の皆様に、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
 健康第一で!
 よく睡眠をとることです。無理をしすぎて、寝不足になってはいけない。仏法は道理である。皆さんが健康であることを、仏は一番、喜ばれるのです。
 〈ここでブラジル青年部の代表が「私たちに広宣流布をおまかせください。私たちは戦ってまいります。誓願を果たしてまいります!」と力強く決意を述べた〉
 偉い! うれしい!
 素晴らしい決意、ありがとう! ありがとう! ありがとう!(大拍手)

 

信濃町さま

 投稿者:正義の走者  投稿日:2016年10月 7日(金)07時43分11秒
  ご理解ありがとうございます。

横から失礼致しました。

実は私も宗門史は余り詳しくは無いのですが、日精問題については、以前ある方から教わりました。

という訳で、左京日教については、他所から来て極端な法主信仰を確立させたという点で、もし譬えるなら福島源次郎というところでしょうか。
 

聖教のおわび記事に関して

 投稿者:-Q-  投稿日:2016年10月 7日(金)07時40分17秒
編集済
  虹と創価家族さんの情報(#57709)によれば、記事に登場する婦人部員と件のライター氏とは、何らかの縁戚関係にある可能性もありますが、仮にそうだとしても、現在、当の婦人部員が模範的会員として実在していて、体験談そのものが真実であるのなら何の問題も生じないはずです。

まったくの虚構として記事をでっち上げる意味があるとも思えないので、依然として疑問は尽きませんね。

リンク先のブログには、嵐慧子さんの母親についての記述もありますが、当該本を読めば「嵐桜」の伐採理由が判明するのかもしれません。北海道以外では、国会図書館にしか置いていないような本なのが残念です。もう少し詳しく本の内容を紹介してくれる方がいればありがたいのですが。


 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、責任役員会でなに話されたんですか~?

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月 7日(金)07時00分29秒
  昨日の論客諸兄の論を待つまでもなく、劣化激しい政教珍聞。

ちなみに本日は8面が一面広告、10面11面が一般紙面。(笑)

創価学園で記念集会は結構な事デス。ただ、先生のメッセージは2面でなく1面にするべきでしょう。

どうやら学園関係の記事では「池田名誉会長」それ以外では「池田SGI会長」と師匠の名を使い分けてるようですね~

師匠は師匠、先生は先生なのですから、「池田名誉会長」に統一しましょう。師匠の名は使い分けするものではありません。

「国民の知る権利」が広く浸透している今、「会員の知る権利」も浸透させましょう。

池田先生が表に出られない現在、「開かれた学会」をアピールしなければ、一般の方からは受け入れられませ~ん。(笑)

「都のブラックボックス」ならぬ「本部のブラックボックス」では世界公布など夢のまた夢と知りましょう。\(^o^)/
 

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