8千万人超え! 史上最高の視聴率を記録した大統領ディベートの勝者は?

9月26日にアメリカで行われたヒラリーとトランプのディベート。視聴者は8千万人を超え、アメリカ史上最も視聴率が高い大統領ディベートになりました。渡辺由佳里さんは、「大統領選ディベートには明らかな勝者はいない」という常識があるとしつつ、実は勝敗は敗者の行動に表れたと言います。
アメリカ在住の作家・渡辺由佳里さんによる、アメリカ大統領選のやじうまレポートをぜひお楽しみください。

9月26日は、ヒラリー・クリントンとドナルド・トランプによる初めてのディベートが行われた。

7月末の民主党大会の成功とトランプの失言で、ヒラリーは一時期トランプに大きく差をつけていた。ところが、最近になってこのリードが消え、ディベート直前にはまったく五分五分になっていた。その流れを大きく変える可能性があるのがディベートだ。

おまけに、トランプは何をやるかわからない。アメリカ国民の期待は高まり、視聴者が8千万人を超え、アメリカ史上最も視聴率が高い大統領ディベートになった。


First 2016 Presidential Debate: Trump vs. Clinton (Complete HD)

司会はNBC局のベテランニュースキャスターのレスター・ホルト。 トピックは「国の繁栄」、「アメリカの方向性」、「国家の安全」の3つで、貿易、税制、雇用創出、外交、犯罪、人種問題などについてホルト自身が質問を作成した。

ディベート皮切りは、「国の繁栄」のトピックで経済政策だ。
雇用創出と国民の収入の問題について、ヒラリーは「最低賃金保証」と「男女の賃金格差の解消」など具体的な例をあげて説明したが、トランプは具体的な政策は提示せず、「政治家はこれまで何もやらなかった」、「クリントン国務長官は、口ばかり。過去30年何をやってきたのだ?」と攻撃に徹した。

政策を重んじる知識層にとっては、この時点ですでにヒラリーが有利だったが、大統領選ディベートの勝敗は討論の内容や質では決まらない。

私は、ディベートの前に次のようなツイートをした。

「今夜は、#トランプ と #ヒラリー の初めての大統領ディベート。英語がわからない人でも、ボディランゲージを見るだけで、米国民の判定を推測することができるのでお試しあれ。なぜなら、多くの米国人は討論の内容を理解せず、ボディランゲージだけで候補を判定するから(恐ろしいけれど事実)」

これを念頭に最初のディベートを観察すると、準備万端で挑んだヒラリーのほうは最初のうち硬い印象があった。それとは対称的に、いつもの自分らしく攻撃に徹したトランプは、製造業の不振で多くの職が失われた中西部や地方の住民の代弁者としてしっかりアピールしていた。

「準備をせずに、ありのままの自分で対応する」というトランプの戦略は、予備選のときには非常に有効だった。だが、本選のディベートは、多くの候補が並んだ共和党の予備選とは異なる。一対一だから休む暇はなく、しかも質問はシビアだ。準備不足のトランプはじきに、あちこちでボロを出すようになった。

ディベートの勝敗は敗者の行動に表れた

今回のテレビ放送は、両者の表情を常に横に並べる「スプリットスクリーン」方式だった。これは、候補にとってリスクが高い。

ジョージ・W・ブッシュとアル・ゴアのディベートでは、内容では完璧なゴアの勝利だったが、的が外れた回答をしているブッシュに対して嘲笑の表情を浮かべたアル・ゴアにアメリカの視聴者は反感を覚え、かえってブッシュの支持率が上がったことがある。
それを知っているヒラリーは、トランプの発言中に感情を表さないように注意を払っていた。いっぽうのトランプは、ヒラリーの発言を何度も遮り、声を荒らげ、鼻を鳴らし、顰め面やあざ笑いの表情を浮かべ続けた。それを見た視聴者は「トランプはナーバスになっている。感情をコントロールできない。傷つきやすい」という印象を抱いた。

また、90分のディベートは、マラソンのようなものだ。基礎体力がなければ最後まで走りきることはできない。最初は好調に飛ばしていたトランプだが、ヒラリーの巧妙なジャブにつられて威力がないパンチを返すうちに冷静さを失い、中間地点で息切れになっていた。 疲労が言動に出ているときに、元気いっぱいのヒラリーに対して「スタミナ不足」と批判したのも失敗だった。ディベート終了寸前には、トピックを離れた意味不明の発言まで交じるようになり、観ているほうが辛くなるくらいだった。

これらを反映し、ディベート直後のCNNの世論調査では、62%がクリントン勝利、27%がトランプ勝利という結果だった。政治アナリストは、保守、リベラルをあわせて、ほとんどがクリントン勝利で一致していた。

だが、その後のオンラインの世論調査では「トランプ勝利」が圧倒的に多かった。ツイートで「日本ではトランプ勝利だという情報が多い」と教えてくれた人がいたが、私は特に不思議な現象とは思わなかった。ツイッターだけで予備選を勝ったトランプにはソーシャルメディアを利用する根強い支持層がある。彼らがネットでの世論調査に影響を与えるのは当然のことだ。

じつは、「ディベートでの敗北」を明らかにしたのは、トランプ自身なのだ。 ディベート終了後、トランプはメディアの取材で「壊れたマイクを与えられた。わざとかどうかは知らないが」と文句を言ったが、「マイクについて苦情を言うのは、(ディベートが)あまりうまくいかなかった人がやること」というヒラリーのコメントどおりである。そのうえ、翌日になっても前夜のディベートのミスを蒸し返して反論し続けるトランプの行動は、「負けた」ことを自ら宣伝しているようなものだ。

実際に、翌日の夕方に出てきたすべての世論調査では、「ヒラリーの勝利」と答えた人が圧倒的に多かった。(Politico/Morning Consult poll は49%対26%でヒラリー勝利、NBCは52%対21%でヒラリー勝利

浮動票を動かすのは?

しかし、ディベートの勝敗で両候補のコアの支持者が変わることはまずない。注目すべきは、浮動票の行方だ。

ここで言う「浮動票」には、リベタリアンや緑の党などの「第三政党」の支持者が含まれている。 例えば、現時点でヒラリー支持45%、トランプ支持43.4%と拮抗しているコロラド州でのリベタリアン指名候補ゲーリー・ジョンソンの支持率は10%もある。これは、ジョンソンへの積極的支持というより、ヒラリーとトランプへの「反対」あるいは「抗議」の意思表明なのだ。彼らが、本選直前に「自分の票を捨てたくない」とどちらかに動けば、それだけで勝敗が決まる。

予備選でサンダースを圧倒的に支持した若者のかなりの数が、ヒラリー支持に回らず、第三政党の支持者になっている。だが、Public Policy Pollingによるディベート後の調査では、若者の63%がディベートの勝者をヒラリーと答え、「ディベートによりヒラリー投票に傾いた」と答えたのが47%だった(トランプは23%)。若者を魅了できずにいたヒラリーにとって、うれしいニュースであり、ディベートは有効だったことになる。

だが、これらの「浮動票」を動かすのは、ディベートそのものの勝敗ではない。 というのは、「大統領選ディベートには明らかな勝者はいない」のが常識だからだ。これまでの大統領選でもそうだったが、メディアと一般国民の判定は異なることが多い。つまり、冒頭でボディランゲージを見れば良いと書いたのは大げさではなく、一般国民は話の内容よりも彼らの態度や印象で判断するものなのだ。

また、ディベート後に何が話題になるかが、ディベートの勝敗よりも重要だったりする。

トランプの3つのしくじり

ヒラリー陣にとって有利なのは、トランプが次のような話題の材料を豊富に与えてくれたことだ。

1)サブプライムローン問題で多くの国民が家を失った件で、「(住宅市場崩壊が)起こればいいと思う。そうすれば、僕のような者が買い漁ることができるから」というトランプの過去の発言をヒラリーが指摘したとき、トランプは「それがビジネスっていうものだ。(It’s called business, by the way)」と口を挟んだ。 トランプの支持者の中には家を失った者もいるはずで、この発言は「無慈悲で無神経」という印象を与える。

2)トランプが連邦所得税(国に対して支払う所得税)をまったく払っていない年が何年もあったことをヒラリーが指摘すると、トランプはそれを否定せず、「つまり僕が賢いということだ(That makes me smart.)」と答えた。大金持ちのトランプが貧しい国民よりも税金を払っていないことに反感を覚える者は少なくないだろう。

3)何よりも致命的なのは、女性を侮辱したことだ。ヒラリーは、トランプ財団が共同出資していたミス・ユニバースで20年前に勝利したベネズエラ代表のアリシア・マチャドを、トランプが「ミス・ピギー」という豚のマペットに例えたことを指摘した。マチャドは、体重のことでトランプに公共の場で何度もいじめられ、そのせいで心理的な問題を抱えたという。それだけではない。アメリカでは清掃業務につくヒスパニック系移民の女性が多いことからか、彼女のことを「ミス・家政婦」とも呼んだという。完全な人種差別発言だ。これだけでもダメージが大きかったのだが、トランプは、謝罪するどころか、翌朝のテレビ番組で「彼女はものすごく体重を増やした、これまで最悪のミス・ユニバースだった」としつこく批判した。これだけでも、多くの女性を敵にまわしたのは間違いない。

これらは、国民や世界にとって本当に重要な「政策」とは無関係だ。 だが、「政策」をしっかり語っても、国民の大部分は耳も傾けない。そして、メディアも取り上げてくれない。国を崩壊しかねないポピュリズムを支えているのは、メディアであり、私たち国民なのだ。

しかしながら、「不満を代弁してくれる」、「現状を変えてくれるならなんでもいい」という単純な動機がトランプ人気を支えているのは事実だ。だが、この方法で国のリーダーを選ぶ者にかぎって、その結果としての災難を他人のせいにして恨む。

2000年にも同じことが起こった。アル・ゴアではなくジョージ・W・ブッシュを選んだアメリカ国民は、自分の言動がイラク戦争に繋がったことを都合よく忘れている。
イラク戦争前には、「誰がボスだか力を見せつけてやれ」とブッシュを支持しておきながら、戦争の犠牲者や戦争による経済不況など、すべてを政治家のせいにしている。

アメリカ国民がその過ちをあえて繰り返すのか? それが、今年の選挙の焦点だ。

この連載について

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アメリカ大統領選、やじうま観戦記!

渡辺由佳里

みなさん、2016年は4年に一度の祭典、オリンピック!ではなく、いいや「アメリカ合衆国大統領選挙」の年です。世界情勢にもつよい影響をおよぼす、オバマ大統領につづく大統領は誰なのか? アメリカ在住の作家・渡辺由佳里さんが、このビッグイベ...もっと読む

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コメント

yagiyagi0419 https://t.co/V7Bhzhj50c 約1時間前 replyretweetfavorite

consaba 渡辺由佳里 視聴者 約6時間前 replyretweetfavorite

ryou_takano だから怖い “アル・ゴアではなくジョージ・W・ブッシュを選んだアメリカ国民は、自分の言動がイラク戦争に繋がったことを都合よく忘れている” 約11時間前 replyretweetfavorite

sizukanarudon 渡辺由佳里@YukariWatanabe https://t.co/MH6aqFgGKz Live:The Second Presidential Debate… https://t.co/Zdi9iYybE3 約11時間前 replyretweetfavorite