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わたしは常日頃から、レッスンや、レッスンの延長である執筆において
・「努力の結果、何かが少し改善しても、求めているレベルや基準にまだ届いていないこと以ってその改善を評価・祝福しないこと」
・「少しの上達でも、そこに喜びや充実感を見出すことを否定し、『満足しては成長が止まるんだ』というようなことを言って自分や他人に厳しく当たること」
といったような傾向や癖の問題点や危険を指摘し、それに代わる考え方ややり方を説明・提案しています。
それは、どれだけ高みを目指すにしても、その高みにたどり着くにはいま目の前の一歩を前進してはじめて到達・達成の可能性が生まれるからです。
言い換えれば、高いレベルの実現や到達の「材料」は、いまあった1ミリの上達、これから進むことができる小さな一歩にこそある、ということです。
1ミリの上達を生んだ方法や考え方や環境はなんだったのか?
それを評価し、大事にし、掘り下げることで、その1ミリの上達を繰り返すスピードが速くなるでしょう。
あるいは、1ミリの上達のメカニズムをより深く理解できれば、それを応用し工夫してこんどは1センチ、あるいは1メートルの上達ができるかもしれません。
自分に厳しく当たって、自分を否定して、元気を失くしてしまう暇があるなら、1ミリの上達、あるいはその気配・手ごたえ・予兆でもいいからそこに注意と感心とエネルギーを向けた方がよっぽど生産的です。
努力は、どれだけ頑張ったか、苦しい思いをしているかで評価されるべきものではありません。
と同時に、自分の努力を他者の一定の基準による評価に完全に預けるのも多くの場合問題を孕みます。
他者にとって、あなた自身の1ミリの上達や、日々の努力と工夫のなかで見出し感じ取っている手ごたえは見えなかったり感じられなかったりどうでもよかったりするからです。
あなたに、あなたの目指したいところがあって、そこに向かってほんのすこしでも前進しているか。あるいはわずかな手応えや予兆でも感じ取っているか。
それが、あなたが評価すべきあなた自身の努力と成果です。そこに関しては、誰になんと言われようとも、あなた自身があなたを肯定的に評価し勇気付ける必要が絶対的にあります。
あまりにも多くのひとが、自分自身あるいは他者を教え導くときに、次のような愚を犯しています。
仮に、10枚の板が連なっているつり橋があるとします。
そのつり橋を渡って、あなたは向こう岸に行こうとしています。
向こう岸が目的地です。
あなたは、1歩踏み出します。
すると、いちばん手前の、1枚目の板に乗ることができました。
でも、まだ向こう岸にたどり着いていない。
おかしなことにただそれだけの理由で、あなたは「意味がない!ダメだ!」と判断して、1枚目の板を外し、元の地点に戻ります。
そしてこんどは、もうちょっとだけ頑張って大股に踏み出し、2枚目の板に乗ることができました。
「でも、まだ向こう岸に着いていない!」
そう言って、あなたは2枚目の板を外します。
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そんな調子で3枚目、4枚目も同じように「ダメだ」と言って板を外します。
しかも、回を重ねるたびに板に乗るのが大変になっています。「
大変さは増しているのに、まだ着かない!まだダメだ!どんどん下手になってる!」と、あなたはすっかりフラストレーションと疲労を溜めています。
本当は、回を重ねるごとに向こう岸に近づいているのにもかかわらず。
しかも、わざわざ毎回スタート地点に戻ってきているのです。
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ついに5枚目の板へとジャンプしますが、もう疲れ果てています。
あなたは5枚目の板に乗ることができず、谷底へまっさかさまに落ちていきます。
谷底に落ち、流され、傷つきながらこうつぶやきます。
「自分は努力が足りないからこんなことになるんだ、自業自得だ」
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ボロボロになりながら、また元の地点に戻ってきます。
そのとき、板を外すなんて愚は犯さずに、1枚1枚、地道に渡って前に進んだひとたちは晴れやかな笑顔で向こう岸にたどり着いているのが目に入ります。
それを見て、あなたは自己嫌悪と自己憐憫と情けなさとそのほかいろいろな気持ちがぐちゃぐちゃに混ざった感情に圧倒され、パニックになります。
そして、最初から5枚目までの板を燃やして、6枚目の板にジャンプし、案の定谷底へ落ち、また流され、傷つき、それでも元の地点に戻ってきて…
以下、繰り返し。
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…いかがでしょう?
笑えないですよね。
頑張り教努力宗の信者になって、
競争唯一絶対神を信奉して、
自己否定ジャンキーになっちゃうと、
こんなようなことをやっちゃうのです。
努力は、自分の実現したいことや達成したいことに関連付けましょう。
評価は、進歩や変化や手ごたえや積み重ねをもとに行いましょう。
わたしたちは、とてもちゃんとした学校教育のなかでしっかり常識を理性を身につけています。その自覚はなくても。
その常識と理性で、自分自身に責任を持って、自分自身や自分の価値観のために、自分のやりたい努力を重ね、続けましょう。
そして、1ミリの上達と1歩の前進を、大いに評価し、祝福しましょう。
Basil Kritzer
バジルさん、こんにちは。
大学の吹奏楽部でホルンを吹いている者です。
いつも記事を拝見しております。とても参考になるものばかりで、いつも練習に活用させていただいております。
ご相談したいことがあり、今回コメントさせていただきました。
僕はアタックがうまくいかないこととバテやすいことが目下の悩みなのですが、アタックに関しては記事を参考にして練習し、解決の糸口はつかめそうです。
ただ、バテに関してがどうにもなりません。曲を吹いているうちに、特に休みがない譜面ほど早々にバテてしまいます。
高い音は出なく、中音域以上の音は音程が低くなり、音もカスカスとしてしまいます。
関係あるか分かりませんが、鏡を向いて練習している時に、自分は演奏中に頭がだんだん右(ベル)側に傾き、またベルも上がってきていることに気付きました。その後構える際に首をかなり左に傾け(これも記事にあったことを思い出したので)、楽器も正しい持ち方で持つようにして吹いてみたのですが、いつの間にか先ほど述べた状態に戻ってしまいます。バテと直接関係があるのかは分かりませんが、それによる吹きにくさは感じています。
バテやすいこと、姿勢が変わってしまうこと、の2点についてご指導いただけるとありがたいです。
何卒よろしくお願いいたします。
てるさん
もしかしたら、マウスピースとアンブシュアの一体的な移動が共通のポイントかもしれません。
・バテてくるということは、マウスピースとアンブシュアの一体的移動が不十分。
・顔が右を向き、ベルが上がるということは、マウスピースは顔の左下側にいきたがっている。
・ということは、高い音に行くにつれてマウスピースを顔面の左下へ移動させ、低い音に行くにつれて右上へ移動させるようにしてみてください。
(もしかしたら、左上⇄右下かも)
参考記事:
https://basilkritzer.jp/archives/6322.html
http://basilkritzer.jp/archives/4855.html