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江夏豊|田淵幸一|藤田平背番号秘密物語

阪神タイガース 阪神タイガース-阪神ファン応援アーカイブ

江夏豊|田淵幸一|藤田平背番号秘密物語

江夏豊・田淵幸一・藤田平3選手の背番号にまつわる話です。

江夏豊投手は、エピソード付の数々の奇跡的な投手成績を残しています。

例えば、オールスターゲームでの9者連続三振ですね。この記録は、もうぜったいやぶられないでしょう。

 

背番号秘密物語

今日は、名選手の活躍の話でなく背番号についての話です。だから数学の話を少しします。

それは、完全数という考えについてです。

完全数とは、ある数字が、その数字以外の約数の和とちょうど等しくなる数字のことです。数学の世界では、美の極地の数字で神に祝福されたかのような数字です。

この完全数という数学の考えは、つい最近知ったばかりです。

背番号28は、完全数です。28=1+2+4+7+14ですからね。

ちなみに100までの自然数でこの完全数は、あと6だけです。6=1+2+3ですから完全数ですね。

 

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阪神タイガース時代の江夏投手の背番号は、28と知っていたので、背番号6を調べました。

当時の背番号6は、藤田平氏。現役時代は、阪神タイガーズの生え抜きの選手として初めて名球会入りした選手でした。守備は、主に遊撃手。

阪神の生え抜き選手でありながら、一度も阪神の優勝を味わうことなく引退されています。

以前書いたブログ記事「伝説のバックスクリーン3連発」で、サンテレビで解説していたのは、藤田平氏。

現役時代経験することのなかった阪神の優勝。そして日本一のきっかけになった試合のゲスト解説をしていたというのは、何かの因縁ですね。

完全数から完全数を引いてみます。28-6=22ですね。

当時22番の背番号をつけていたのは、田淵幸一氏。現役時代のご活躍は、今更取り立てるまでもありません。

稀代の天才長距離打者として王選手のホームラン王を止めたのは、田淵選手でした。

完全数に囲まれた背番号22を背負った田淵選手は、敵味方からも愛される太陽のような素晴らしい選手であったと言えるわけですね。

江夏投手:1967年~1976年=背番号28=完全数

田淵捕手:1969年~1978年=背番号22=28(完全数)-6(完全数)

藤田内野手:1966年~1980年=背番号6(完全数)

絵に描いたように、投手江夏・捕手田淵・遊撃手藤田が、センターラインに並びましたね。

近代野球は、センターラインが確立すれば、ほぼ試合を支配できると言われています。

神から祝福を受けた背番号を持つ稀代の阪神トリオ。阪神球団だけでなく史上最大の黄金3人組であったと言えるのでは、ないでしょうか。

阪神が優勝できなかったのは、それ以上に他球団が強かったのでしょうか。当時プロ野球の絶対王者は、読売巨人軍でした。「巨人・大鵬・玉子焼き」などともてはやされ、巨人軍にあらざれば、人にあらずとまでいわれ全盛期を迎えていました。

しかし栄枯盛衰は、世のならい。1973年に1965年から続いた連続リーグ優勝・連続日本一の最後を迎えることになります。

1974年には、プロ野球の太陽である長嶋茂雄氏が現役引退しました。

だから私が、どう考えても、阪神が1973年前後優勝できなかったのかは、野球界の7不思議の一つだと思うのです。

神に祝福された背番号28の投手は、日本球界最大と言ってもいい逸材。22番は、大型長距離打者。6番は、名球会入りしたスラッガー。何が足らなくて阪神タイガーズはリーグ優勝すらできなかったのか。

今となっても、よくわからない話です。

しかしこれだけは言えます。江夏投手は、神様からも祝福された背番号を持つ偉大な投手であったと。

田淵捕手は、偉大なる完全数に囲まれた不世出の長距離打者であったと。

この二人が組んだバッテリーは、長く語られることになる、伝説の黄金のバッテリーであったと。

それに神に祝福された6番は、サポート役にうってつけのスラッガーであったと。

この黄金トリオの活躍を生でライブで見ていた私は、幸せ者だと。