【パラリンピック】椎名林檎はなぜ「東京は夜の七時」を選曲したのか

音楽を軸に振り返る引継式

9月18日(日本時間19日)、リオパラリンピック閉会式で行われた東京へパラリンピックの旗を引き継ぐ「フラッグハンドオーバーセレモニー」が行われた。

企画、演出はリオ五輪のセレモニーと同じ、アーティストの椎名林檎、クリエイティブディレクターの佐々木宏、クリエイティブテクノロジストの菅野薫、振付師MIKIKOの4人が中心だ。

Alexandre Loureiro / Getty Images

コンセプトは「ポジティブ・スイッチ」。パラリンピアンだけでなく、他のジャンルでも障害を作用点、ばねとして、多彩な魅力を放つ表現者たちを次々と登場させた。

演出では五輪と同じく、ゲイシャ、ニンジャ、サムライという典型的な日本のモチーフは使わず、現在の日本のポップカルチャーを前面に押し出した。

一方、衣装では、五輪は統一感のあるデザインだったのに対し、パラリンピックでは多様性を表現するため、個々に違いあるポップな衣装が多かったのも特徴的だった。

リオ五輪に引き続き話題を呼んだ椎名の選曲を軸に、8分間のセレモニーを振り返る。

リオ五輪とパラリンピックを繋ぐ選曲

Carlos Garcia Rawlins / Reuters

セレモニー序盤、赤一色だったモニターが徐々に日の丸へと変わる。流れる「君が代」は五輪閉会式の際と同じ、作曲家・三宅純氏が編曲したものだ。

東日本大震災への支援への感謝を世界に伝える「ARIGATO FROM JAPAN」。初めて「パラリンピック」という名称を使った1964年東京五輪と2020年東京五輪をつなぐ「1964→2020」。

映像とともに流れるのは椎名林檎が作曲、村田陽一が編曲を手がけた「望遠鏡の外の景色」。五輪時のセレモニーのラストでも同曲は使われており、五輪とパラリンピックのセレモニーをつなぐ。

村田は19日にTwitterで、五輪で使用した曲はジャズバンド「SOIL&”PIMP”SESSIONS」の演奏で新たに編曲、録音したもので、パラリンピックでは椎名林檎のアルバム「逆輸入」に収録されたバージョンであると明かしている。

その後、映像には義足のモデルGIMICOが登場する。日本で初の義足のモデルは写真家のレスリー・キーや蜷川実花の被写体や、ミュージックビデオへの出演などで注目を集めている。

GIMICOの義足が東京を想起させる様々なものへと変化し、最後には東京スカイツリーとなる。

東京五輪組織員会が配布したメディアガイドによれば、この演出には「この東京と共に力強く生きる彼女らの多様性、可能性を表している」との意味が込められている。

GIMICO(中)と「AyaBambi」 Alexandre Loureiro / Getty Images

人々の視線は会場へと戻り、GIMICO、椎名林檎ファンにはおなじみのダンスユニット「AyaBambi」によるパフォーマンスが行われる。

流れるのは椎名が歌う「決定的三分間」。妖艶さも漂う楽曲は、かつて栗山千明に提供した曲のセルフカバーだ。

会場が暗転し、登場したのは義足のダンサー大前光市

Alexandre Loureiro / Getty Images

誇りをもって自らを「かかしのダンサー」と称する大前は、ベーシスト鳥越啓介が作曲した「原初の嘆き」が流れる中、光る短い義足を使い、世界で大前にしかできないパフォーマンスを見せる。

大前のダンスと後ろに流れる映像はシンクロしており、ダンスの動きに合わせ東京の街が自在に動いた。

センタースポットに登場したのは、先天性視覚障害者である対話ファシリテーター檜山晃さん。

東京の街のジオラマを触ると、彼の脳内の映像がモニターに映し出され、モニターでは檜山氏と詩人・三角みづ紀との対話から詩が手話によって伝えられた。

流れる曲「universe」を手がけたのは、Rhizomatiksの黒瀧節也だ。

檜山晃さん Alexandre Loureiro / Getty Images

檜山さんと演出家たちの対話がセレモニー全体に大きな影響を与えた。

「東京ってすごくいい街」「渋谷は人がたくさんいるから安心する」

総合演出のMIKIKOは自身の考えとは真逆の檜山さんの言葉に「東京も捨てたもんじゃないと勇気をもらった」(メディアガイドから)。

好きな季節として檜山さんが「夏の夜」を挙げたことも意外だった。

ここから「東京は夜の七時」というイメージ、そして檜山さんの頭の中にあるポジティブな東京、2020年に世界中の人が訪れたくなるような東京であるようにとの願いを込めたセレモニーの演出が生まれた。

Sergio Moraes / Reuters

椎名も檜山氏との会話の中で「一千年まえのヒット作”枕草子”を連想し、つぎに二十年まえのヒット作”東京は夜の七時”を思い出した」(メディアガイドから)。

ダウン症、車椅子のダンサーが踊り、ランウェイを闊歩していく際に流れるのは、渋谷系を代表するピチカートファイヴの名曲を編曲した「東京は夜の7時ーリオは朝の七時」だ。

メディアガイドに掲載された「東京は夜の7時ーリオは朝の七時」の詞 Tokyo 2020提供

椎名は「返詞」として、原曲とは大きく作詞も変えている。

歌うのは東京事変のギタリストも務めた浮雲(長岡亮介)。音楽とパフォーマンスで、東京の夜のざわめき、きらめきを伝える。

多幸感あふれるステージの中、原曲と変わらなかった歌詞が訴えかける。4年後を待ちわびる東京の気持ちを代弁する。

「はやくあなたに会いたい」

- / AFP / Getty Images

4年後のパラリンピックについて、椎名林檎はこう述べている。

「すべての人が『誰より生きたい』『最大限生きたい』と、切望し、競い合い始めるスウィッチになったら」



















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