(クイズとは関係ありませんが、2011年名人戦第7局、対局者に出されたいなり寿司)
【問題】
Q1.1981年十段戦七番勝負第3局、加藤一二三十段-米長邦雄挑戦者戦。2日制の対局で、加藤十段は1日目、2日目と、同じメニューを頼んでいます。それは何でしょう?
Q2.1994年度のA級順位戦8回戦、最終9回戦の一斉対局で、加藤一二三九段は昼、夜、昼、夜と、同じメニューを4連投しています。それは何でしょう?
Q3.2003年名人戦七番勝負第3局、森内俊之名人-羽生善治挑戦者戦で、森内名人は夕食休憩が終わった後、次の手を指さずに投了しました。その時の、森内名人の夕食のメニューは何だったでしょう?
Q4.将棋のタイトル戦の定宿で知れられる、神奈川県・鶴巻温泉の旅館「元湯陣屋」。対局者や関係者から絶賛されている、定番の食事メニューといえば何でしょう?
Q5.江戸っ子の木村義雄名人が好んだ豆腐は、絹ごしと木綿ごし、どちらでしょう?
Q6.羽生善治現三冠が、名人戦や王座戦の際に採用した定跡。握り寿司とともに、どんな炭酸飲料を注文したでしょう?
Q7.故・村山聖九段が愛した、関西将棋会館からほど近く、焼き魚定食などが美味しい、定食屋の名は?
Q8.2016年6月、三浦弘行九段が肉豆腐定食のみそ汁に餅を入れたことで話題となった、千駄ヶ谷の食事処の名は?
Q9.東京・千駄ヶ谷の将棋会館の地下に、かつて存在した、食堂の名前は?
Q10.まだ将棋界がそれほど豊かではなかった時代の話。大山康晴や升田幸三の師匠である木見金治郎名誉九段が、生活を支えるために、大阪で営んでいた飲食店とは、何でしょう?
Q11.『月刊コミックフラッパー』(KADOKAWA)で松本渚さんが連載中の、「前代未聞、将棋×めしマンガ!!」のタイトルは?
Q12.その実(み)はさつまいもや栗の着色に使われ、高級な将棋盤の脚は、その実の形をかたどっていると言われる植物は何でしょう?
Q13.若き日の升田幸三が、故郷を出て、広島の町に出てきた際、大道詰将棋でお金を稼ぎ、洋食店に行って注文し、あまりの美味しさに感激した料理は何でしょう?
Q14.升田幸三門下の桐谷広人青年(現七段)が、奨励会の修行時代、こればかり食べて身体をこわしてしまった、という食べ物は何でしょう?
Q15.阪田三吉が木村義雄との対局場に望みながら、新聞社の設営責任者が、しみ豆腐のできるほどに寒いところ、と説得をして、あきらめてもらった対局場といえば、どこ?
(千駄ヶ谷、ぎっちょんのハヤシライス)
【解答】
A1.うな重 A2.うな重 A3.カレーライス A4.カレーライス A5.木綿ごし A6.ジンジャーエール A7.更科(さらしな) A8.みろく庵 A9.歩(あゆみ) A10.うどん屋 A11.「将棋めし」 A12.梔子(くちなし) A13.ハヤシライス A14.インスタントラーメン A15.高野山
【補足】
A1.A2.加藤一二三九段の食事の定番といえば、ご存知の通り、うな重です。2日制のタイトル戦で、2日続けて、うな重。順位戦で、朝、昼、続けてうな重。加藤九段は1954年、史上最年少記録となる14歳7か月で四段に昇段し「神武以来の天才」と称されました。その記録は今年2016年9月、14歳2か月の藤井聡太新四段によって、ついに更新されました。とはいえ、加藤九段にはまだ、16歳での王将リーグ入り、18歳でのA級八段、20歳での名人挑戦という史上最年少記録が残されています。
A3.形勢に差がついているとはいえ、森内名人の潔い投了が話題となりました。
A4.2016年の王位戦七番勝負の最終第7局(9月26日・27日)も「元湯 陣屋」でおこなわれます。羽生王位が防衛するのか。それとも木村八段が初タイトルを獲得するのか。もしも43歳で初タイトルとなれば、こちらは史上最年長の記録。
A5.対する升田幸三八段は、絹ごし派。
A6.名人に定跡なし。
A7.故・村山聖九段の生涯を描いた映画『聖の青春』は、2016年11月19日に公開予定。必見です。
A8.みそ汁に餅が三浦流。肉豆腐に餅が佐々木勇気五段流。どちらもみろく庵に行って注文すれば、同じものを食べることができます。
A9.ほんの一時期、昼食、夕食のいずれの休憩も、外に出てはいけない、将棋会館内で食事をすべし、というルールがありましたが、不評のため、すぐになくなりました。
A10.1935年に実力制名人戦が開始されるまでは、高段者といえども収入が安定せず、副業を持っている棋士が多かった。
A11.ストレートなタイトルで、その通りの内容。面白いので必読です。
A12.梔子(くちなし)は「口無し」に通じ、助言無用の意味がある、という説も派生。
A13.将棋で日本一になるという夢を抱いて、あてもなく家を飛び出した、少年時の升田幸三のエピソード。
A14.現在は株主優待券での暮らしぶりが有名となった桐谷広人七段。現在に至るまでには、大きなピンチが何度もありました。
A15.担当者の説得の結果、阪田-木村戦がおこなわれることになったのは、しみ豆腐(高野豆腐)ができるほどに寒い高野山ではなく、京都の南禅寺に。高野山では後に、升田幸三と大山康晴による名人挑戦者決定戦がおこなわれ、どちらも将棋史上で一、二を争う有名な対局、そして有名な対局場となった。