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自分で限界を作らなければ、世界はどこまでも広がる-生涯現役 ― チャレンジし続ける人生(三浦 雄一郎さんコラム-第3回)

コラム 三浦 雄一郎

三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう)

70歳でエベレスト初登頂に成功し、その後、私は75歳と80歳でも「世界の頂上」に登りました。ただし、いくら鍛錬を積んでも加齢に伴う肉体的な衰えを避けることはできません。年をとるほどチャレンジは過酷なものになりました。

そこで、今回は2度目、3度目の登頂に向けた悪戦苦闘のエピソードと、さらに加齢による人間の限界に挑戦し続けるための次なる目標についてお話します。

三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう)
画像元:ミウラ・ドルフィンズ

不整脈と闘いながら成功させた3度の登頂

最初にエベレストに登る前から、私はひどい不整脈に悩まされていました。ところが、山に一歩足を踏み入れると不思議と心臓は反乱を起こさず、頂上にたどり着くことができたのです。とはいえ、やはり帰国後は不整脈の状態が悪化しました。無理が祟ったのでしょう。様々な治療法を探し、最終的に心臓のカテーテル手術(血管を通じて超微細な管を心臓に挿入し、高周波電流で異常な部分を焼き切る手術)を受けました。そのおかげで、75歳の時、再びエベレストの頂上に立つことができたのです。

しかし、日本に帰ってくるとまた不整脈がひどくなる。通常カテーテル手術を受けるほとんどの方は、2回位と言われている様ですが、私の場合、結局現在まで7回もカテーテル手術を受けています。1回の手術で約150箇所も焼くので、私の心臓はすでに1000箇所以上のやけどを負っている状態です。

さらに、3度目のチャレンジの前には骨盤と大腿骨付け根を骨折してしまいました。トレーニングができないので、筋肉の力は落ちていく。絶体絶命の状況を打破するために選んだ方法は、男性ホルモンの注入でした。体内の男性ホルモンを増やせば、筋力がつくし、チャレンジしようとする意欲も上がるのです。そこで250mlの男性ホルモンを2週間に1回、半年にわたり注射し続けました。すると、高齢者なのに、高校生みたいに朝が元気になるんです(笑)。もう一度青春を取り戻したような気持ちになれたし、筋力テストでも自己ベストを次々と出しました。たとえば背筋力は140kg。これは高校生のスポーツ選手並みの数値です。

そして、前回もお話しましたが、外出時は足に重りを付け、さらに重い荷物を背負って歩くというトレーニングも続けました。70代にもなれば骨はもろくなるし、筋肉も痩せていくものですが、私の悩みはむしろ筋肉が太すぎること。骨密度は20代の人の3割増です。これも長年にわたるチャレンジの恩恵と言えるでしょう。生涯現役を実践するために、まずは「生涯元気」であるための努力をこれからも続けるつもりです。

85歳、そして90歳でも「世界のオンリーワン」を目指す

そのような努力の末、3度のエベレスト登頂をどうにか遂行しました。ここまで来ると、どうしても「次のチャレンジを」ということになり、85歳での目標を決めました。それは、ヒマラヤ山脈のチョ・オユー(8201m)に登ること。私はギネス世界記録で「エベレストに登頂した最高齢の男性」と「標高8000m以上の山に登頂した最高齢の男性」という認定を受けていますが、8000mを超えるチョ・オユーに登れば自分が作った記録をさらに塗り替えることができる。つまり、「世界のオンリーワン」を守り続けることができるのです。

そして、もし90歳まで生きることができたら、4度目のエベレスト登頂にチャレンジしたい。こちらも「オンリーワン」の更新です。周囲からは反対の声も挙がるでしょうが、まったく聞くつもりはありません。年をとれば不可能なことはいくつも出てきます。チャレンジしてできなかったらあきらめればいいわけで、やれると思ううちは挑み続けるべきだからです。

一生懸命やり遂げることの積み重ねで人は夢に届く

話は変わりますが、私が校長を勤める北海道深川市のクラーク記念国際高等学校には、中学時代に引きこもりや不登校だった子どもたちがたくさん通っています。ただし、3年間の高校生活では無遅刻・無欠席で、大学に進学したり、起業したりと、優秀な卒業生を数多く輩出してきました。それは、先生方が生徒一人ひとりにきめ細やかに対応してくれることが背景にあります。たとえば中学校の数学がまったくわからない生徒にマンツーマンで一から教える。すると、すぐに他の生徒に追いつくことができるのです。

せっかくの可能性も、最初から「できない」と思えば芽のうちに摘み取ってしまうことになりかねません。私が生徒たちによく言っているのは「遅れても気にするな。その日その日に自分がやるべきことを一生懸命やり遂げていればいつか夢に届く」ということ。自分自身も山歩きでたくさんの人に追い越されて、追いつけないことがよくありました。それでも気にせず、自分のペースであきらめず歩き続ける。気がつくと、若い連中に追いつき、追い越して、先に頂上にたどり着いた経験は少なからずあります。

他人と自分を比べたり、競争したりすることよりも、自分ができることを一生懸命やり抜くことが大切なのです。子どもたちにも、自分で限界を作ったりせず、その時の最高の可能性にマイペースでチャレンジしてほしいと思います。そうすれば、眼前の世界は果てしなく広がっていくはずですから。

※このコラムは、保険市場コラム「一聴一積」内に、2016年6月15日に掲載されたものです。

⇒三浦 雄一郎さんコラム「生涯現役 ― チャレンジし続ける人生」第2回を読みたい方はコチラ

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PROFILE

三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう)

三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう)

プロスキーヤー、クラーク記念国際高等学校校長

1932年青森県生まれ。1964年イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、時速172.084kmの当時の世界新記録樹立。1966年富士山直滑降。1970年エベレスト・サウスコル8,000m世界最高地点スキー滑降(ギネス認定)を成し遂げ、その記録映画 「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST」 はアカデミー賞を受賞。1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年次男(豪太氏)とともにエベレスト登頂、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7カ月)樹立。2008年、75歳2度目、2013年80歳にて3度目のエベレスト登頂(世界最高年齢登頂記録更新)を果たす。

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