• カート
  • RA In Residence
  • Login / Register
  • ログイン
  • 登録
Resident Advisor
Submit
  • Magazine
    • ニュース
    • レビュー
    • 特集
    • 映像
  • Events
    • リスト
    • クラブ
    • フォト
    • イベントを投稿
  • Music
    • アーティスト
    • DJチャート
    • レーベル
    • Podcasts
  • Search
  • 特集

フィールドレコーディング:その行為と可能性

  • Mark Smithと3人のアーティストが、フィールドレコーディングが我々の世界を形作るパワーを秘めている理由を説明する。

    元々、フィールドレコーディングはニッチな分野であり、テクノロジーの進化と共に一般化されてきた。かつては民族誌学者たちが非西洋世界の分化を記録するために用いていたものだが、今はスマートフォンで誰もが簡単に行える。そして、当時は「記録」として考えられていたフィールドレコーディングは、今やひとつの独立した「音楽」、もしくはエレクトロニック・ミュージックの素材にもなり得る。アーティストや作曲家の中には、フィールドレコーディングが知覚と物理特性の複雑な問題を提起することに興味を持っている者がいれば、他と変わらない凡庸なサウンドだと捉える者もいる。また、内面世界と外界をより深く結びつけるための手段としてフィールドレコーディングを使用している者や、アーティスティックな側面を補強する存在として考えている者もいる。

    近年、フィールドレコーディングはかつてないほど大きなトピックになっているが、一方で、これまで以上にありふれたものになっている。アーティスティックな風合いを加えることを目的とした輪郭のぼやけた工業地帯のフィールドレコーディングが盛り込まれたテクノトラックを聴かない日はないに等しい。また、特定のミニマルハウスにおいてはフィールドレコーディングの使用が定型化している。しかし、フィールドレコーディングにどのような価値を見出すかは別として、自主的に自分の周囲の環境をオープンに探求していく行為としてのフィールドレコーディングが、自分のサウンド、音楽制作、そして世界そのものに対する考え方に変化を与えることは確かだ。

    世の中には音楽制作のあらゆるテクニックを上達させるためのガイドが溢れているが、フィールドレコーディングにはテクニックの最適化は存在しない。フィールドレコーディングではどう制作するかではなく、どう聴くかを考えることになる。アマチュアのプロデューサーたちは多くの時間を割いて特定のテクニック(パラレルコンプレッションやレイヤーリングなど)のスキルを磨こうとしているが、細かいことに囚われすぎれば大局を見逃してしまう。遠くからサウンドを見つめ、幅を取って耳を傾けることの価値はどれだけ評価してもしすぎることはない。フィールドレコーディングは固定化・習慣化された自分のマインドを解き放つひとつの手段なのだ。

    しかし、“フィールドレコーディング” とは具体的に何を指しているのだろうか? 最初期の作品群は、西洋の宗主国が世界の理解を深めることを目的とした記録だった。そして、非西洋の音楽へのアクセスは20世紀の音楽に大きな影響を与えたが、それは搾取と密接に絡んだものだった。初期の主要作品の多くは、国家機関主導のものか、ロックフェラーのような支配者層の資金提供を受けたものだった。











    かつて、フィールドレコーディングをするためには、重くて高価な機材を世界各地へ持ち込まなければならなかったが、レコーディングテクノロジーの小型化によって、それは過去のものとなった。今でも熱心なレコーディングアーティストたちは世界の辺境へと向かっているが、近年のフィールドレコーディングには他のコンテキストも含まれるようになっている。今やフィールドレコーディングと言えば、たとえば、人間の発する音が自然界の生態系に与える影響の計測など、様々な分野に当てはめることができる。更には、M.E.S.Hのような復讐の相談をする不良の会話のレコーディングやSam Kidelのような電話の盗聴など、最近はそのフィールドがバーチャル上にも展開されている。現実世界でも、オンライン上でも、そこにサウンドさえ存在していれば、フィールドレコーディングに使用できるのだ。

    フィールドレコーディングは不可聴な部分にさえも影響を与えていく。Burialは"Prayer"の中で、男性が道を歩いて教会に入っていく様子をレコーディングしたサウンドを使っているが、本人がそうだと説明していなければ、こちらには分からない。「その変化は分析できない。雰囲気の変化なんだ。曲のちょっとした雰囲気のね」という彼の発言は、意識の下層で働く存在の知覚、つまり、知らないうちに自分たちのムードに影響を与える直感的な反応について触れている。この意味で言えば、フィールドレコーディングは人間が音楽をどう感じるかを大きくコントロールする可能性がある方法と言える。

    フィールドレコーディングは “どう捉えるか” のパンドラの箱を開け、こちらに数多の質問を投げかけてくる。なぜなら、フィールドレコーディングは知覚、歴史、科学、テクノロジーなど、いくつかのパワフルな存在の交点に位置しているからだ。しかし、おそらくその最も大きな特徴は、聴き方に影響を与えるという部分だろう。交通音、風、またはあらゆる音楽など、自分を取り巻くサウンドのフィルタリングにおける耳と心理の影響力は驚くほど大きい。“聴くことだけを目的にしたフィールドレコーディング” とは、シンプルに聞こえるが、注目に値するものなのだ。たいして時間をかけずに、洗濯機のうなる音や列車の軋む音など、普段は平凡なサウンドだと考えられている対象や出来事に有効性を与え、ランダムな生活音の中に構造を見出すようになる。人によっては、この捉え方の変化が自分と世界との関係性を変えることになる。

    フィールドレコーディングは独断的に判断していくのはベストではないので、今回はフィールドレコーディングをそれぞれ独自の形で行っている3人のアーティストに、自分たちの考えやテクニックを教えてもらうことにした。

    Klara LewisはPeder Mannerfeltが最近のインタビューの中で、スウェーデンで唯一革新的な音楽家として名前を挙げたアーティストだ。Lewisは若手に入るが、既にEditions Megoから2枚のアルバムをリリースしており、フィールドレコーディングで集めた素材を類い稀なテクニックを使ってユニークな楽器に変えることで、幽霊のような風景を生み出している。

    KyokaはRaster-Notonを中心にLPやEPをリリースしている日本人アーティストで、Lewisと同じく特徴的な方法でサウンドに取り組み、それらを衝撃と静寂が繰り返すトラック群に落とし込んでいる。その特徴は最新EP「SH」に顕著に表れている。

    Fisの初期作品群は、彼をドラムンベースシーンの外周に位置させることになったが、以降、彼はジャンルよりも質量やサイズ、空間を重視するようになっており、Subtextからリリースされる予定のニューアルバムは激しいまでに繊細なサウンドデザインが施され、ニュージーランド出身の彼のユニークな世界を更に広げている。

    それぞれ独自のサウンドとアプローチを誇っている3人だが、そこにはフィールドレコーディングの対象となる自分を取り巻く環境と積極的な関係性を持つことに価値を見出しているという、共通点が存在する。














    Kyoka









    顕微鏡のようにサウンドにズームインできる感覚が好きなんです。イヤフォンを通してレコーダーが捉えるサウンドを聴いていると、小さな虫になったように感じます。周りのすべてが大きくなって、意外なサウンドがわたしの世界の中に飛び込んでくるんです。スタジオ作業とは全然違う体験ですね。屋外でのフィールドレコーディングを穏やかな作業に感じている人もいますが、私にとっては見えないところからサウンドが立ち上がってくる大冒険をしているような感覚なんです。

    本格的にフィールドレコーディングをスタートさせたのは2008年頃です。それ以前はアナログマシンのノイズを使って自分の作品に違う雰囲気を加えていました。当時はオリジナルの作品を作るためには、最初の最初から自分だけのサウンドをコントロールしなければならないと信じていたので、ソフトシンセを使わず、フィールドレコーディングもサウンドではなく楽器として考えていました。ですが、そのあとで、マイクとレコーダーを沢山持っているフィールドレコーディングマニアと知り合いになったんです。フィールドレコーディングについて話す時の彼は目が輝いていました。それで、わたしも高価なレコーダーを手に入れたんですが、自分向きではないことに気付きました。もっと安価で気楽な機材をカジュアルに持ちあるく方が重要だったんです。もちろん、レコーダー自体のクオリティもアーティストの表現方法に影響を与えますが、わたしは高価なフィーレコ機材をつい大事に大事に使ってしまうことが不必要なリミッターでした。もちろん、優れたレコーダーの方が優れたクオリティのサウンドを提供してくれますが、わたしは作曲家ですから。制作には他の楽器も使いますし、フィールドレコーディングはヴォーカルサンプルのような、素材として考えています。

    以前は特定のサウンドを生み出すためにフィールドレコーディングをしていました。たとえば、キックドラムの音が欲しければ、実際に自分で何かを蹴ったり叩いたりしていたんですよ。でも、今はサウンドを偶然見つけることに喜びを感じています。フィールドレコーディングで得られる奇妙で不安定な位相が好きですね。再生すると、そこまでガツンとこない、面白い雰囲気を作り出してくれます。サンプルでは不可能な奥行きを与えてくれますね。Raster-Notonからリリースした最新EPでそれが聴けます。ソリッドで安定した位相のサウンドに、手応えが感じられない、どこかずれた、耳が聞こえないかのような不安定なサウンドを組み合わせているんです。モノラルのサウンドシステムが組み込まれているクラブではやや奇妙に響きますが、オーディエンスはそれを受け入れて楽しんでくれていると思うので、今後もこの方向性を探っていくつもりです。トラックの中では自然音と非自然音の形とサイズのバランスを取りたいと思っています。わたしの作品の大半はそこをどう組み合わせるかをテーマに制作されています。それぞれのサウンドが向かいたい方向へ進ませてあげたいんです。










    レコーディング中にマイクを動かして空間の広がりを加えようとする人がいますが、わたしは基本的にマイクを動かしません。ノイズも軽減できますし。イヤフォンを付けたまま、最高のサウンドを見つけられるようにマイクをゆっくり動かしていって、気に入ったサウンドを見つけたところで固定して、レコーディングを始めるというスタイルです。レコーディング後は、カットにカットを重ねて、自分が本当に好きな部分だけ使います。エディット中に、どのサウンドがどこでレコーディングしたものなのか分からなくなる時があります。ですが、オリジナルが分からないようなサウンドを使おうとしますね。その方が無感情で私好みなんです。

    朝の4時頃に起きて、窓の外を通過する車の音をレコーディングする時もあります。なぜか、サウンドは夜の方が不思議に聴こえるんですよ。交通量が減るので、遠くから向かってきて家の前を一瞬で通過していく車の音が、異常に速く聴こえるんです。夜になるとサウンドの雰囲気が変わるのは凄く面白いですね。運転してる人の気持ちが、そもそも速いのかも。信じられないほど未来的になるんですよ。宇宙船みたいなサウンドになるんです。




















    Klara Lewis









    昔から、外の世界を音楽制作の環境に持ち込むめば、簡単に音楽を有機的で活き活きとしたものにできると思っていたわ。あとは、自分の周りのサウンドをリサイクルするような感覚を得ているの。周囲を見渡して、耳を傾けて、細やかな動きに注目し、それを完全に異なるコンテキストへ持ち込んでより大きな何かを生み出していくっていうのは、わたしに合った制作プロセスだと思っているの。

    フィールドレコーディングをどれだけ使うのかは作品によって異なるわ。ラフを制作する時は、40%がフィールドレコーディングで40%がサンプル、残り20%がシンセって感じかしら。Abletonやシンセを使うと、選択肢が多すぎて逆に思考が停止してしまうような感覚に陥るの。だから、数に限りがある自分のフィールドレコーディング素材を使う方が楽ね。自分で枠を設けてその中で制作する方が良い意味でチャレンジングになると思う。ベストクオリティじゃないサウンドもあるし、風で邪魔されているサウンドもあるけど、そういう問題を抱えている素材の方が、最終的に面白いサウンドに仕上がることが多いわ。

    エディットにはかなり時間をかけるから、オリジナルのサウンドが何だったのか思い出せなくなる時も多いわ。自分の楽器を作っていくような感覚ね。わたしは素材の再生スピードとピッチをよく変えるの。結果的に、他の人なら使えないと思うレベルまでサウンド破壊してしまうことになるけど、逆にそこからサウンドが面白くなってくる時が多いのよ。サウンドが破壊されてグリッチーになっていくと、細かい粒のようなテクスチャになっていくでしょ。わたしにはそれが人間的なサウンドに思えるの。もちろん、普通のエフェクトも使うけど、基本的には他の方法でオーバーロードさせてサウンドを限界まで歪ませていくわ。

    たまに、お互いの機能を消し合うようなエフェクトの組み合わせを選ぶときがあるの。ピッチを上げるエフェクトを使いつつ、もうひとつのエフェクトでピッチを下げる、みたいな。結局はオリジナルのピッチに戻るんだけど、何かが変わっているのよ。でも、基本的にはエフェクトを使っているってことが分からないようにしているわ。もちろん、素材を整えたいという気持ちはあるんだけど、たとえば、すぐに「フランジャーやディレイを使っている」と分かってしまうようなサウンドにはしたくないの。

    わたしのフィールドレコーディングにはふたつのフェーズがあるの。外に出て大量にレコーディングするフェーズと、それを集めたライブラリをチェックするフェーズね。フィールドレコーディングはかなり前から取り組んでいるし、ライブラリはかなりの量よ。何を使うのかは、聴いた時にどう感じたかで決めていく。ひらめきが感じられたサウンドを使うの。繊細なトーンやテクスチャは、聴きこんで、切り離したり、レベルを持ち上げたりしてから他のサウンドと組み合わせることが多いわ。プランを立ててから制作に取り組むことはないわ。サウンドに変化を加えていくうちに自然と形になっていくのよ。クリシェかも知れないけど、意識的に耳を傾けて、そのサウンドの流れを追っていくの。











    フィールドレコーディングをしていない時でも、そういう意識を集中させた聴き方をしてしまうのよね。ファーストアルバムを完成させたあと、意識的にレコーダーを持ち歩くのをやめて、少し距離を取ったわ。そういう聴き方が自分の一部になっていて、中々切り離せないわけだから、こうして休むのは良いことだと思っているの。でも、これって誰にでも起こりえると思うわ。別にわたし固有の特殊能力じゃないから。周りの友人は、わたしがフィールドレコーディングをするのが好きなことを知っているから、最近は、わたしなら興味を持つはずだと思って、自分たちが耳にしたサウンドについて色々話をしてくれるんだけど、みんなも昔とは全然違う聴き方をするようになっていて、これまで気付かなかったことに気付くようになっているの。

    フィールドレコーディングという行為は周囲の環境を変えると思うんだけど、これに関する意見、つまり、“観測者効果” が存在することも知っているわ。大まかに言えば、これは観察行為が観察される現象に影響を与えるという科学の世界の考え方で、つまり、フィールドレコーディングという行為も知らず知らずにその対象になっている周辺環境に影響を与えていくということなんだけど、個人的には、フィールドレコーディングは、対象となっている環境よりも、人間に大きな変化を与えると思っているわ。たとえば、レコーダーを見て嫌がる人はいるけど、金属の柵のサウンドをレコーディングしてもその柵自体は別に変わらないでしょ。

    フィールドレコーディングは別の形で環境を変えると思うの。環境に対する人の意識を変えることで、結果的に環境が変わっていくってことね。みんなが周辺環境のちょっとした変化に気が付くようになれば、慣習的に無視されてきたものが新しい刺激や情報になっていくし、不愉快だと考えられていたものが、美しいものに生まれ変わる可能性もある。たとえば、わたしの作品の中に悲しげで張り詰めた雰囲気のものがあるんだけど、このトラックには両親の食洗機のサウンドが入っているの。毎日耳にする退屈なサウンドが美しい何かの一部になったのよ。こういうコントラストは凄く面白いと思う。なぜなら、サウンドに対する一般的な価値観を変えられるからよ。




















    Fis









    自分が見られていることさえ知らないのに、見られているなって感じる時があるよね? 大抵の場合、そういう時はさっと振り向いて、自分を見ていた人の目を見つめるわけだけど、振り向く前は彼らの姿を見ることはできない。何かが観察されている時、誰かが何かに注目している時は、その対象に影響を与えて何かしらの反応が起きると思うんだよね。

    音楽の中のこういう存在感、もしくは内在されているパワーを最近は面白いって感じているんだ。観察する側とその対象の関係は伝統的なフィールドレコーディングの中に存在しているけど、僕がやっていることは伝統的なものとはちょっと違うし、むしろ奇妙に思う人もいるかも知れない。僕の中ではフィールドレコーディングとしてやっているけど、実際にその枠組みに入るかどうかさえ分からない。僕のフィールドレコーディングはパーソナルな部分に関係しているんだけど、音楽制作の目的を生み出すひとつになっているんだ。なんで音楽制作をするのかっていう基本的な部分を提供してくれるんだよ。自分が何をしているのかをクリアにして、安定させてくれるんだ。

    マイクはRoland CS10EMを使っている。イヤフォンみたいな形状をしているんだ。耳に装着するタイプのマイクで、球形で空間を捉えるバイノーラルレコーディングを可能にしてくれる。そのクオリティが僕のやろうとしていることに丁度良いんだ。これを使う目的は、実際に自分がどう聴いているのかを再現することにある。だから、瞑想する時に耳に装着してレコーディングしているんだ。このフィールドレコーディングはどこでもできる。ファストフード店でも構わないし、飛行機の中でも、トイレの中でも可能だよ。

    僕はサウンドとエナジーを扱うという視点からエレクトロニック・ミュージックを制作している。瞑想は、自分がどんな世界との関係を求めているのか、どんなエナジーを求めているのかを明確にするのに適しているんだ。僕はそのエナジーをよりダイレクトにサウンドに持ち込めるかどうかを試しているんだ。このためにフィールドレコーディングをしている。サウンドを扱う他の多くの人たちと同じで、僕もサウンドは何かを届けることができるものだと思っている。瞑想を深めていったり、精神世界やインナーエンジニアリング(※ヨガの一部で、自分の内面を整えるという考え方)を体験したりすれば、自分が世界とどう共鳴しているかについて考えることになるし、サウンドが自分の中のパーソナルな波長に何かを届けることができるかどうかについて自然に考えるようになるんだ。











    最近、僕は自分のフィールドレコーディングを音楽に取り入れて、その存在感やエナジーが音楽の一部になるかどうかを試してみたんだ。今はただ、瞑想中のフィールドレコーディングが捉えたものが実際に音楽制作のプロセスに組み込まれたあと、どう影響してくるのかを色々と試している段階だね。サウンドが解き放っているエナジーと、音楽制作をしている時の自分の気持ちが会話をしているような感覚を得られるのは凄くエキサイティングだ。お互いの世界に入り込み、時には反発しながら、ピンポンをしているように昇華していく。素晴らしい感覚だし、クリエイティブな視点から考えれば刺激的だよ。

    この説明を聞いて、何かしらの証拠が欲しいと思うのは理解できるけど、僕はこのような瞑想がサウンドに計測可能な具体的な変化を与えているかどうかについて言及することにあまり興味はないんだ。話すことに興味がないんじゃなくて、変化を与えていても与えていなくても僕にとって良いことに変わりはないからさ。このようなことについて経験をしていて、ちゃんと話せる人がいるのだとしたら、是非話を聞きたいね。今は、より直感的というか、気付いたり、観察したりしながら作業をしている段階なんだ。この段階を経ることで、ちゃんと意識して、話せるような経験を得ていく。

    自分のフィールドレコーディングを聴き直す時は、特にそれを分解することはないし、感情の動きを捉えている自分の知覚を分析することもないね。ただ感じているだけさ。フィールドレコーディングされた素材は無限の空間として捉えることさえできる。現在でも未来でも、時間を問わず誰でも自由に出入りして、自分の音楽に触れることができる無限の空間を生み出すことについて瞑想するのさ。そうすれば、その空間はリスナーのために音楽の中に常に存在することになる。エナジーの痕跡なのさ。










    • 文 /
      Mark Smith
    • 掲載日 /
      Wed, 7 Sep 2016
    • 翻訳 /
      Tokuto Denda
    • Photo credits /
      Kyoka, FIS - Sylvia Steinhäuser
      Klara Lewis - Christian Olofsson
    Share
    0/
  • Comments loading

    0/ #0
  • 関連アーティスト

    Kyoka
    Kyoka
    Fis
    Fis
    0/
  • Other Features

    More features
    • Top 10 October 2016 Festivals

      世界各地で10月に開催される、RAのおすすめフェスティバルをチェック。

    • RA Sessions: Audion

      テクノにおいて最もマルチフェイスなアーティストのひとり、Matthew Dearが魅せるライブ・インプロ・テクノ。

    • Label of the month: Cabaret Recordings

      クラシックなクラブ・サウンドにヒプノティックなひねりを加えている日本発のレーベル、Cabaret Recordings。ヨーロッパで注目を集めるレーベル主宰者の2人、DJ MasdaとSo InagawaにMatt Unicombが貴重なインタビューを試みた。

    • Home listening: Dekmantel Soundsystem

      Sonosとの特集シリーズ最新作では、Thomas MartojoとCasper Tielrooijの2人が、彼らの音楽コレクションを深く掘り下げる。

    • Machine Love: Peder Mannerfelt

      知識を捨て直感を信じるというアプローチでバラエティに富んだ数々のトラック群をリリースしているPeder Mannerfelt。そのアプローチと独特の音楽性に辿り着くまでの経緯をMark Smithが追った。

    0/
    • RA
    • Copyright © 2016 Resident Advisor Ltd.
      All rights reserved.
    • About
    • 広告
    • Jobs
    • RA In Residence
    • イベントを投稿
    • チケットに関する FAQ
    • RAでチケットを売る
    • プライバシー & 利用規約
    • English
  • Want personalised listings on your mobile?
    Download the RA Guide for iOS
    • RA on Twitter
    • RA on YouTube
    • RA on Facebook
    • RA on Google+
    • RA on Instagram
    • RA on Soundcloud