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【ペットロス】ペットの死を受け入れる為には土葬ではなく火葬を強くおすすめする

ペット ペット-ペットロス

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ペットロスとは?

今まで家族として生きてきたペットが、寿命、怪我、予期せぬ事なので亡くなってしまい、その現実を受け入れる事が出来ずに気分が落ち込み、涙が止まらなくなり、何もする気が起こらなくなる。

一種の鬱状態に陥り、絶望に包み込まれてしまう状態の事をペットロスという。

 

それはペットを本当に大切に可愛がり、一緒に過ごした時間が長ければ長いほど陥りやすい。

ペットロスになってしまう事が決して悪い事ではない。

それだけ貴方にとって大切な存在だったという証だ。

大切なペットが亡くなった時

思い切り悲しもう。

思い切り泣こう。

当たり前の事で悲しくて当然だ。これまで一緒に生きてきた家族を失ったのだ。

過去にしがみつくのは良くないがこの時ばかりは良い思い出にする為にも全て流しきろう。

簡単に思い出と流しきるのが困難な事は重々理解している。

後で後述するが「逝った」ということを理解しない事には前に進めなくなってしまう。

僕も、一度はペットロスに陥りかけ、母は完全にペットロスに陥ってしまっていた。

ただ、ここで深く自分の殻に閉じ籠もらないようにするには1つとても大事なことがある。

理解する事

大切なペットはもういない。

強いて言えばもう「死んだ」のだ。

「死」というのはとても受け入れ難いが、事実として存在するのであれば理解して受け入れなければならない。

ここを上手く自身の中で消化出来ないとペットロスに陥ることになる。

 

母はその「死んだという事実」を中々受け入れる事が出来ずに毎日泣いていた。

いつもいた場所、ご飯を食べる時に使っていたお皿、それらの思い出の品を見ては泣いていた。

亡くなってからの数日は仕方がないことだ。

僕だって当時は面影を感じた時にふと涙が溢れた。

数日で治るのであれば問題ない。

至極、自然な事だ。

しかし危険なのは、これが数ヶ月と続いてしまう場合だ。

常に元気がなくなり、なにかあれば思い出し泣く。

結果的には鬱の様になり、自分の殻に閉じこもってしまう。

こうなってしまわない為にも、「死」を受け入れる必要がある。

ちなみにだが、僕が「死」を受け入れるキッカケになった事項がある。

それは亡くなってから2日後のことだ。

土葬がいいのか火葬がいいのか

ここは家族の中でもどうするか非常に悩んだ。

全くの無知であったので 土葬と火葬の意味なども知りたかったので簡単にだが調べた。

 

土葬

が死ぬといろいろな事情から遺体を見えなくする「葬る」という行為を行なう。石器時代から人の死に際して「葬」が発見されているが、その一つに土に穴を掘って埋める埋葬がある。そのうち遺体そのままに埋めるのが土葬である。もっとも古いものはネアンデルタール人によるものが知られる。 キリスト教、イスラム教、儒教など火葬に対して否定的な宗教も多く、宗教的な理由から土葬されることも多い。土葬 -Wikipedia

火葬

日本における火葬は仏教と共に伝わったという説が有力とされている。これは釈迦が火葬されたことにちなむ。現代でも「火葬にする」の意味で用いられる言葉として「荼毘に付す」があるが、この荼毘(だび。荼毗とも)は火葬を意味するインドの言葉(パーリ語: jhāpeti「燃やす」)に由来し、仏教用語である。火葬 - Wikipedia

 

正直、どっちが良くてどっちが悪いという事もないと思うので自分たちが納得できる方にしようということになった。

結果、腐敗を防ぐ為、キレイな状態で送り出したいということで火葬になった。

 

僕は泣き続ける母と共にペットの火葬場へ来ていた。

僕はその頃には大分落ち着いており、葬儀場の人と手続きをしていた。

手続きもほどほどにその時が来るのを母と一緒に缶コーヒーを飲みながら待っていた。

そしてその時が来て、2人で火葬場へ向かった。

ペットの火葬といえど、人間の火葬時と同じ様なとてもしっかりした作りだった。

それを見てなんとなく安心したのを覚えている。

 

火葬場へ着くとお坊さんが、「では、◯◯ちゃんをこちらの台へ移動させて下さい。」と言った。

この時には母は大泣き状態だったので、僕がその役目を行おうとした。

しかし、母は「私がやる。」と大泣きしながら遺体を台へとのせた。

 

この瞬間に姿を見る事が一生出来なくなる、と思った途端に涙が止まらなくなった。

年甲斐もなく嗚咽が止まらなくなった。

母はその場から離れようとしなくなってしまっていた。

ここでお坊さんが放った一言が、今思うとペットロスに陥りかけていた母を救ったのかも知れない。

「いつまでもすがっていては◯◯ちゃんは極楽浄土へ行けなくなります。良い思い出も、もしかしたら悪い思い出もあるかも知れませんが、道に迷わずに極楽浄土へ行く為にもしっかり送り出してあげましょう。」

この言葉に僕も肩の力がフッと抜けた気がした。

気持ちの問題

そのあともしばらくは、ふと思い出しては泣いていたそうだが今ではしっかり前に進めている。

母は事ある毎に「泣いてばっかいたら、◯◯ちゃんが天国行けなくなるからね!」と、自分を励ましていた。

それを見てなんとなく、人間って強いなと思った。

所詮、言葉による思い込みなのかも知れないが、要は気持ちの問題なのだ。

受け入れたくない事が起こった場合でも、それが事実として起こっているのであれば、真実なのだ。

後は自分がどう前向きに捉えるか。

ここがペットロスにならない、或いは立ち直る為に必要な事ではないだろうか。

最期に

火葬が終われば当然、骨だけが残るので、僕たちは骨を拾って骨壷へ詰め、帰宅した。

そこから49日は家で供養し、その後は庭へと埋めた。

この49日の間は母はちょこちょこそれを見る度に泣いていたそうだが、庭へ埋めてからは、泣かなくなったそうだ。※父談

 

今でもたまに家に帰ると「◯◯ちゃん庭に埋めたからこの家の守護神になった。」と訳わからないことを言ってくるが、そう思うことで「良い思い出」にする事が出来たのであれば素晴らしいと思う。

結果的に家族揃って前向きに進めているので火葬して良かったと思う。

土葬でももちろん問題ないのであろうが、火葬はなんだか特別に感じる。

僕は仏教徒でもキリスト教徒でもなんでもないが古くから日本で火葬が行われてきた理由が何となく分かる気がする。

 

勝手な解釈だが、火葬とは死んだ者に対して行うものではなく、残された者達に向けてするもんじゃないのかな。 

 

 

 

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