最近は社会階層について考える事が多い。
世の中で華やかに生きているような
スポーツ選手や芸能人だって、
普通のサラリーマンよりも金持ちだけど、
露出は激しいし、殆ど自由は無い。
実は裏でそれを牛耳っている会社や
オーナーの方が偉いという事実。
中間層がこれから減少していく、
やがて消えていくかもしれないという
世の中で我々ができることは何か。
[ある日常の会話]
知人「俺はスポーツ選手とか有名人になるよりも
それらの人をまとめあげるオーナーになりたいね。
その頃は何も考えずに社会論を知人とぶつけるのが
楽しくて、様々な議論のような事をしていた。
無知な僕は有名人になった方が得なのではないか
と考えていたのだけれども、どうやらそうでは
無かったようだ。
[社会のセグメント]
社会は階層に分かれている。
いやいや、世の中は平等だと言える人は
学校の教育を真正面から信じているか、
同じような階層の人としか触れ合っていない
可能性が高い。
現実は、お金を持っているか否か、
学歴を持っているか、まともな職業に
就いているか、正規雇用の社員か、
非正規社員か、という階層社会なのである。
資本主義で最も頂点に立つのは資本家だ。
生産手段を持っていて、それらを使って、
労働者を支配する人達。
[真実を知る時]
僕は大学受験に失敗したり、
大学を中退している。
良い大学を出て新卒で大企業に
入るのが最高の人生だと思っていた。
だけれども、そのレールの先が
無くなってしまった。
しかし、その事によって様々な出来事が
あり、世の中のカラクリに気付いてしまった。
[働かない自由]
プラプラする事によって、ネットサーフィンを
したり様々な文献を読み漁る事が多かった。
僕の中の常識が破壊された。
週5回決まった職場に満員電車で通い、
アフターファイブは居酒屋。
意識が高かったり、職位を上げたかったら、
ひたすら勉強して自分の職業人としての
価値を高めて生きていく。
それは、一種のコモディティーとして
自分を売り続ける人生である。
そうやって、自分の持ち時間(=命)を
費やしていくという事は、資本主義の
仕組みの中で言えば、以前流行った本で
表現すれば、ラットレースに巻き込まれた
と言えるだろう。
[給料は決まっている]
実は、資本主義のサラリーマンの給料は、
その労働者が翌日以降も回復して労働力と
して活躍できるだけの衣食住のお金や、
次世代の労働者を生み出す為の家族を築く
お金も含まれている。
だから、たまに何もしていない
オジサンのサラリーマンが給料が高いのは
おかしいというのはナンセンスな話である。
何故ならば、成果報酬型の形態をとっている
会社にでも入らない限りはこの資本主義の論理に
飲み込まれているからだ。
[自由への招待]
そういった、従来のサラリーマンの
生き方を否定する事が自由への切符。
そもそも現世的な生き方を否定して、
幸福の閾値を下げる方法がまずある。
家はボロくて良い、車は要らない。
食事は食べられれば良い、
家族は作らない。そうすれば、
自由な時間は得られる。
だが、異性を獲得するとか、
自分の家を持つと言うのは、
人間にプリインストールされた
本能の部分が大きい。それに抗うのは
至難の業だと僕は考える。
後は、起業するか投資をするか。
それくらいだろうか。
大きなまとまったお金を獲得する事
が結局は自由への道なのである。
[お金はお金を生む]
給与所得のみの人は、一カ月に一度
給料が振り込まれると言う流れの中で
生きている。
だけれども、給与所得以外にも、
まとまったお金を使う事により、
不動産を所有して人に貸して賃料を得る事や
株式の配当金や譲渡益で金銭を稼ぐと言う
方法がある。これが不労所得と呼ばれる
少ない労力でお金を得る資本主義の奥義
とも言えるだろう。
[どちらを選ぶかは自分次第]
資本家を目指すか、
労働者で人生を終えるか、
それは自分次第だ。
資本家、言わば投資家的な生き方を
選んだり、起業家的な生き方にはリスクが
つきものだし、失敗すれば負債を負う
可能性もある。
現在の日本は正社員になれれば、
労働者としての身分は保証されている。
よって、家族を持てるし、住まいと食事
くらいは確実に手に入るだろう。
そう、正社員になれれば・・・。
[多くの船は沈み始めている]
多くの正社員としての生き方は沈み始めている。
身分を獲得すれば安心かと思いきや、
その身分を獲得する為には狭き門を通らなくては
ならない。
正社員になれても、会社がつぶれるかもしれない。
常に勉強したり我慢をしなくてはならない。
そもそもブラック企業で心身ともに壊れるかもしれない。
どこに幸せがあるのだろうか。
[それでも諦めない]
僕は人生の目的についてよく考える。
究極的に現時点での青二才の僕の
考える人生の目的とは
『自由の獲得』
『死への抵抗』
『幸福の追求』
である。
この自由とは、経済的自由であり、
時間を沢山持つ事だ。
死への抵抗はそのままである。
あえて書く必要も無いだろう。
危険を避けて病気や事故になるべく
遭わないという事だ。
そして、最後の幸福の追求とは
一体どういった事なのだろうか。
[幸福の追求]
僕は漫画をよく読む。
最近気になるのは、
MAJOR2ndやBORUTOだ。
何故か続編で過去の名作の主人公の
息子が活躍している(し始めている)
ストーリーが受けている。
これは、冒険を終えて伴侶と巡り合えた
勇者が愛を育んだ結果、次の勇者へと
バトンが受け継がれていく姿だなと
感銘を受けている。(大げさかもしれない)
[人間らしく]
幸福を追求するという事は、
結局は人間らしくという事なのかもしれない。
自分が生まれ育った社会や出会った人達に
何を残せるか、次につなげるかという事を
考える。自分の言葉を、思想を、夢を。
愛故に。