「今が最高!」で書ききれなかったことを追記。最後の方にちょっと書いたけど。



きちんと統計を出した人がいるのだが、「炎上」に参加する人間は、実に全体の1.1パーセントしかいないらしい。
1.1パーセントという数字を軽んじる訳ではないが、1.1パーセントの人間の意見が絶対だとも思いにくい。
オタクの世界はもっとパーセンテージが上がるのかも知れないが。

感覚的には昔から思ってたことだが、今は特に、残り98.9パーセントの人々のことを思い、働きかけるしかないと思っている。
発言も、作品も。
それが大ヒットにつながるかは別として。


まぁそれにしても、ここ約10年間、炎上の仕方も煽り方も反論の仕方もまったく一緒で、正直飽きた。
昔は良く反撃に出たものだが、今はその気も起こらない。
もっと言うとそういう人に興味がわかない。
誠に申し訳ないが、「1.1パーセント」の相手はしてられない。

特に「ブーメラン」は本当飽きた。
「じゃあお前代わりに面白いもの作ってみろよ」と言われても、「じゃあお前監督一回でもやってみろよ」と返すだけしかない。
これはただの子供の喧嘩。
「バカという方がバカ」では議論にならない。バカと言わなくてもいいが、この世を良くするための最低限の意見はしなければならない。
人としての権利というより、むしろ責務だ。


しかしここ10年、まさに「バカという方がバカ」論法で、日本にかかわるありとあらゆる議論が淘汰され、封じ込まれてしまったような気がする。
「じゃあお前やってみろよ」と煽られた民主党は、「ほれ見ろ何もできなかったじゃないか!二度と出てくるな!」とボコボコに言われて、今に至る。

その結果、「ニッポン最高!」の連呼が起こった。


小林よしのり『民主主義という病い』という本を最近読んだ。
小林さん、とうとう匙を投げたかと。
小林氏もこれまでありとあらゆる人間に対して舌鋒鋭く批判してきたが、それは絶えず権力か権威であって、大衆だけは守る側だった。
しかし今の空気に辛抱たまらなくなったのか、とうとう大衆に牙を向けた。

誰が考えても一緒だ、今の日本の諸々の問題の根本にあるのは「民主主義」に他ならない。
それは理論的にも否定しようがない。日本を作っているのが大衆なのだから、日本が間違っているのも大衆のせいだ。
そういう制度なのだから。

だから今の大衆は「ニッポン最高!」としか言えなくなった。
疑問を呈した時点で全部「ブーメラン」なのだ。
「お前がやってみろ!」なのだ。
代わりにやって袋叩きには誰も遭いたくない。


同調圧力により異論を排除し、万歳万歳と肯定を繰り返す日本は、まるで北の独裁国家と一緒じゃないか。
日本はそこまで来た。独裁者がいないのだけは日本らしいのだが。
(担ぎ上げるまでは行くが、潮目が変わると叩き落とす。東条英機もそうだった)



だからまずは、小さな小さな提案なのだが、「ブーメラン」を恐れず語りませんか?
「私も間違ってます。だからこれから共に頑張りましょう」
「私も愚かだ。でもみんな愚かだ。お互い前向きに考えるしかないじゃないですか」
そのくらい言っても罰は当たらないと思う。

「お前代わりにやってもできないだろ!」
「できません。でもいろんな人の意見を集約し、修正しつつみんなで作り上げるのが民主主義でしょう?」
「国会議員はできないが国政には責任がある。それが国民です」


ブーメランの投げ合いで遊んでいる場合ではない。
民進党がいかにだらしない政党であろうが、共産党が危険な政党であろうが、「異論を完全に排除」する空気だけは作ってはいけない。


今まで排除され続けてきたオタク層ならば、特に理解できるはずなのだ。