少しだけ真面目に言うならテーマというのは「主題」なわけ。「主」って言葉の意味はわかるよね。中心であり核心であり、即ち価値なわけ。価値があるから「主」というので、なければ単なる一部分にすぎないの。そんなものを「テーマ」とは言わないですよ。
だからテーマを論じたらそれはマウンティングになっちゃうわけ。少なくとも優勝劣敗が存在するわけ。そんで「作品に込められたテーマを探す競争」が人々の中二心をくすぐったりもしたし、作者すらそれに乗って崇高で深遠な「テーマ」を探す競争とかしてたわけ。でもあなたが言うとおり「テーマが主なら、作品は従か?」って疑問が当然出てくるわけ。「いやいやテーマと作品は不可分一体だよ」とか言ってごまかしてもダメなわけ。たかだか数行にまとめた「テーマ」が主なら、二時間の映像はいらなくて、最初っからテーマだけでいいでしょって話になる。おかしいよね。なんでそんなことになったのか?
そもそもむかしむかし「作り手・受け手」の関係において「受け手」は弱者だったわけ。「作り手」は神の代弁者、司祭、シャーマンつまり「天才」。受け手はただの虫けらで、神の子の手で一喜一憂し転がされ泣かされ笑わされ搾り取られるだけの存在だったわけ。でも「批評」という行為によって革命が起きたのが近代という時代だったの。書き手さえ気付かぬ作品のシンの価値を発見し確立する創造的行為としての批評、それが近代的なあるべき作品受容の姿となり、そこで発明された批評家の武器がすなわち「テーマ」なわけ。「この作品のシンのテーマは…」とかしたり顔で語る連中は、、ことごとくこの時代に生まれた連中のしっぽなわけ。
それに対して、受け手が100%の権力を握るべしとした20世紀の過激主義者がエンタメ派なわけ。どんな作品であろーが、オレたちが楽しめればいーじゃんていう。オレたちが楽しんだ事実だけが重要なのであって、作品のテーマとかそんなもんあってもクソ、みたいな考えは、一方で作品の質みたいなものを果てしなく劣化させてく危険思想でもあったのだけど。まあそんなことは昨今のアニメを見てる連中ならうすうす気付いていることだとは思うけど。萌え豚共だって自分らが萌え狂ってる作品が、50年後100年後まで人類を熱狂させるHOTコンテンツだなんて欠片も思っちゃいないでしょ? まあでも、「批評主義、テーマ主義」ってしょせんはインテリの玩具であって新しい階級主義だったわけ。それより、萌え豚の方が「ぶひー」言ってればいいから楽しいし多数派なわけ。急進派は多数派に敗北するのが歴史の必然なわけ。んなわけで、萌え豚が「テーマ=悪。エンタメ至上」という旗印の下に批評家オタクを駆逐していったわけ。
そんなわけで、この件についてはどちらが正しいってことも別にないわけ。「それぞれの時代における流行りの作品受容の在り方」でしかないわけ。いずれもその時代なりの必然があって生まれたスタイルなわけ。
それより、そういうエンタメ派全盛な脈絡の中であえて「いかにもテーマ的に論じられそうなコンテンツ」をぶっこんで来た所が庵野のタチ悪さだったわけ。つまりテーマを論じる批評という行為自体を巧妙にエンタメ化したわけ。わかりやすく言えば萌え豚という民衆の手にテーマ論という権力を解放したということで、これはまさしくアナーキズムの可能性の中心なわけ。これがゼロ年代のオタク概念の飽和を生んだ庵野革命だったわけ。そして今回は、ゴジラと震災と政治、なんつーメジャーコンテンツを使って(政治ももはや萌え豚の旗の下に果てしない劣化を始めていたというタイミングもあって)
一般人までまんまとそれに狂わされてるわけ。そこが庵野の手腕ですげーとこなわけ。だから、増田や増田やお前増田や俺増田がこうやってネットであーだこーだいうところまでひっくるめて、全部庵野の計算したとおりのエンターテイメントなわけで、つまり「やっぱり『シン・ゴジラ』すごいわ」というのがとりあえずの結論なわけ。
昨晩書いた駄文(http://anond.hatelabo.jp/20160815210616)にたくさんコメントをいただきまして、興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。 いくつか気になったコメントを拾っ...
がネット上(増田・2ch)に散見されるんだけどあれは何なんだ? 最近だとシン・ゴジラ。テーマを論じようとすると「庵野は今回エンターテイメントとしてゴジラを作ったんだからテー...
■映画・漫画・小説のテーマを論じると怒り出す人たち http://anond.hatelabo.jp/20160815210616 増田の苛立ちがよくわかる。あいつら本当どっかいってくんねえかな。 多分ネット上ではテーマっ...
少しだけ真面目に言うならテーマというのは「主題」なわけ。「主」って言葉の意味はわかるよね。中心であり核心であり、即ち価値なわけ。価値があるから「主」というので、なけれ...
元の文章が読みにくいうえにイミフなのによく改変したな。
シンゴジラは興味ないから関係する記事は適当に流し読みしてるんだけど 増田にはそんなやつほとんどいなくない?
残念ながらシン・ゴジラについて引用した反応は俺が増田にシン・ゴジラとエヴァのテーマについて書いた時の反応だ。
作品論に限らず同じこと書いてもブクマされまくることもあればしょーもない罵倒されるだけこともあるし 書いたのが1、2回なら匿名メディアの欠点として運が悪かったとあきらめて場...
悲しい結論だが仕方ないか。
庵野の場合は特別だからな エヴァテレビ版で視聴者が考察やらに夢中になっていたら 最終話で全部ぶん投げておめでとーって締めたわけで それがトラウマになってる奴らがいるんだよ
解釈することそのものは問題じゃないんだよ 深読みが的外れすぎて作品に対する侮辱になってるから怒られてるんだよ
そういう指摘なら全然OK。ただ解釈という行為それ自体にキレ始める奴らもいるんだよなぁ
こっちは見方のひとつとして提示してるのに勝手に決めつけるな!とか言われると冷めるよな
そうなんだよなー。気に入らないなら反論(するか無視)してくれればいいわけで