「自分らしく」にこだわる人が伸び悩む理由
僕が若い人と話していて、気になる言葉に「自分らしく」というものがあります。
「個性を出す」「あるがままに生きる」といった言葉とともに、大切にすべきこととして推奨されています。たしかに自分だけの武器を持つことは必要ですから、それを否定するわけではありません。ただ「自分らしさ」にこだわる人こそ、限界の檻に入りやすいことも知っておいた方がいいでしょう。
自分らしさを見つけることは、自分の限界を設定することに似ています。
「私は○○なタイプ」「自分とは、こうなんだ」と自分で自分を決めつけてしまうと、かえって、不自由になります。自分らしさという言葉にとらわれ、自分自身を狭い檻の中に押し込めることになりかねないからです。
自分らしさとは、コミュニティの中での特徴にすぎない
僕がはじめて一人で海外遠征に行ったのは、22歳のときでした。
ほとんど英語がわからず、それでも何とか試合に出るという生活をしていて、僕は自分らしさをはき違えていたことに気づきました。当時の僕は、自分のことを「考えるより先に行動するタイプ」だと思っていたのですが、海外には僕以上に無鉄砲な選手がいて、彼らに比べたら、僕はまったく逆の、「考えてから行動するタイプ」だったのです。
僕があのまま日本に留まっていたら、自分は行動派であるという間違った自分らしさを捨てきれなかったでしょう。
同じコミュニティに居続けている間は、似た人との比較しかなく、自分らしさはわかりません。その自分らしさは、コミュニティの中での特徴でしかないのです。
自分が知っている自分は、ほんの一部かもしれない。
それに、年齢や状況、環境によって、自分らしさは変わっていくものです。
自分らしさより世の中のニーズ
「為末さんは、なんでも結びつけて話す才能があるね」
引退後、ある経営者の方からいただいた助言です。
僕は当時、会社経営に興味があったので、「話す才能があっても、経営には関係ないだろう。僕が進みたいのは、そっちじゃない」と、どこか他人事のように感じていたのですが、今思うとその人の見立ては正しかった。
というのも、次第に僕は、講演会に呼ばれたり、ビジネスパーソン向けに「為末大の悩み相談室」をはじめたりして、いつしか年齢や職業が違う人に向けて、自分の経験をつなぎ合わせながら話をすることが仕事になっていたからです。
異分野の人ともストレスなく話ができることは、僕の強みのひとつである。
そのことに気がついたのは、引退してからです。僕には、目の前のこと以外に関心が向いてしまう注意散漫なところがあるので、引退直後は、一途に打ち込めることにこだわっていました。ところが、注意散漫で、いろいろなことに興味を持てるからこそ、つなぎながら話すという自分の特徴を際立たせることができたわけです。
もし僕が自分はこうだと決めつけ、一途に打ち込めることにしか関心を示していなかったら、人前で話すことはなかったかもしれません。そうなれば、今の僕の姿はありません。
自分ではマイナスと思っていたことが、外から見るとプラスに見えることもある。
だとすれば、自分らしさはいったん脇において、世の中のニーズに合わせたほうが、自分らしさの檻の中から出るきっかけになるのではないでしょうか。