私は空気をあえて読まないようにしています。正確に言うと、空気は読むが、場の空気に囚われた行動や発言はしないようにしているということです。
*以下は完全に私の個人的な信条です。
意義:新しい発見が生まれやすい
その理由は、人が期待している範囲から外れない発言や行動をするのは、まるで誰かが書いた台本をなぞっているように思うからです。
台本が決まっていても自由の余地があるかもしれません。しかし、予想外のことは起きにくいと思います。予想外のことが起きるからこそ、自分が持っている前提が揺さぶられ新しい発見/認識が生まれる場合もあるでしょう。
これは相手の考えを読まずに自分の意見だけを押し通すということではありません。そのようにしても相手は自分の情報を受け取ってくれず、その場合、会話する意味すらなくなるからです。
付加価値は相手の知っている内容に何か「付加」することで生まれる
知的なコミュニケーションの目的は、情報を受け取り、それに付加価値を付けて相手に情報を伝えることと考えます。そのために相手の期待を裏切る振る舞いが適しています。*
*コミュニケーションの目的は、知的な内容のやりとりだけではありません。相手に何かをただ伝えるだけの場合、相手に特定の行動を促す場合、相手の求めに応じて情報提供する場合がありますが、ここでは、知的なディスカッションに限定して話しています。
人の話はちゃんと聞く。それによって相手からの情報を受け取る。それを自分なりに考え、正しく論理的と信ずることを相手に伝える。その際に思考の跡が見られるような追加情報を加えることが付加価値であると考えています。
この付加価値は相手の情報に何かを「付加」していることから生じる以上、相手が予期していないことを行うことで可能となります。相手が予期できていることを伝えているのであれば、それは何も「付加」していません。想定の範囲内です。
プロのスポーツ選手が敵チームやグランドの空気を読んでその意に沿ったスポーツを行うことがないように*、知的なスポーツである会話においても、付加価値の最大化に反するような「空気を読む」ということは意味をなさないのではないかと私は考えています。
*敵の動きを読んで、それを踏まえて自分の行動を決めることはありますが、敵の意図に自らハマっていくことはスポーツではないでしょう。
知的な刺激とはこうしたコミュニケーションから生まれるのではないでしょうか。
簡単に言うと、北斗の拳における名言「退かぬ!媚びぬ!省みぬ!」ということですね。
文化関連では他にも以下のような記事を書いています。