バンドでの活動と並行してソロ・プロジェクトをスタートさせた日野浩志郎は、電子音のもつ偶然の可能性を楽しんでいる。Yusuke Kawamuraが話を訊いた。
日野さんは、もともとは難波のライヴ・ハウス、ベアーズ周辺、具体的な音楽性でいうとオルタナティヴ・ロック周辺に出自を持つ、というのがgoat以前のキャリアとしてあり。音楽性は違えど、goatやbonanzasなんかは一応バンドというスタイルですが、なぜ、あのシーンのなかから出てきた日野さんが、打ち込みのテクノを聴いたり、作るようになったんでしょうか。
日野:ベアーズ周辺とか、いわゆる関西ゼロ世代と言われる人たちのライヴをよく観ていて、自分でもなにか表現したいという燃えたぎるものが出てきたんです。当初は自分が観ていたアーティストたちと同じ方向性、同じような表現を自分もやるのが自然だと思っていて。でも、それもあまりうまくいかず。そういう方向性でいくのは僕には無理だなと思いはじめたんです。同じ頃、関西で噂を聴ききつけてFlower of lifeなんかの現場に遊びに行くようになって。「このDJがカッコいいな」と思ったら、「あ、この人がCMTか」という感じで。同時進行でそういう現場にも観に行ってたんですよね。
Flower of lifeの周辺ってボアダムス周辺のつながりもすごく強かったから、EYEさんも出たりで、わりかし流れとしてはいきやすくて。EYEさんがそういう音楽の現場にいるのは、自分がそれまでダンス・ミュージックなんかに持ってた勝手な偏見、垣根のようなものを崩してくれて。でも、一気にその自分のなかの垣根が崩れたという感じじゃなくて、最初は「四つ打ちとか簡単に作れるんじゃないか」ぐらいの気持ちでいたんですよ(笑)。当時はまだバンドで「変拍子のものをやろう」とか言ってて。そのときは機材はなにも持ってなかったんだけど、でも現場でダンス・ミュージックの展開とかをよく聴きこんでみたら、すごく細かいレイヤーがたくさん重なっていたり、それが少しづつ展開しってていう。そこまで考えられて作られたものなんだっていうのに踊りながら気付いて、「ああ、これは簡単じゃない、どうやったらできるんだろう」と思いはじめて、そこからもっとのめり込んでいきました。ただ本当に最初は現場で聴くだけでしたけど。
Flower of lifeってことは2006、7年とかの話ってことですよね?
日野 :そうですね、あとはPOWWOWとかも。
でも折しもその直後、関西のクラブ・カルチャー、特に2010年を超えたあたりからクラブが風営法関係で取り締まりが厳しくるわけですが。たとえばそのあたりが日野さんの活動に影響を与えた部分ってありましたか?
日野:僕はその時期はクラブに単に遊びにいく回数が減ったというだけでしたね。自分の活動はライヴハウスでやっていたし。
意識的に自分で打ち込みで作るというフェイズになったのはいつなんでしょうか?
日野:何年からか、というのは正確じゃないんですが、2011、2年あたりかな。辺口芳典っていう写真家兼詩人がやっていた“市内関係”というバンドがあって。その人たちが音楽をやめるということになって、サンプラーを安く譲ってもらったんです。それが打ち込み機材の最初。
打ち込みってどうしたらいいんだろうという状態。「サンプリングしてシーケンスを組む」という概念すらわからない状態。「サンプラーが目の前にあるけど、どう使ったらいいんだろう」って。Roland SP-555というサンプラーで、細かくシーケンスを組んでいくというよりも、上音をたくさん入れることで曲を構成していくっていう、僕にとってはちょっと扱いが難しい機材だったこともあって。けど「これしかない」という状況で。で、もうひとつドラムのシーケンスが組めるiPhoneアプリを友だちに紹介してもらって。そっちでいっぱい打ち込んで、打ち込んだ物をSP-555でサンプリングしていって。打ち込んだ音源はすべて同じBPMではあったんですが、それをすべて自分の手で録音のスタート、ストップをやってたんですよ(笑)。
でも、もちろん手でやってるからちょっとずつ全部のドラムのサンプリングがずれていくわけですよ。全部同じBPMで作った素材だからいけるかなって…まぁ、頭悪かったんですよね(笑)。「ずれた部分って何かの機能を使えば後から調整できるのかな」とか思ってたんですが、もちろんその方法もわかんなくて。そんな調子で、まずは6時間くらい録音しっぱなしで。でもやっぱりズレる。いや、まぁ、当然なんですけどね。同時再生を3つくらいホールドしてずっと鳴ってる状態で。
同期してるわけじゃない、一応BPMが同じ、だけど別々のものが3つ鳴っていると。
日野:そうなんですよ。全部同じBPMで録ってたんですけど、ちょっと合ったり合わなかったり、それが繰り返されてて、聴きながらライヒっぽくておもしろいなと。で、「おもしろいな」と思っちゃったから、そのまま形になるかわかんないけど、さらに6時間くらいサンプリングし続けて。だから機材を手に入れた当時は、初期衝動で1日に12時間くらい打ち込みと録音を繰り返してましたね。組み合わせていったらおもしろそうなものができるなと、スタジオでアンプを通して鳴らしてみたりとか。
日野:あ、もうひとつ言うと、当時はラインを通して録音するってことも概念がなくて。普通はサンプラーからラインを通して、ミキサーに入れて、そのままパソコンで録音するとかが普通なんだけど、それがわからないというか、信じれなくて(笑)。やっぱりギターとベースをやっていた人間だから「とりあえずアンプを通さないと信じられない」という。だからアンプで音を作って、エフェクターを通してディレイをかけたりして。ギター・アンプとベース・アンプで同時に鳴らして、それをマイクでエア録りするという方法で。それがこのアルバムに入っている”Zurhyrethm”という曲です。まさにYPYの1作目なんですけど。
僕こういうの2度と作れないなと思うんですよ。偶然を必然的に起こすのがすごい重要だというか。だから最初は説明書を見ずにやる。ググらない。とりあえず自分の方法を探すっていうのがすごく大事で。偶然を起こすために間違った方法だなって直感でわかっていても突き進む。それが間違いだったって結果に終わるときももちろんあるけど、その人でしか起こりえないものが生まれる可能性を大事にしてます。新しい機材を使う時に絶対に調べないと、当たり前ですけどおかしなものが生まれるんですよ。
バンドのフィールドで活躍してきて、逆に電子音楽をやることによって気付いた、打ち込みの音楽のおもしろさってどこにみつけましたか?
日野:自動で演奏してくれるっていうすばらしさかな!最初はバンドしかなかったので、もちろん全部自分たちで演奏してて。実際に演奏しなくてもずっと鳴り続けてくれる。そうすると手はフリーになる。めちゃくちゃ単純な事ですがそれってすごく重要で、自分の手で演奏する事しか考えてなかった自分からするとそれだけで相当画期的なものだと感じたんですよね。「自分の手がフリーだからさらに他の音を重ねられるし、エフェクトもかけれる!」ってすごい興奮したんですよ。
他にも良かった点はあって、自分で弾いていたら、自分の想像のできるもののなかで起こるものしか表現できなかったんですよね。でも打ち込みというか電子音ってその時の偶然の発見でおもしろいものができるんですよ。適当に触ってたときに「あ、この音やばいから録音しよう」って、それでひとつの作品になる可能性だってあるわけですよ。特に僕の場合は、バンドでそれは難しくて、最初から終わるところまで展開をちゃんと作らないといいものが作れなくて。だからそういうちょっとした偶然ですごいものが生まれるんだなって可能性にワクワクしましたね。
逆にテクノ、DJを中心にやってる人間からすると、シーケンスで決まってしまう打ち込みよりも、やっぱりバンドの方が自由度を感じるという話はよくあります。僕は演奏家でもトラックメイカーでもないので、あくまで想像なんですが、今の話を聞いたところだと、やっぱりプレイヤーの人って弾いているときには「自分がやっている」という感覚が強いんじゃないかと。でも電子音楽の場合はある種客観的で、出ている音を俯瞰することができたりするのかなと思うんです。
日野:でも、バンドでも僕が全パートを作っているので、僕はバンドでも俯瞰している感覚はありますね。立ち位置的にプレイヤーというよりコンポーザーの気持ちというか、だから打ち込みになったからといって、感覚がものすごく違うように感じるかというとそこまではないんですよね。
僕は弾かなくていいんですよね。弾いてくれる人がいるほうが僕にとっては望ましい。外から音と曲をより客観的に聴いて判断できるから。
ちなみに今回のアルバムに収録する曲を作りはじめる前後で一番聴き込んでた電子音系の作品はありますか?
日野:金子(Shhhhh)さんのミックスはよく聴いてましたね。それはやっぱり最初のボアダムスからの流れというのが、なんだかんだいって僕には強かったから。ボアダムス、EYEさんからの流れあってそこから金子さんのを聴くとか。あとは初期の電子音楽、Bruce Haackだったり、Delia Derbyshireだったりは好きですね。
後者は今回のリリース元になるEM Recordsの系譜ですね。
日野 : やっぱりEM Recordsは本当によく聴いてましたね。
EM recordsとは1998年に南大阪で開設されて以来、オーナーの江村幸紀の類稀なる探求によってアーリー・エレクトロニクスからドローン、ジャズ、レゲエ、南米音楽、タイの歌謡曲にいたるまで横断的に、さまざまなリイシュー“も”リリースするレーベルだ。海外からも高い評価を受け、それこそFinders Keepersなどを彷彿とさせるオブスキュアな音楽の秘境を白日の下にさらしている。さて、さきほど「リイシュー“も”」と書いたが、このレーベルは過去の過去された遺産とともに、現在のこの国のアーティストたちもリリースしている。下北沢のSPヴァイナルの集積地、ノアルイズ・レコーズ周辺のアーティスト、COMPUMA、陰猟腐厭(いんりょうふえん)といったアーティストの作品がそれにあたる。これらのサウンドは、バイヤーたちのEM recordsへの信頼とともに海外のマーケットへと流れ出ている。
日野さんが参加しているプロジェクトってどれもコンセプチュアルですよね。特にgoatは完璧に構築されたミニマリズムみたいなものがひとつあると思うんですよ。さらにbonanzasはもっとダイナミックで、YPYはひとつにソロで電子音楽をやるというのがあると思いますが、表現の核となるコンセプトってなんですか?
日野:YPYは、いい意味で自由、なんでも好きなものを作れること、かな。最初の頃はヒップホップも作っていたし、好きなものを作る場という感じですね。
他のバンド・プロジェクトの中で、音楽的に聴くとgoatがある種ミニマリズムなので、ミニマル・テクノ的なアプローチのYPYに近いのかなと思うんですけど。
日野:難しいですね。僕は意識はしてないんですが多分それぞれが影響しあってる部分があると思ってます。YPYやってから作ったbonanzas用に作った曲はもうちょっと淡々とした曲だったりもするし。goatを作ったあと、YPYとして作ったものはめちゃめちゃミニマルになってた時期もあったし。そのときの気分なんですよね、本当に。気分ってすごい重要で、気分が乗ってるからそれを作ろうってなってる時が一番いいものができる気がします。「作らなきゃいけないから作る」と思うと無理があると思う。行松くんがやってるZone Unknownというイベントがあって、僕とDJのZodiakが一緒にレギュラーで出ているんですよ。で、その行松くんからは「そのイベントでは好きなことをしてくれていいから」と言われていて、それが僕にとってはすごく楽しいんです。正直イべントに合ってない音楽性のときもあったりすると思うんですけど。でも、やりたいことをやるぞってなったときのほうがおもしろいものができる。Imaginary Forcesの来日公演のときもJeff Millsみたいなのをやってしまって(笑)。
行松:でもそういうときはすごいいいんですよ。
さて、ここで日野浩志郎曰く「ライヴァル」というDJ、今回同席していた行松陽介にも登場願おう。いまや関西を飛び出して、関東にもその名を響かせはじめているDJだ。最近ではBlack SmokerからミックスCD『Lazy Rouse』をリリースするなど活動の場を確実に広げている。またYYPYYとして日野とともにリミックスも手がけるという。間違いなく、日野とともに、関西の現在のアンダーグラウンド・エレクトロニック・ミュージック・シーンをおもしろくしているひとりと言えるだろう。
行松さんから見たYPYの作品やライヴの魅力はどうでしょうか?
行松:そうですね、ロウハウスって感じのときもあるし、この前やったときはグライムっぽい感じがあったり。そういうときもグライムをやるんじゃなくて、そういうベース・ミュージック的なローの鳴り方とか。
さっき出た、行松さんがやってるイベントZone Unknownについて、簡単に説明して欲しいんですが。
行松:レジデントみたいな感じで日野くんとZodiakが出ていて、PAの人も含めてチームのような形。さらにゲストでShaped NoiseとImaginary Forcesとこの前はKamixloっていうアーティストを呼んだり。とにかくとんがったアーティストとやるというコンセプトで。
YPYは、いまの機材はどんな感じなんですか?
日野:録音とライブで違うんですけど、レコーディングは最近の作品は基本的にElektronのMachinedrum、アナログ・シンセサイザー、例えばTB303クローンのTT303だったり。あとはディレイかけたりのエフェクト類と宅と。ライヴは、場合によって変わるんですけどスタンダードなセットはカセットMTR2台でやっていて。
録音したマテリアルをミックスしたり?
日野:そうです、MTRでトラックごとに分けてるので結構おもしろいです。
このコンプがかかった音は完全にカセットのMTRの音ということなんですね。
日野:でも、ライヴセッティングは今年変わるかもしれない。今度はカセットをまったく使わないやり方も試してみようかなと思っています。もっといえばリズムが全然なくなるかもしれないし。
とはいえ、今回の作品を聴いていても思うんですが、日野さんの表現の中核にあるのってリズムなのかなってずっと思ってたんですが。
日野 : そうなんです。僕もリズムを作るのが1番楽しいし1番得意だと思ってるんですよ。でもなんというかいまはもっとフリーキーなリズムというのを求めていて。というのもそれぞれのシーケンスが全部バラバラで進んでいって、それぞれにリズムがある。でもそれが共存できるものを作りたいなと今考えてるんです。それが今の僕が1番興奮できるリズムかなと。
あとはYPYの背後には行松くんのような関西の今のDJカルチャーとのつながりもあると思うんですが、それは感覚的にも繋がってるなと感じますか?
日野 : ライバルであり、ともに戦ってる仲間っていうイメージはすごく強いですね。だからDJ見て悔しくなったりするし。
行松 : 彼には悔しいと思わせたいと思いながらやってます!
日野 : あとはいまの関西の絶対的な存在として僕はBing(カジワラトシオ)さんの背中を追いかけてます。最高に尊敬している人なので。
たしかに関西に移住されたBingさん、あとはもともと関西シーンの結びつきの強い金子(Shhhhh)さん。とくに自分なんかは日野さんもgoatも、行松さんもその存在は、金子さんから教えてもらったという感覚が強いです。
日野:僕はおふたりには目茶目茶影響されてますね。さっき金子さんのミックスを聴いてたって言ったんですけど、同じ時期にBingさんのコロンビアのミックスCDもすごい聴いていて。ある意味で土着的なものをよく聴いてたんですよね。それこそEM Records周りだとか。そこで自分なりに電子音の表現をするって気持ちはなかったけど、初期のYPYが作ってた音はやっぱりそこの影響がすごく色濃いんですよ。Bingさんと金子さんのDJを通した、土着的なものが僕の作品の隅々に間違った方向で消化されて現れていて(笑)。さらにBingさんがモジュラー・シンセの表現に変わって、さらに関西にきて。ライヴを見るたびにいつになったらこの人に追付けるんだろうって思ったりして本当に絶対的な存在ですね。もう金子さんと2トップで。
僕は、いま関西の現場に行ってないからよくわからないんですが、関西っていまおもしろい動きができてるんじゃないかなと、行松さんとか日野さんの活動をみているとちょっと妄想してしまいます。
行松:そういう風に感じてくれる人が増えてきていること自体が何か生まれつつある確かな証拠なのかなと感じます。っと面白くなるんじゃないかという予感もあります。
日野:僕も感じますね。
そういう時期に、おふたりとも、ほぼ同時に作品をリリースしました。そして出自もアプローチも違った音楽をやっていながら、近い場所にいたり、お互いを同志だと思っている。そういう混ざり合いがおもしろいのかなと。
日野:そうですね。お互いなにをしはじめるか、さらになにが起きるかわからない空気があるようにも感じます。
行松:やっぱり「なにこれ」という予想外を求めていて。やっぱり聴いたことがないものを聴きたいという思いがあって。人がやってるものを僕らがわざわざやる必要はないんですよね。やっぱりすごい音が聴きたいです。
日野:聴いたことがないものが生まれる可能性にゾクゾクしてる部分はあると思います。関西はとても小さなシーンではあるんですが、みんなどんどんソリッドになっていってて。お客さんもそれを求めてる方が増えているように感じるんですよね。それって僕にとっては心地良い状況で、いままでは尖ったことをやろうとしても誰もついてこないなって感じだったんですよ。
『Zuryrethm』の表題曲のように完全に初期のものも入っていたり、最近のものも入っていたりするんですよね。いままで作ってきたまったくバラバラなマテリアルをEM Recordsの江村さんと行松くんがまとめたとのことで、そのまとめる過程はどうでしたか?
日野:曲が多くて。
行松:僕はCDを6枚くらい渡されて。
CD6枚分ということは最低でも6時間はあるってことですよね。
行松:そうですね、僕は年末年始にそれをずっと聞かなきゃいけなくて(笑)。
ちなみに、これまでカセットや海外からのリリースをしてきたYPYがアルバムを作った理由は?
日野:一昨年くらいに江村さんと一緒に同じイベントに出演したことがあって。その時僕は江村さんにgoatの音源を渡してたんですけど、YPY自体は渡してなかったんですよ。その時に感想をくれてそのあとは音沙汰なかったんですがNewtoneの斎藤さん(斎藤ヨシヤス、DJ Mongooseとしても活躍するNewtone Recordsオーナー)に「いつかEM Recordsから出せたらいいな」と軽く言っていたんです。江村さんが「誰かおもしろい人いない?」と、斎藤さんに相談してYPYを勧めてくれた、という経緯だったような気がします。
日野:それから、突然EM Recordsの江村さんから電話がかかってきて。「出しましょう」ってなって。「出すって言ったら出すから、絶対に約束は守る」と言っていて。そこから曲を送り続けて。でも曲を送るほどに江村さんの好みがなにか全然わかんないんですよ。「これがいいなら、これもかな」って送るとスルーされるみたいな(笑)。リクエストされて録音してたものからさらに違うパターン5つ分くらい作ったりもして。絶対これが1番いいと思ったやつを曲のリストの最初に置いたりしたんですが、また江村さんはそれスルーして「え! これ本当に入れるの?」みたいな曲を選んだり。
行松:3曲ぐらい江村さんが選んでたのかな。
日野:うん、はじめの時点で決まってたかな。
行松:あとは僕が選んだのも結構採用されてて。
じゃあその3曲はなんかあるんでしょうね。
日野:僕にはその基準が全然わかんないですけどね(笑)。最初順番も決まってないまま聴いたときは「これまとまりのないアルバムだな」と我ながら思ったんですよ。でも12インチ2枚組っていうフォーマットで出すと言われた時にすごいしっくり来て、さらにCDで通して聴いたときに、いい意味でEM Recordsっぽいなと。内心はEM Recordsに合うものを作れないんじゃないかと思ってたんですけど最終的に江村さんのパッケージング能力、編集力の凄さを感じました。
行松さんは選曲に関してはどうでしたか?
行松:僕は個人的に自分でDJで使いたい、12インチで出て欲しいなっていう基準で選びました。それを人がどう思うのかはわかんないんですけど、土着的な感じ、未来感、ジャケットも含めたなんとも言えないトータル・イメージができ上がったんじゃないですかね。
日野:未来でも過去でもないし、それこそ土着的な部分とエレクトロニックな部分の融合もちょっと感じるというか。「一時のブームには流されない」と江村さんは言っていますが、『Zuryrethm』はまさに時代性を感じない作品になったと思います。
行松君から見て日野さんの音楽家としての魅力はどこですか?
行松:コンポーザーとして単純にすごいなと思います。goatも拍子が全く読めないんですよ。なんでこんなにずっとハイハットやってるのにユニゾンでみんな入ってこれるんだろうってもう未だに謎で。数えてるんでしょうけど数えれない。
日野:うちのドラムがよく言ってるのが「すごい難しいことやってるのに聞こえがポップなのは逆にすごいし損でもある」って(笑)。難しいことを難しく聞かせるのって簡単なんじゃないかなって思うんです。どこかでわかりやすさがないといけなくて、それをどこに持っていくかで、作品が単純で深みがないものになるか、わけわかんないけどなんかすごいってものになるかが決まるんじゃないかなと。
YPYは、2016年7月16日〜18日にかけて長野県は湯の丸高原にて開催されるフェスティバルruralに出演します。
Comments loading