柴那典(以下、柴) 今回は「オバマと加害者の歌」というテーマでいきましょう。
先月オバマがアメリカ大統領として初めて広島を訪れましたが、その時のスピーチが非常に素晴らしかった。
大谷ノブ彦(以下、大谷) 良かったですよね。
柴 大谷さん的にはどうでした?
大谷 やっぱりアメリカという国の代表として、広島で話したことに意味があるんじゃないかなと思いましたね。「どうせスピーチライターが書いたスピーチだ」なんて批判があったけど、それは的はずれだなって。
個人の意見ではなくて、チームであのスピーチを作って、それを総意として語っているわけですから、それに意味がある。
柴 あれを書いたとされるスピーチライターのベン・ローズは39歳らしいですよ。
大谷 若い! でもちゃんと能力のある若手を使うのもさすがですね。スピーチを作る人がいて、今オバマがそれを言うことによって、どのような社会情勢になるかというところまで、想像していた。
そう思うと日本の今の政治家やマスコミの失言騒動とかはチンケだなって。
柴 そのとおりですよね。何か問題を起こすと、みんなで揚げ足を取って、リンチ状態になる。そして全部が個人の責任になって、その個人が責任をとって辞める。
大谷 ほんとそれ。柴さんはどうでした?
柴 僕がすごいなって思ったのは、初めて加害者の立場に立ったということ。戦争が暴力を正当化してしまうということを「私たちは」という主語で語った。
今まで広島や長崎の原爆をめぐる問題ってどうしても被害者からの視点や言説が多かったし、あらゆる社会問題でもまずは被害者が口を開くじゃないですか。
大谷 たしかにね。もうこれは社会問題だけじゃなくてSNSに関してもそうですよね。みんな被害者の立場から発信する。
柴 でもオバマは初めて加害者の立場に立ってスピーチをした。それってすごく歴史的なことだと思います。
大谷 なるほどね。
柴 そこで思ったのが、今のポップミュージックで加害者の立場に立っているアーティストは果たしているのか?っていうことなんですよ。
大谷 すごいな、その視点。被害者しかいないよ!
柴 そう思うでしょ? でもいたんですよ。加害者の立場に立っているアーティストが。
大谷 マジすか? だれだれ?
柴 アノーニというアーティストです。この人の『HOPELESSNESS』というアルバムは僕の上半期ベスト、今年一年でもベスト5 に入ると思います。この「Drone Bomb Me」という曲を聴いてみてください。
大谷 これはどういうことを歌っているんですか?
柴 歌っている内容は曲名の通り「Drone Bomb Me」。つまり「ドローン爆弾が私を爆撃する」と歌っている。
私の上にドローン爆弾を落として
山の向こうに吹き飛ばしてほしい
山の向こうの海の中へ
私をこの山腹から吹き飛ばして
頭をこっぱみじんにして
ガラスの内臓を爆破して
血まみれの私を草の上に横たえてほしいの
「Drone Bomb Me」より
大谷 ショッキングでダークな内容ですね。
柴 これは完全に被害者の視点なんですけど、同じアルバムに「Crisis」という曲があって、そこでは加害者になっているんですよ。
もし私があなたの父親を
ドローン爆弾で殺したら
あなたはどう思う?
「Crisis」より
柴 同じアルバムに入っている「4 DEGREES」という曲も素晴らしくて。「4 DEGREES」とは気温の4℃という意味で、地球温暖化について歌った曲なんです。
柴 地球温暖化をテーマにして曲を作りなさいっていったら、たいてい「地球は緑の星だ」とか「地球はみんなのもの」とかやりがちじゃないですか。
大谷 やるやる。
柴 でもアノーニは違うんですよ。まったく逆で「たった4℃温度が上がれば、地球は干上がるから、私はその風景を見たい」と歌っているんですよ。
私は見たい
この世界が煮えるさまを
気温が4℃上がるだけでしょう
犬が水を欲しがって吠えるのを聞きたい
魚が腹を見せて海に浮かぶのを見たい
キツネザルやああいう小さな生き物たちが
灼けて死んでいくのを見たいの
「4 DEGREES」より
大谷 すごい、完全に加害者の歌なんだ。
柴 うん。加害者の歌なんだけど、そう歌うことで告発できる。つまり、事実をより効果的に伝えることができるんですよ。
大谷 なるほどね。歌詞もすごいけど、サウンドも最高ですね。
柴 そうなんですよ。サウンドを作ったのは、過去の心のベストテンでも登場したハドソン・モホークと、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーという、どっちも今一番先鋭的なエレクトロニック・ミュージックを作る人。
大谷 へーっ! すごいですね。
柴 このサウンドがまた強力なんです。歌詞はダークでシリアスで、ビートに迫力があってシンセに緊迫感があって、でも曲自体はちゃんとポップなエレクトロニック・ミュージックになっている。
大谷 こういうのがちゃんとアメリカで聴かれているんでしょ? これを聴く層がいるってことがすごい。
柴 そうですよね。こういうアーティストがいて、それを受け入れるマーケットがあるアメリカはさすがだと思います。
大谷 だってこれを日本人がやったら、政治的なことを音楽に持ち込まないでくれってSNSで攻撃されるよね(笑)。
柴 間違いなくされますね。最近でも奥田愛基さんと津田大介さんがフジロックに出演するだけで、音楽に政治を持ち込むなよって騒がれていましたもんね。
大谷 そう考えるとすごいですよね。アメリカのポップミュージックの懐の広さは。
銀杏BOYZが歌う、生きることの罪深さ
柴 で、あえて言うならば、日本で唯一「加害者の歌」をやれているのが、銀杏BOYZなのかなって思うんですよね。
大谷 なるほどね!「生きたい」なんてまさにそうなのかもしれない。
柴 そう。生きることの罪深さの歌だと思います。
大谷 「生きるということが罪なのだとしても、愛する者のために生きたいと願うのだったら、その罪を抱きしめようよ」ってね。
柴 この間、VIVA LA ROCKに銀杏BOYZが出てたのを見たんです。久々に大きなフェスのトリだった。
大谷 そうでしたね。僕も裏のステージでDJ やっていました。
柴 そこで、曲が終わったあとにお客さんが「ありがとう」って叫んだんですね。そしたら峯田くんは「ありがとうなんて言わないでくれ」と返して。歌っていること自体がそもそも罪深いし、おこがましい。だけど自分は歌を歌うしかないんだって。だからありがとうなんて言わないでくれって言っていた。フェスのヘッドライナーで歌いながら、自身の罪深さに思いを馳せる人は峯田くんぐらいしかいないですよね。
大谷 ただ気になるのが、この曲あんまりヒットしていないですよね?
柴 うん。そうかもしれない。
大谷 それもね、ちょっと今の時代について考えるところです。銀杏BOYZにはもっと売れてほしい、もっと世の中に広がってほしいなって思いますね。
柴 少し話が変わるんですけど、よくJ-POPの歌詞に「背中を押す」という表現があるじゃないですか。
大谷 背中を押してくれる歌、いわゆる応援ソングってこと?
柴 そうそう。僕はいつもその表現を聞いた時に「その背中を押そうとしている相手は、ひょっとしたら電車が来る直前のホームの端っこに立っているかもしれない。そういう想像力は持っているのかな」と思ってしまうんです。
大谷 なるほど。
柴 歌はそういう罪深さを持っているものでもあるんじゃないか、って。
大谷 たしかにね。そう思うと、歌だけではなくて、アノーニや峯田くんが言うように、誰しもが生きているだけで加害者になる可能性がありますよね。
柴 でもだからって応援ソングが悪いと言いたいわけではないんです。
大谷 そうね。どっちがいいかいう話ではない。こういう話をしていると「J−POPクソ、峯田くん最高!」といったイデオロギーの話になりかねないんだけど、そうではなくて、それぞれに魅力があるってことだよね。それはすごく大事。
柴 うんうん。もちろん真っ直ぐにJ-POPの応援ソングを受け取って勇気づけられている人の姿だって想像できるわけですからね。
イジるお笑いの罪深さ
大谷 歌が人を傷つけているかもしれないという話を聞いて思い出したんですけど、僕、お笑い芸人をずっとやっていて、最近すごく肌身で感じることがあるんです。
柴 え、なんですか?
大谷 この1、2年、自分が相方の大地のデブいじりとか、誰かを容姿でいじらなくなってきたのを感じるんです。これはもうウケないなって肌感で感じていて。要は誰かをバカにする笑いが、お客さんに響かないの。
柴 あー。わかる気がします。
大谷 これね、芸人としては試されてるなって思うんです。
柴 「いじられておいしい」っていう感覚もこの先は古くなっていくかもしれないですね。それで言えば、ハリセンボンの近藤春菜さんの鉄板ネタがアリアナ・グランデに通じなかったという話、知ってます?
大谷 え、なになに?
柴 アリアナ・グランデが来日して春菜さんと一緒の番組に出た時に、いつもみたいにいじられて「シュレックじゃねぇよ!」とか「マイケル・ムーアじゃねぇよ!」ってツッコむくだりをやっても、彼女はそのネタでまったく笑わないんですよ。通訳が説明しても通じない。
大谷 あ〜。そういうのが、もうアメリカではとっくに笑えなくなってるんだ。
柴 そうそう。しかも、アリアナ・グランデはCM中に「あなたは本当に可愛いし、マイケル・ムーアやシュレックに似てるなんて私は思わないから」ってマジで春菜さんにフォローしたらしいんですよ。
大谷 これは今のアメリカの多様性を象徴するような出来事ですね。
柴 アメリカのミレニアル世代はもうそういうことじゃ笑えないんですよ。人種と文化の多様性を尊重する環境で育ってるから。
大谷 日本もそうなっていくでしょうね。一方で芸人の側には「俺らは身を削って、いじられてナンボなんだよ」っていうマッチョな思想がまだまだ残っているんですけど、そういうのがこの先通用しなくなるかもしれない。
柴 笑いの構造って、一つの「標準」があって、その標準からズレたものを指摘したときに笑いが生まれるというのがありますよね。
大谷 ボケとツッコミはまさにそれですね。違和感を作り出す人とそれを指摘する人の組み合わせ。
柴 だから「いじり」も笑いになっていたわけだけど、人のあり方が多様になって何が標準かわからなくなったら、それがだんだん成立しなくなっていくんじゃないかと思うんです。
大谷 でも、今はまだそれが日本のお笑いの主流ですから。それも最近のテレビ現場では芸人同士がいじっているんじゃなくて、VTRで変わっている人を演出してイジるのが多くなってきているんです。
柴 というと?
大谷 例えばカラテカの入江を呼んでコンパ術を聞くというVTRがあったんですけれども、入江が一生懸命しゃべっている途中に「話が長いのでここまで」っていうテロップが出てきて、終わるんです。これは完全に制作側がVTRで「話が長い」というツッコミを入れているんですね。
柴 なるほど。たしかにそういう場面はたくさんありますね。
大谷 だからいじられる方は、被害者になるよりも、突き抜けた変人になる必要があるんです。VTRでもツッコミをいれやすいように。こんなうるさいジャケットを着ているのもそういうことですから。傷つくのは俺だけでいい(笑)。
柴 そういう意味ではオリエンタルラジオの「PERFECT HUMAN」は今の時代をうまくキャッチしていますよね。誰もけなしてないし、自分から変人になりにいってる。
大谷 たしかにね! 音楽もかっこいいし、ちゃんとお笑いとして成立している。
柴 お笑いの世界はこれからどんどん変わっていくでしょうね。
大谷 そうですね。いやあ、今回は深かった! かなり深く踏み込んだ話でしたね。
次回「東のオシャレ代表『Suchmos』VS西のツッコミ代表『岡崎体育』」は7/12(火)更新予定!
構成:田中うた乃