【THE ATHLETE】聖地でフェデラーと対戦…世界772位“太った負け犬”マーカス・ウィリスの挑戦

オピニオン コラム

ロジャー・フェデラー(左)とマーカス・ウィリス(2016年6月29日)
  • ロジャー・フェデラー(左)とマーカス・ウィリス(2016年6月29日)
  • マーカス・ウィリスを祝福する人々(2016年6月27日)
  • マーカス・ウィリス 参考画像(2016年6月27日)
  • マーカス・ウィリス 参考画像(2016年6月29日)
  • マーカス・ウィリスを応援する家族たち(2016年6月29日)
  • マーカス・ウィリス 参考画像(2016年6月29日)
  • マーカス・ウィリス 参考画像(2016年6月29日)
6月29日のウィンブルドン選手権男子シングルス2回戦、超満員の観客席は異様な盛り上がりを見せていた。彼が1ポイント取るたびに耳をつんざくような歓声があがり、初めてゲームをキープしたときは総立ちになった。

それらすべてが世界ランク3位のロジャー・フェデラーではなく、ネットをはさんでフェデラーと対峙する無名の男に贈られていた。マーカス・ウィリス、25歳。世界ランクは772位。普段は地元のテニススクールで主に子ども向けのレッスンを担当している。

本来ならATPツアーには参加できず、その下のチャレンジャーやフューチャーズを回っているランキングの選手だ。それが英国内プレイオフを勝ち上がり予選出場、さらに予選3試合に勝利して本戦に駒を進めてきた。

これだけでも話題性十分だが、1回戦で54位のリカルダス・ベランキスに6-3、6-3、6-4で勝利。ウィンブルドンのセンターコートでフェデラーと戦う権利を得たことで一躍時の人になっていた。


ベランキスに勝ったマーカス・ウィリス (c) Getty Images



ウィリスの勝利を喜ぶ人々 (c) Getty Images



何より人々を惹きつけたのは彼が背負っているストーリーだった。

■自ら「太った負け犬」と振り返る日々

ジュニア時代のウィリスはウィンブルドン・ジュニアで2年連続の3回戦進出、ジュニア世界ランキングでは最高15位を記録したこともある、それなりに将来を嘱望された選手だった。


マーカス・ウィリス (c) Getty Images

だが度重なるケガとモチベーション低下によりプロ選手としては芽が出ず、栄光とは無縁の日々を過ごす。太ももの筋断裂2回、さらに今年の初めにはヒザも痛めた。体重もベストな状態から大幅に増え、つらい日々だったとウィリスは語る。

「今年の初めはとても苦しかった。ベッドから起き上がるのも億劫で、モチベーションを見つけることができないでいたんだ。人生の敗残者になってしまった気分だったよ。鏡に向かって『お前はもっとできるはずだろ』と語りかけた」

■恋人の応援で引退を撤回

1月にチュニジアで行われたフューチャーズ大会を途中棄権したあと、ウィリスは米国フィラデルフィアでコーチ業に専念する予定だった。

「僕にはフィラデルフィア行きのオプションがあった。固い決意ではなかったけどね」

その彼を競技選手としてテニスに引きとどめたのは、恋人のジェニファー・ベイトだった。ふたりは当時まだ出会って間もなかったが、互いに好印象を抱いていた。そして彼女はウィリスがテニス選手としての自分に見切りをつけ、米国へ行こうとしているのを知る。

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Marcus Willisさん(@willbomb90)が投稿した写真 -


テニス好きだったジェニファーの兄が彼女に言った。「あいつは大したやつだよ」と。こんなものじゃないはずだ。そしてジェニファーもウィリスを信じた。

「彼女に言われたんだ。『あなたは馬鹿よ。テニスを続けなさい』って。だから辞めなかった」

その彼に転機が訪れた。ウィンブルドン予選出場権をかけた英国内プレイオフに招待されたのだ。ウィリスは最後に滑り込みでの招待だったが、見事に勝ち抜いてウィンブルドン行きのキップを手にする。

■映画のような物語はクライマックスへ

そうしてつかんだ夢舞台でウィリスはフェデラーと対戦することになった。もし、ウィリスの対戦相手がほかの選手だったら、この物語はここまで感動的なものに仕上がっただろうか。

史上最も完成されたプレイヤー、ウィンブルドン男子シングルス最多の7度優勝、そして誰もが認めるテニス界の人格者。彼が相手だからこそ物語は最高のクライマックスを迎える。


ウィリスを応援する家族たち (c) Getty Images

第1セットのウィリスはトップ選手のスピードについていけない。緊張からかサーブが入らず、1ゲームもキープできないまま0-6で落としてしまった。プレイオフも含めてこれが8試合目のウィリスは、左肩のマッサージを受けるなど体調にも不安があった。

第2セットはファーストサーブが入り始め、プレーにも落ち着きが出る。それでもフェデラーのサービスゲームを破るまでには至らない。チャレンジャーやチューチャーズの大会ならスーパーショットになっているはずのボールが、次々に自分のコートへ打ち返される。

後がなくなった第3セットはウィリスも食らいつく。観客の応援を力に変えてフェデラー相手にゲームをキープし続けた。しかし、終盤にブレークを許し、取り返すことができないまま敗れた。


ウィリスもブレークポイントを握る場面はあった。だが、そこで一段、二段上のギアをフェデラーは持っていた。

2004年の英国映画『ウィンブルドン』のような、と、ウィンブルドン公式サイトも紹介したウィリスの挑戦は、ここで一旦幕を閉じることになる。

■敗戦後に見せた闘う男の顔

夢舞台を去ることになったウィリスだが、これで選手としての挑戦を終える気はない。彼は2017年に再びフルタイムのプロ選手として本格復帰を果たそうとしている。鈍った心身を鍛え直して今度は本気でランキング100位以内を目指すつもりだ。

「ランキングで100位以内に入りたい。そのためにはテニスをさらに改善する必要がある。そしてトップ100に入れたら、次はトップ50目指してリセットする。常にゴールポストを動かし続けなければならない。僕はここから踏み出さなければいけないんだ。僕が満足する瞬間は、世界772位のままでいる瞬間だよ」


マーカス・ウィリス (c) Getty Images

夢物語のような成功がこれから先も訪れる保証はない。そんなことはウィリス本人が一番良く分かっている。それでも彼は新シーズンが待ちきれない。

「プロテニスの現実は、とてもとても過酷だ。だけど僕は楽しみにしているよ」

それだけの対価を支払う価値がこの世界にはある。楽しいだけのテニスでは得られない感動や興奮をウィリスは知ってしまった。

試合中も常に笑みを絶やさなかったウィリスだが、戦い終えてベンチに戻った彼の顔には悔しいという感情が浮かんでいた。もっとフェデラー相手でも何かできたんじゃないか。これが本当に自分の全力なのか。この数年間、自分は何をやってたんだ。

その感情が残っている限り、ウィリスはもう負け犬には戻らない。




大観衆の拍手に応えてコートを去るウィリス (c) Getty Images

《岩藤健》

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