小学校の卒業文集で「ジョージ・マイケル」を
高橋尚子がシドニーオリンピックのマラソンの前に愛聴していたことをきっかけに、hitomiが「LOVE2000」で再ブレイクを果たして以降、「スポーツ選手が何を聴いて集中力を高めているか」が頻繁に問われるようになった気がする。今年発売された浜崎あゆみ『A BEST -15th Anniversary Edition-』には浅田真央が寄稿しているが、彼女はかつて、好きな音楽を問われて「J-POP」と範囲の広すぎる回答をしたこともあるし、DREAMS COME TRUE「何度でも」と答えることもあるようだから、特定の誰かというより実際にJ-POP全般が好きなのだろう。
谷(旧姓・田村)亮子は、小学校の卒業文集のアンケート欄にある「好きなタレント」の項目に、「ジョージ・マイケル」「レベッカ」と書き残している。この度、彼女の母・和代が書いた『亮子、起きんしゃい』、高校時代の恩師・園田義男『克って勝つ 田村亮子を育てた男』、西日本新聞社『初恋金メダル 田村亮子 栄光への道』を併読してみたところ、彼女の音楽遍歴が浮き上がってきた。今、彼女の音楽遍歴を事細かに伝える需要があるとは少しも思わないのだが、たとえ需要がなかろうと、供給するこちら側の準備が整ったのだから、受け止めていただくことはできないだろうか。
初の五輪ではチャゲアスではなくLINDBERG
ジョージ・マイケルとレベッカの後に好きになったのはCHAGE & ASKAである。田村は、1991年6月の全日本体重別選手権で初優勝したことをきっかけに世界へ羽ばたいていくが、この試合前に聴いていたのがチャゲアスだった。雨の降るなか、会場となる代々木第二体育館に入ってきた時から、田村はイヤホンを耳に入れていた。前年に出ていたアルバム『SEE YA』か、87年にリリースされて以降、ロングヒットを記録していたベスト盤『SUPER BEST』辺りだろう。
瞬く間に世界にその名を知られる存在となった田村は、翌92年のバルセロナオリンピックで銀メダルを獲得する。この時に聴いていたのはチャゲアスではなくLINDBERG「Over The Top」だ。恩師の園田曰く、この曲は「亮子のために作詞作曲してくれた曲だという。幸せ者だと思う」とのこと。歌詞を確認すると「小さな体に 秘めてる勇気」「その手につかめ Over The Top 金色のカギ」とある。
1996年の安室奈美恵
同時期には、中村あゆみにもハマっていた。レベッカ、チャゲアスを経て、中村あゆみやLINDBERGに行き着く辺り、ロック志向が強かったといえる。しかし4年後の96年、アトランタオリンピックの頃に聴いていたのは安室奈美恵だ。オリンピックの試合前、安室を聴きながら、「軽くジャンプをしたり、屈伸運動を繰り返していた」という。95年後半から96年夏にかけては、安室が「Body Feels EXIT」「Chase the Chance」「Don't wanna cry」「You're my sunshine」と立て続けにヒットを飛ばしていた時期である。田村は安室の何を聴いていたのだろう。
それらの曲が全て収録されているアルバム『SWEET 19 BLUES』がリリースされたのは96年7月22日。オリンピックが始まったのは7月19日、柔道競技が始まったのが翌20日のこと。となると、谷亮子は『SWEET 19 BLUES』を購入することができないから、シングルCDを集めてオリジナル編集のカセットでも作らない限り、95年末に出ていた『DANCE TRACKS VOL.1』を聴いていたことになる。しかし、決めつけるのはまだ早い。彼女が出場した女子48kg級が行なわれたのは柔道競技最終日の26日のことである。ギリギリまで自国で調整する選手もいるだろうから、日本を発つ日程によっては、『SWEET 19 BLUES』だった可能性も捨てきれない。
成田空港内でMDを4枚購入
こんな意見が聞こえてくる。大事なオリンピックの試合の前に聴く音楽を、買って数日の音源から選ぶはずがない、と。そんな意見は想定済みだ。だが彼女の場合に限って言えば、買ったばかりの音楽を聴いていた可能性があるのだ。というのも、4年後の2000年、彼女はオリンピックの開催地であるシドニーへ向かう飛行機に搭乗する直前、成田空港内のレコードショップに立ち寄りMD4枚を購入している。録音用ではないパッケージ商品としてMDが売られていた時期は極めて短期間だったはずだが、彼女はあえてMDを買った。ポータブルCDプレイヤーより軽い、試合前の持ち運びの良さを重視したのだろうか。
購入した4枚のMDの合計金額がなんと「11111円」となり、彼女は「試合が(決勝まで)5試合くらいだから、全部1本勝ちできればいいですね」と語り、1週間後、見事に金メダルを獲得した。このように、かなりギリギリに音源を購入するタイプであることを考えれば、96年の安室奈美恵は『SWEET 19 BLUES』だったのではないか。しかし、よく調べてみれば、彼女はアトランタオリンピックの開会式の旗手を務めている。ということは遅くとも19日にはアトランタ入りしている。レコード会社がサンプル盤を送りつけている可能性はあるが、『DANCE TRACKS VOL.1』か、もしくはオリジナル編集のカセットテープだったということになる。以上、谷亮子の音楽遍歴でした。
「時間の無駄だよ」としか思えない記事
少々前に、初見の同業者と対話していたら、ほとんど意見が合わなかったのだけれど、その人はライターとして、読者に「読んで良かった」と思ってもらえるものしか書きたくないし、「読んだ人の心を揺さぶるものしか書きたくない」というのである。こちらが「でも、毎回そういう記事ばかり書けるはずがないし、興味が湧かない題材の場合は、無理やりポジティブな感情を乗っけて書くのですか?」と意地悪な質問をすると、ちょっと蔑んだような目でこちらを見て「精一杯気持ちを込めようとする。それは嘘ではない」と言う。
本当にそうだろうか。モノを書くって、そんなに便利でドラマティックなことなのだろうか。なかなか賛同できないのだが、でも確かに、昨今、そういう記事が目立っている気がする。個人的には、もっともっと、読み終わってもなお、「は? だから何?」「時間の無駄だよ」としか思えない記事があっていいと思うし、今回はそれを実践してみたつもりではある。
(イラスト:ハセガワシオリ)
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