前にも書いた気がするけれど、また書いてみる。
この本には、子供が書いた遺書だけが掲載されている。
遺書のコピーと、原文ママの文章と、子供の居住地と年齢。
ただそれだけで一冊の本になっていた。
私はこの本を中学校の図書室で見つけた。
最初は、背表紙のタイトルだけで怖くて手に取れなかった。
ある日、恐る恐る最初のページを開いてみた。
拙い文字が、並んでいた。
私はドキドキしながらその本を借りた。
その本を借りるのを人に見られるのはまずい気がして、図書委員の自分が貸し出し当番の日にこっそり借りた。
それぞれのページの隅には「未遂」か「既遂」と書かれていて、14歳の私はキスイって何だろう?と思ったが、未遂ではないのだから死んだという事だとすぐに理解した。
遺書を書いた子供の中には、死にきれなかった子もいたのだった。
「未遂」だと、ああよかったねとホッとして「既遂」だと心の中に黒くてずっしりと重たいものが蓄積していった。
私はその本を返却したり、また借りたりを繰り返して何度も読んだ。
死にたいと思っていたわけではない。
その当時は、勉強は嫌いだったけれども友人もいて恋もして、学校生活は楽しかった。
家が修羅場であったから、むしろ学校にいる間の方が安らげた。
それなのに、このようなタイトルの本を持ち歩いている事を周りが気付き、不気味がった。
「何その本?」
「子供の遺書ばかりを集めた本だよ」
「なにそれ気持ち悪くないの?」
「結構面白いよ」
面白い、というのはもちろん面白おかしいという意味ではない。
この子達は、死にたくなかったのにどうして死を選ばなければならなかったのか?
それを事細かに書かれたものは、ひとつもなかったように思う。
文字の大きさ、筆圧、震え、行間、筆致…
これらから推し量るしかなかった。
そして、たとえ何かが解ったとしても、死んでしまった子供はもう二度と帰らない。
こんな本をタンポポが読んでいると、友人が言ったのが先か、私が自分で言ったのが先か忘れたが、担任にこの本について訊かれた事があった。
担任は「書評で読んだから、この本を知っている。もう読むのはやめなさい。」
と言われた。
その頃には私はもう十分に読んでいたから、解りましたと素直に応じていた。
私に希死念慮があったわけではなかった。
けれども、この本に惹き込まれてしまう自分を誰かに解って欲しかったのだと思う。
「助けて」と言葉に出来ない何かを抱えていると、誰かに気付いて欲しかったのだと思う。
ぼくは死にたくなかった。
でも、死んでみようと思った。
やってみたら、死んでしまった。
やってみたけど、死ねなかった。
あの時、死んでしまえばよかった。
あの時、死ななくてよかった。
死にたいと思う事なんか、誰にだってある。
あの本に掲載された、自殺をした子供の最年少は12,3歳くらいで、その年齢がセンセーショナルだったと思う。
当時、子供の自殺は進路関係の悩み等で、中学生や高校生達だった。
小学生は、自殺をしないものと言われていた。
けれども最近は、小学校低学年の子供までが自殺をしたニュースがあって、そんな所にも変わっていく現代社会を考えてしまう。
私が子育て中には、いじめの自殺が多く連日ニュースになっていた。
私は子供に「自殺はダメ。絶対に。」と言い続けた。
子供は「どうしてダメなの?」と言う。
私は「人が死んだら天国か地獄に行く。悪い事をすれば必ず地獄に行く。
自殺は悪い事だから、それまで良い行いの人でも地獄行きになる。」
と、真顔で説明した。
全て口から出まかせである。何しろ私もまだ死んだ事がないのだから。
この説でいけば、私は嘘つきの刑で地獄行きだろう。
刷り込みとはすごいもので、子供は思春期も大人になっても信じた
「自殺をすれば地獄行き」
が、何回かあった死にたい願望にブレーキをかけた。
生きる事が苦しくなって死を選んでも、死んだ後も苦しみが待っているのだとしたら?
どうせいつかは誰もが死ぬのだから、自ら命を絶つなんて勿体ない。
病気や不慮の事故、災害の犠牲になった人達、皆がもっと生きていたかった。死にたくはなかったのだ。
そんな言葉も響かなかったのに
「自殺は地獄行きだよ。母ちゃんは自殺なんか絶対にしないから、もうあの世で母ちゃんに会えないからね」
と言えば、わんわん泣いて思い留まった。
自殺はしてはいけない。
母は、あなたにこの世を儚んで自死を選ばせるために
腹を痛めて、命がけであなたを産んだのではない。
自死家族の方々は気分を害されたかも知れませんが、自分の思う事だけを書いていて、特定の誰の事でもありません。