社会をはみ出さずに生きれていける、普通の人間のくせしやがって

二十七歳、ハガキ職人も辞め、ほそぼそと笑いの仕事をしながらのバイト暮らし。流れ着いたのは、大阪は難波の道頓堀川沿いにあるクラブのアルバイトでした。心を殺して働きながらも、笑いへの憧憬と葛藤が、ツチヤさんの脳裏によぎるのでした。
他を圧倒する量と質、そして「人間関係不得意」で知られる伝説のハガキ職人・ツチヤタカユキさん。その孤独にして熱狂的な笑いへの道ゆきが、いま紐解かれます。

先輩方からバトンを受け取り、ハガキ職人として笑いにしがみついて3年。
24 歳になって、ハガキ職人の晩年を自覚し始めていた頃だ。

『アメト—ク』を見ていたら、「ラジオ芸人」というテーマで、あの人が出ていた。
何気なく見ていると、あの人は突然、僕の話をし始めたのだった。

「ツチヤタカユキっていうハガキ職人がいて、放送作家にスカウトしたら、“人間関係不得意”って断られた」という話だった。

時間にするとたった 3 秒間くらいだったけど、僕の名前が地上波で流れた。
その 3 秒間のために、僕はずっと、このどうしようもない日々を生きてきたような気がした。

お礼のメールを書こうと思った。

僕は、パソコンを開いてメール画面を開くが、何を書いたらいいのか分からない上に、緊張で手が震えた。
頻繁に指が止まる。
文章がなかなか前に進まない。

「オレは何を一番伝えたいんやろう?」
しばらく考え、そして、打った。

『ありがとう御座いました』

それから今までのことを書いた。

できるだけ明るく簡潔に、悲壮感や絶望は全部排除して、今まで 3 年間ラジオでネタを読んでくれたことや、テレビで名前を言ってくれたこの 3 秒間が、どれほど自分の救いになったかを綴った。

それが一番伝えたいことだった。
そして、もう一つ伝えたいことがあった。

あの人は昔、放送中に「ツチヤと漫才を作りたい」と言って下さった。
その言葉がどれほど、うれしかったか。
吉本を辞めてから、難波を徘徊していたあの頃には、まさかそんなことを言ってもらえる日が来るなんて、夢にも思わなかった。

意を決して、僕は次の文章を打った。

「『漫才を一緒に作りたい』と言って下さっていましたが、もし、あれが本気で、もしまだ可能でしたら、漫才を一緒に作らせて下さい」

それができたら、もう死んでも悔いはないと思った。

今までボケを何千通と送ってきたあの人のラジオ番組に、普通の文章を書いて送ったのはそれが初めてだった。


返事が来たのは数日後だった。

そこには、書いたネタを一度見てみたいと書いてあった。

あの人に、書いたネタを見てもらえる。
それだけで、僕はうれしかった。
その頃には、タワーみたいに積み上がったネタ帳の山は、僕の身長を追い越していた。
10 年間で書いたコントや漫才のネタの総数を数えてみたら、 2000 本を超えていた。
そんなタワーの中腹に、昔書いたあのコンビの漫才も眠っていた。

その漫才の贋作を取り出し、それをそのままあの人にメールで送った。
すぐに返事が来た。

あの人がネタを褒めてくれた。
それから、そのメールには、こんな言葉が添えられていた。

「コント漫才に挑戦しようと思ってるんだ」

僕とあの人が最初に作ったのは、漫才中に設定をつくり、ストーリー展開のコントになるような、コント漫才だった。


フランス料理屋のバイトの休憩中。

ホールを駆けずり回った後、チラシの紙の上を駆けずり回る。
脳みそを雑巾のように絞る。一滴残さずチラシの裏に落とす。
いま 24 歳になり、バイトの休憩時間に、この手でチラシの裏に書き殴った漫才が、紙ヒコーキのように飛んで行き、テレビのゴールデンタイムにぶっ刺さるなんて。


僕はテレビの前で緊張していた。
自分の脳みその中で、想像したネタが現実に目の前で流れ始めた。

それを見ている時の僕は、一体、どんな顔をしていただろう?
電波ジャックをしたような気分だった。
すべてが輝いていた。

僕がブラウン管ごしのすべてで起こした笑い声。
それを確かに聞くことができたこの耳を、改札なんかに入れたりはしない。


放送を見た翌日、フランス料理屋のシフトが入っていた。
「行きたくない」と思った。
昨日はあんなに素敵なことがあったんだ。
こんなにうれしい気持ちが心に充満しているのに、やりたくもないバイトなんかやって、この気持ちを濁したくなかった。

今後、こんなにうれしい気持ちになれる日なんか、一生来るはずないと思った。
今はこの気持ちに徹底的に酔いしれたかった。

今日だけは。
今日だけは。

バイトに行くために家を出たはずなのに、僕は、フランス料理屋の前を通り過ぎて、そのまま駅に向かった。
電車に乗り、モノレールに乗り換えて、その場所へ向かう。

今、行きたい所は一つしか思いつかない。
だから、世界にたった一つのその場所を目指す。

ケータイ電話がずっと、小刻みに震えていた。
フランス料理屋からの、その着信に対して、「オレのこのうれしい気持ちを濁そうとすんな!」と思いながら、ケータイ電話の電源を落とす。

そして、幼稚園の時に来たあの場所に、僕は再びやって来たのだった。
あの頃は、不気味で気持ち悪いと一蹴したが、今は胸を躍らせながら、それに近づいて行く。
顔を上げて見上げるそれは、岡本太郎が 40年以上前に、この場所にぶっ刺した砂嵐。それを見上げながら、僕は笑った。

そして、僕の中に、色んな言葉が堰を切ったように溢れ出す。
それは劇場で出会った芸人さんたちへの感謝だった。


「拝啓、お笑いをやめた先輩の皆様へ。

あの頃、劇場で、あなた方だけが、僕を人間扱いしてくれました。
だから僕は、それから三年間ずっと、あなた方のような〝正しさ〟を貫いてきました。

ハガキ職人をやっていた 3 年間、辛い時はいつも、あなた方のことを想いました。
あの頃のあなた方のように、愚直でも〝正しさ〟を濁さずにあれたことを、僕は誇りに思います」

そして僕は、太陽の塔に別れを告げた。
長時間、見上げて居たから、帰りは、うなじが痛くて仕方なかった。


僕が今いるここは、それから、 3 年後だ。

「おい、いつまで窓拭いとんねん!」
18 歳の先輩は、 27 歳の僕にそう言った。


人生を振り返る。
人生最良の日は、間違いなく、あの日だった。
誰も知らない日陰から放った、会心の一撃。
世界のすべてが輝いていた。

あの日があったから、今のこのクソみたいな日々を生きれている。
僕は、過去にすがりついて生きている。


あの日見た光を追いかけ、東京に行った。
そこで僕は、知ることになる。
ディレクターにとって、僕の存在などゴミに等しいということを。

ラジオ局では、ただ居るだけという、中途半端な状態が、何ヶ月も続いた。
見兼ねた他の構成作家から「仕事をもらうためには、ディレクターの懐に入れ」とアドバイスされた。
「とにかく全員に媚びて、気持ち良くさせれば仕事がもらえる」と言われた。

その時、脳裏に浮かんだのは、よしもとの劇場で、舞台監督の肩を揉む、構成作家見習いの奴だ。それが浮かんだ瞬間、心底吐き気がした。

奴になりたいか?
思い出しただけで、心底吐き気がした。

だけど、あれが正しい構成作家の戦い方だったのだ。
いの一番に舞台監督の懐に入った奴が正しくて、劇場で人間関係を度外視して、毎日ネタばかり作っていた僕は間違っていたんだ。
この世界で生きて行くということは、奴になるということでしかないのだ。

笑いを突き詰めるよりも、己の損得を考え、権力者の懐に入り、自分の立ち位置を上げるためだけに、時には人を利用し、蹴落とし、うまいこと立ち回って、できるだけたくさんの椅子と、たくさんの金をキープするために動き、今まで散々、こすられまくった企画や方程式を、パクったり、コラージュしただけで、自分は何かを創造していると勘違いし、誰にでもできるような仕事をやっているだけで、自分はさも一流クリエイターであるかのような振る舞いで、偽者を見抜けない世間やお人好しを騙して、祭り上げられて居るだけの、社会に加齢臭を撒き散らしているだけのダイオキシン以下の公害でありながら、才能と努力でのし上がってきた芸人やタレントさんに対して、偉そうにふんぞり返り、上から目線で接する、プライドだけは一丁前の、ただのサラリーマンの延長線上にいるような気色の悪いオッサンでしかない、吐き気がするような、あんな存在になりたいか?

でも、よくよく見渡してみれば、業界全体が、そんな人間を是としていた。
いや、世界全体が汚くて醜くて不純な人間を是としていた。
僕の中の〝正しさ〟は、この世界とズレまくっている。

「お笑いをやめる」と初めて口にしたのは、その頃だった。

僕は、あの人にそう告げたのだった。

「お前には才能がある」と言ってくれた言葉は、心臓が破裂しそうなくらい痛かった。

「期待して下さっていたのに、僕は何もできませんでした」

大阪に帰る前の日に、僕はあの人に言った。

すると、あの人は「お前は十分期待に応えてくれた。お前がいなかったら、このスケジュールで、ここまでネタを作れなかった」と言って褒めて下さった。


今はあの日から、 2 年後だ。
「おい、お前、なんでここに来てん?」
18 歳のギャル男の先輩は、 27 歳の僕にそう言った。

それはこっちのセリフだ。
お前が、吉本のオーディションライブ?

「普通の人間のくせしやがって。普通の社会をはみ出さずに生きれていける、普通の人間のくせしやがって。金を払って見に行く価値のない、つまらないぐらいまともな人間のくせしやがって、オレたちの世界に、何しに来た?」と心の中でカイブツは叫んだ。

実際には、何も言えなかった。

次回「堕落者落語」は6/30更新予定

この連載について

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笑いのカイブツ

ツチヤタカユキ

他を圧倒する量と質、そして「人間関係不得意」で知られる伝説のハガキ職人・ツチヤタカユキさん、二七歳、童貞、無職。その孤独にして熱狂的な笑いへの道ゆきが、いま紐解かれます。人間であることをはみ出してしまった「カイブツ」はどこへ行くのでし...もっと読む

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コメント

shimotsu_ “大阪に帰る前の日に、僕はあの人に言った。 すると、あの人は「お前は十分期待に応えてくれた。お前がいなかったら、このスケジュールで、ここまでネタを作れなかった」と言って褒めて下さった。” 5分前 replyretweetfavorite

yosshimusic "実際には、何も言えなかった。" 11分前 replyretweetfavorite

hase0831 “普通の人間のくせしやがって。普通の 22分前 replyretweetfavorite